龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

「見えない人間」ということ

2013年06月13日 23時31分27秒 | 大震災の中で

「見えない人間」をキーワードにして、原子力発電所の事故収束のために働く人を追っている写真家の文章。
福島に住む人も、福島で起こっていることに関心がある人も、いや、関心を持たずにいる人にも読んで欲しいと感じました。


「誰が第一原発を収束させるのかー見えない人間(1)」
http://m.huffpost.com/jp/entry/3424558

「エチカ福島」第2回セミナーのこと

2013年06月13日 23時24分34秒 | 大震災の中で
「エチカ福島」の仲間が書いた6/22第二回セミナーの告知文です。
よろしかったらぜひご参加下さい。

本文はこちらからの引用です。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=277590829053272&id=100004070714663

チラシはこちらを参照のこと。
第2回「エチカ福島」セミナーのお知らせ
http://pub.ne.jp/foxydog/image/user/1369493750.jpg

引用開始-------
何度も言うのも恐縮ですが、6月22日土曜日の1時から、福島県立美術館講堂で、エチカ福島の第2回セミナーを開催します。Yahooのブログにも書きましたが、改めて告知させていただきます。エチカ福島は、友人たちと共に立ち上げたプロジェクトです。二年前の震災と原発事故をきっかけにして僕なりに様々の事を感じ考えました。それは震災と原発事故以降にはじめて感じ考えたこともありますが、以前から感じ考えていたことがそれらをきっかけにして明瞭化したこともあります。
そのことについて、繰り返し友人と話したり、家族と話したりするうちに、そのことについてもっと多くの人たちと話をすべきだと思うようになりました。折しも、マスコミは、絆とか日本は一つとかいう言説を流通させていました。僕はそんな言説にいたたまれない思いでした。日本は一つどころか、僕には震災以降、この社会に様々な分断線、亀裂が走ってしまったように見えました。
今では僕の考えは少し変わりました。特に福島にある分断線は震災や原発事故以前から存在したにもかかわらず、私たちには見えなかっただけなのではないか、そんな風に思います。
今回発表をいただく丹治さんは新潟大学の先生ですが、妻有で行なわれる国際芸術祭の作家の一人です。妻有は新潟の中山間地域で、過疎化が進み方々が限界集落化している地域です。豊かな日本から見れば、まさしく経済原理のもとに切り捨てらた地域なのです。彼はアートを通してそこに住むお年寄りに寄り添うことは可能だろうかと考えた。お年寄りたちは、厳しい自然のなかで、長い時間をかけて培われた工夫によって共生してきた。それはアートのあり方そのものなのではないか。
同じ作家として参加された瀬戸内国際芸術祭のことを彼から聞いたことがあります。彼とは別の作家ですが、ハンセン病の療養所があった大島のプロジェクトに僕は衝撃を受けました。ハンセン病患者に対して私たちの社会は彼らを隔離し切り捨ててきました。そのことを鋭く問うプロジェクトでした。
福島には東京電力が所有する多くの原子炉が存在します。過酷事故が想定されるものだからこそ東京近郊ではなく福島にあるとうことは明らかです。その意味で原発事故以前に福島は切り捨てられていた。そして原発事故が起こり福島は汚染されました。これはある意味では想定どおりで、原発を東京近郊に作らなくて良かったということが証明されました。そうして事故の起こった福島は再び文字どおりに切り捨てられようとしています。
そういう福島に僕たちは住んでいます。福島に生きるための倫理とはいったいどんなものでしょうか?わかりません。しかし、私たちは考えたいのです。震災や原発事故以前に、福島はユートピアだったわけではありません。先ほどから僕は福島は切り捨てられていたと受動的であるかのように書きましたが、おそらくそれだけではないことも明らかです。私たちは震災や原発事故を以前と以降を分ける視点とともに、それをつなぐ視点も大切だと考えています。
今回は、アートでつながるってどういうことだろうか?というテーマで話し合いが行われます。
引用終了--------