龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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「2014年の日本を生き延びるための30タイトル」國分功一郎

2014年07月28日 05時06分26秒 | 大震災の中で


國分功一郎先生のブックガイドです。
タイトルには、
「2014年の日本を生き延びるための30タイトル」
とあります。

この夏の課題図書として最適かと。個人的にはまだ半分も読んでいません。それでもこのリストはみているだけで「必読感」がひしひしと感じられます。
本は自分から出あって行くものでもあるけれど同時に他人にに勧められるべきモノでもあるのだなあ、とつくづく。

ちなみにこのリストは下記URLからの引用です。tumblr(タンブル?)がまだよくわからないので、たどり着けなくなると困るから、メモがわりにこちらに引用しておきます。
ほぼ全文引用になるけど、趣旨からして許容してもらえるかと。

http://koichirokokubun.tumblr.com/post/93013538849/2014-30

(では引用開始)
1
浦田一郎、前田哲男、半田滋、『ハンドブック 集団的自衛権』、岩波書店(岩波ブックレット)、2013年、¥540。
http://www.amazon.co.jp/dp/4002708705/ref=cm_sw_r_tw_dp_4Ig1tb056BSJH
集団的自衛権については、とりあえずこれを読めばOK。その歴史も概念も問題点も分かる。自衛権という概念そのものが実は二十世紀に出来た新しい概念。それを知るだけでもかなり面白い。

2
フランツ・ノイマン、『ビヒモス──ナチズムの構造と実際 1933-1944』、みすず書房、1963年、¥8640。
http://www.amazon.co.jp/dp/4622017016/ref=cm_sw_r_tw_dp_hPg1tb0N0868W
1933年のナチス体制の確立を、おどろおどろしい独裁者が政治を牛耳ったこととしてイメージするのでは事態の本質を見誤ることになろう。その体制は、内閣に立法権を与える法律(全権委任法)によって確立された。すなわち、行政が法律を制定できる体制、これがナチス体制である。言い換えれば、行政がルールを決められるようになることほど恐ろしいことはないのである。1942年に出版されたノイマンのこの本は、その経緯を同時代の分析とは思えないほど精緻に行っている。

3
林健太郎、『ワイマル共和国──ヒトラーを出現させたもの』、中央公論新社(中公新書)、1963年、¥821。
http://www.amazon.co.jp/dp/4121000277/ref=cm_sw_r_tw_dp_Reh1tb103MP9G
結論部を引用する。「ナチスを支持した多くの人々が彼らの悪魔的性質を見誤っていたというのは事実だろう。ドイツ国民はたしかに権威服従的ではあったが、決してすべてが無法者を好んでいたわけではないからである。しかし彼らは目前の苦境に追われて、社会と人間の存立のために最も重要なものが何であるかを認識することを忘れた。そしてそれを破壊するものが民主主義の制度を悪用してその力を延ばそうとする時には、あらゆる手段をもってそれと闘わねばならぬということを知らなかった。それがヒトラーを成功させた最大の原因である」(p.207)。

4
ハンナ・アレント、『全体主義の起原 1 ──反ユダヤ主義』、みすず書房、1972年、¥4860。
http://www.amazon.co.jp/dp/4622020181/ref=cm_sw_r_tw_dp_okh1tb0QP76A3
『全体主義の起源』は全三巻であるから、全部読むのがもちろん望ましいが、まずはこの一冊目だけでもいい。アレントは、十九世紀以降の反ユダヤ主義は、宗教的なユダヤ人憎悪とは全く別物だと言っている。またアレントは、ユダヤ人自身が抱いた、「ユダヤ人憎悪というものを謂わば強制的な民族保存の目的に利用し得るかもしれないという奇妙な考え」にも言及している(p.9)。ゆっくりと慎重に読み進める必要がある。

