週末遊び倒してようやく帰着。
明日から仕事になるんだろうか……。
いろいろ考えるべきことも仕入れてきたから楽しまなくちゃ。
数学者森田真生氏のトークは面白かった。でも、佳境にはいる前に終わった印象がある。
後半『なめらかな社会とその敵』の筆者鈴木健とのトークセッションは、隔靴掻痒の感あり。
二人のいいところが出尽くさないうちに時間切れしちゃったかな。コーディネートが弱い印象。二人とも飛び切りの素材なだけに、いささかもったいない感じ。
しかし、それでも十分面白かった。
前半数学の歴史を語りながら、自立した体系として数学は存在するのではなく、人間という存在が見る風景として数学はあるんだってところが、私にとってはいわゆる一つの肝だった。
むしろ人間を含んだ生態系のような、というか、数に対する脳の質感(クオリア)が前提となっているというか。
数を直観することと、数を記録することと、数えることが違う(人間は3~4までしか直観できない、一対一の対応、カウントすること)、ピタゴラスから、外側をアクセスするんではなく、数学の中で数学に自己言及する形が始まったとか、そういう歴史の話もおもしろかったです。
数学を数式抜きで語るのはかなり限界があるだろうに、それは正直凄いと思いました。
時間が短く感じられましたから。
数学は離散的記号によってそれ自身に自己言及的にかかわるが、哲学は自然言語によって哲学的表現に言及して外部をやはり参照しない、という比較は面白かったです。
数学の記号は離散的。分けられていく。
哲学は自然言語だから、そうならない。
その辺りもう少し話を聞きたかったです。
もう少し整理して見なくちゃ。
明日から仕事になるんだろうか……。
いろいろ考えるべきことも仕入れてきたから楽しまなくちゃ。
数学者森田真生氏のトークは面白かった。でも、佳境にはいる前に終わった印象がある。
後半『なめらかな社会とその敵』の筆者鈴木健とのトークセッションは、隔靴掻痒の感あり。
二人のいいところが出尽くさないうちに時間切れしちゃったかな。コーディネートが弱い印象。二人とも飛び切りの素材なだけに、いささかもったいない感じ。
しかし、それでも十分面白かった。
前半数学の歴史を語りながら、自立した体系として数学は存在するのではなく、人間という存在が見る風景として数学はあるんだってところが、私にとってはいわゆる一つの肝だった。
むしろ人間を含んだ生態系のような、というか、数に対する脳の質感(クオリア)が前提となっているというか。
数を直観することと、数を記録することと、数えることが違う(人間は3~4までしか直観できない、一対一の対応、カウントすること)、ピタゴラスから、外側をアクセスするんではなく、数学の中で数学に自己言及する形が始まったとか、そういう歴史の話もおもしろかったです。
数学を数式抜きで語るのはかなり限界があるだろうに、それは正直凄いと思いました。
時間が短く感じられましたから。
数学は離散的記号によってそれ自身に自己言及的にかかわるが、哲学は自然言語によって哲学的表現に言及して外部をやはり参照しない、という比較は面白かったです。
数学の記号は離散的。分けられていく。
哲学は自然言語だから、そうならない。
その辺りもう少し話を聞きたかったです。
もう少し整理して見なくちゃ。