5
ハンナ・アレント『暴力について──共和国の危機』、みすず書房、2000年、¥3456。
http://www.amazon.co.jp/dp/4622050609/ref=cm_sw_r_tw_dp_tzh1tb0YK65HX
アレントはもう一冊挙げておかねばならない。こちらは論文集である。政治における秘密が昨年来問題になっている。ベトナム戦争時のアメリカ政府の政策決定過程を暴露した秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を分析した論文「政治における噓」は、まさしく政治における噓と秘密を考える上での必読文献。表題論文の「暴力について」に関しては、私はその概念構成について哲学的に些か疑問を持っている。但しこれもまた読まれるべきものであることに変わりはない。

6
早尾貴紀、『ユダヤとイスラエルのあいだ──民族/国民のアポリア』、2008年、¥2808。
http://www.amazon.co.jp/dp/4791763947/ref=cm_sw_r_tw_dp_CLk1tb0WJRPZ2
アレントとイスラエルの関係は実に微妙である。アレントはイスラエルが「ユダヤ人国家」になることには批判的であったが、一時期はユダヤ人移民をパレスチナに移送する活動をしていたし、ユダヤ人のパレスチナ/イスラエルへの移住の権利を否定したことは一度もない。第三次・第四次中東戦争の際にはイスラエルの勝利を祝っていたとも伝えられている。パレスチナ問題そのものが極めて複雑であり、そこにアレントの思想的立場が絡むや複雑さは飛躍的に増す。本書はこの複雑な問題を実に見事に整理して論じたものである。アレント自身の著作と合わせてぜひ読んで欲しい。

7
カール・シュミット『独裁──近代主権論の起源からプロレタリア階級闘争まで』、未来社、1991年、¥3024。
http://www.amazon.co.jp/dp/462430070X/ref=cm_sw_r_tw_dp_cHh1tb08RZPMJ
「法を無視はするが、それはただ法を実現するためにほかならない、という点を本質とする独裁」について考察した書物だが、一応言っておくと、シュミットはそのような独裁の必要性を認めているのである。だから、注意して読まねばならない。しかし、そういう書物だからこそ、独裁というものの本質を知ることができる。シュミットの言う「主権独裁」は、「憲法が真の憲法としての姿でありうるような状態」を作り出すために、「現行憲法にではなく、招来されるべき憲法にもとづく」ものとして行われるのだという(p.157)。こうしたもっともらしい理論の惑わされないためには、その理論についてあらかじめ知っておかねばならない。

8
フリードリヒ・マイネッケ、『近代史における国家理性の理念』
政治学でも勉強していなければ、「国家理性」という言葉は聞き慣れないかもしれない。これは近世のヨーロッパに広まった考えで、国家の存在を至上のものとし、すべてのものが国家の維持・強化に従属しなければならないとする国家の基本原理のことを指す。有り体に言えば、国家を救うためならば法を破ることすら許されるという考え方のことだ。マイネッケは1920年代のドイツでこの概念の系譜を徹底的に研究した。その背景には第一次大戦という破局の存在があった。政治哲学者の大竹弘二氏は連載中の論文「公開性の根源」の中で次のように指摘している。「マイネッケの著作は大戦をひき起こすことになった権力政治の系譜学であり、純粋な思想史研究の書というよりは、彼の同時代の政治的惨禍に対する応答に他ならない」(「公開性の根源」、連載第四回、『atプラス14』、太田出版、2012年11月号、p.153)。第一次大戦開戦から100年。いま世界状況は大戦勃発時のそれにも似てきていると盛んに言われている。今こそ改めて読まれるべき古典である。

9
マルク・ブロック、『封建社会』、岩波書店、1995年、¥10584。
http://www.amazon.co.jp/dp/4000020927/ref=cm_sw_r_tw_dp_6Oh1tb01TWKJF
グローバル化する現代にあっては、国家主権がその決定権を失いつつあるように思われる。法律の遵守よりも経済的な要請への迅速な対応こそが求められるようになっているからである。いま改めて考えるべきは、近代国家はいかなる課題を背負って登場したのかである。この点を考察するためには、近代国家の前史である封建社会がいかなるものであったのかを真面目に勉強する必要がある。それにしても、この本、値段が高すぎる。岩波書店はこの本をはやく岩波文庫に入れるべきだ。

10
フリッツ・ケルン、『中世の法と国制』、創文社、1968年、¥1728。
http://www.amazon.co.jp/dp/4423493012/ref=cm_sw_r_tw_dp_sUh1tb1TAY7QB
立法権というのは近代に入って確立された新しい概念である。古代より、司法も行政も存在した。しかし立法権はなかった。では中世にはどうやって法を作っていたのか? 中世では、「新しい法を制定する」とではなく、「法が発見された」と考えたのだという。近代国家が獲得した立法権という概念を十分に理解するためには、それ以前の法概念について知っておくことが重要である。読みやすくおもしろい。

11
レオ・シュトラウス、『自然権と歴史』、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2013年、¥1620。
http://www.amazon.co.jp/dp/4480095845/ref=cm_sw_r_tw_dp_X2h1tb11XDR03
哲学が始まったのは「自然の発見」が為された時である。しかし「自然の発見」とは何か? 自然を「現象の総体」として考える限り、その意味は理解できない。「自然の発見」とは、自然であることと不自然であることの区別の発見であり、「自然」とは区別を表す言葉なのである。どういうことか? 「自然の発見」以前の社会では、ある集団の慣習はその集団のメンバーにとって自然なものと受け止められる。たとえば、男女の役割があらかじめ決められていることは、オス犬が片足をあげておしっこすることと同じように自然なことと受け止められるのである。「自然の発見」とは、どこにいってもオス犬は片足をあげておしっこするけれども、男女の役割はどこにいってもあらかじめ決められているわけではないという事実を発見することである。全部をじっくり読む必要があるが、まずは第三章「自然権観念の起源」を熟読されたい。

12
ホッブズ『リヴァイアサン』、第一巻、第二巻、岩波書店(岩波文庫)、1992年、¥1015(第一巻)、¥1123(第二巻)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003400410/ref=cm_sw_r_tw_dp_CZi1tb1DVH6EV
http://www.amazon.co.jp/dp/4003400429/ref=cm_sw_r_tw_dp_FZi1tb19PE671
近代国家論の出発点であり、また近代政治哲学を創始した書物。岩波文庫では全四冊だが、さしあたりはこの二冊でよい。また、冒頭は情念論などが続いていておもしろくないかもしれないので、その場合には第13章から読み始めればよい。この第13章の自然状態論は強力な説得力を持っている。人間の能力はだいたい同じで、能力は平等である。するとそこから、「あいつがあれを持っているなら、俺ももっていていいはずだ」という「希望の平等」が生じる。更にそこから、「俺が持っているものを、あいつも希望しているかもしれない。あいつはこれを分捕りにくるかもしれない」という疑心暗鬼が生じる。そうすると「やられる前にやる」となる。ホッブズによれば、平等だからこそ無秩序が生じるのだ。不平等だと、誰が誰に従うべきかが自明だから無秩序にならないのである。

13
スピノザ『神学・政治論』、上下巻、光文社(光文社古典新訳文庫)、2014年、¥1404(上巻)、¥1296(下巻)。
http://www.amazon.co.jp/dp/4334752896/ref=cm_sw_r_tw_dp_6Ui1tb12NKBTE
http://www.amazon.co.jp/dp/433475290X/ref=cm_sw_r_tw_dp_uTi1tb1DMGHTT
スピノザはホッブズの政治哲学に基づきつつも、その概念のロジックを徹底することで自らの政治哲学を作っていった。ホッブズは自然権の放棄によって国家が作られるとしたが、スピノザによれば、自然権とはそもそも自然によって与えられた能力のことなのだから、捨てようがない。そこを出発点にして、スピノザはホッブズとは別の政治哲学を作り上げていく。全体の約三分の二を占める聖書論・宗教論はいきなり読んでも面白くないかもしれないので、まずは第16章を読んでみるといいだろう。なお、吉田量彦氏のこの翻訳は、近年の哲学文献の翻訳において、文句なしの一番の出来。偉業。

14
福岡安都子、『国家・教会・自由──スピノザとホッブズの旧約テクスト解釈を巡る対抗』、東京大学出版会、2007年、¥8208。
http://www.amazon.co.jp/dp/4130361376/ref=cm_sw_r_tw_dp_rIj1tb0XP7EQ5
スピノザとホッブズを合わせて読むならば、是非とも手にとってもらいたい研究書。固い本だが、決して読みにくくはない。当時のオランダ社会の宗教的寛容の雰囲気が実に見事に描かれている。宗教的寛容と言っても、「ここら辺までは許すが、ここからは地下でやれ」みたいないろいろな事情がある。そういう雰囲気が分かる。

15
カント、『永遠平和のために』、1985年、岩波書店(岩波文庫)、¥583。
http://www.amazon.co.jp/dp/4003362594/ref=cm_sw_r_tw_dp_Brq1tb0TT79Z2
平和論の古典で世界史の教科書にも載っているらしいが、意外に読まれていない。本書は、世界市民的体制の確立に向けて遵守されるべき六つの予備条項と三つの確定条項からなる。ここでは第一の確定条項「各国家における市民的体制は、共和的でなければならない」を紹介しておこう。カントによれば、民主制=民衆制では、全員が支配に参加する。だから、立法と執行(行政)が完全に重なり合うことになってしまう。これはあり得ないし、そもそも専制的であらざるを得ない。カントによれば、政体は常に代議制でなければならないのである。するといったい民主制あるいは民主主義とは何を意味するものと考えればよいのだろうか。平和論としてのみならず、政体論としても興味深い著作である。

16
白井聡、『永続敗戦論──戦後日本の核心』、太田出版、2013年、¥1836。
http://www.amazon.co.jp/dp/4778313593/ref=cm_sw_r_tw_dp_Chi1tb1S94YE3
「敗戦」を「終戦」と呼んだ時より始まった、日本の敗戦の否認。それがもたらした矛盾。現在の日本の政治家達を支配している情念と、その背景を理解するための必読文献。たとえば次の一節。「安倍首相の発言の非論理性・無根拠性は、悲惨の一語に尽きる。なぜ憲法九条がなければ拉致被害を防ぐことができたと言えるのか、そこには一片の根拠もない。現に、中国や韓国は「平和憲法」を持っていないが、拉致被害の発生を防ぐことはできなかった。この発言の無根拠性を自ら意識していないのだとすれば、首相の知性は重大な欠陥を抱えていると判断するほかない。逆にそれを承知でこうした発言を行っているのだとすれば、首相の「拉致問題解決への意欲」と評されてきた姿勢の本質は、被害者の救済を目指すものではなくこの問題の政治利用にこそある、と見なさざるを得ない。言うまでもなく、こうした姿勢は、拉致被害者とその関係者に対する侮辱にほかならない」(p.118-119)。

17
原武史、『滝山コミューン一九七四』、講談社(講談社文庫)、2010年、¥648。
http://www.amazon.co.jp/dp/406276654X/ref=cm_sw_r_tw_dp_-zi1tb0GZACWJ
「郊外の団地の小学校を舞台に、自由で民主的な教育を目指す試みがあった。しかし、ひとりの少年が抱いた違和感の正体は何なのか。「班競争」「代表児童委員会」「林間学校」、逃げ場のない息苦しさが少年を追いつめる。30年の時を経て矛盾と欺瞞の真実を問う渾身のドキュメンタリー」。──ある団地の小学校を通じて描かれる「戦後民主主義」の本質。私はこの雰囲気を少しだけ知っている。それは今に至るまで様々な影響を及ぼしている。飛躍していると思われるかもしれないが、現在の政府を貫く〈戦後憲法体制に対する憎悪〉は、これへの反作用なのだ。戦後の70年が作り出したのは、結局、いまの政府を構成している、ああいう人たちだったのだという認識が必要であり、そのためには「一九七四」年に何があったのかを知らねばならないのである。

18
福田和也、『総理の値打ち』、文藝春秋(文春文庫)、2005年、¥545。
http://www.amazon.co.jp/dp/4167593041/ref=cm_sw_r_tw_dp_azi1tb1XD9EGR
歴代の首相に100点満点で点を付けるという福田和也氏ならではの試み。端的に日本の近代史の勉強になる。もちろん、評価には非常にバイアスがかかっている。だからそういうものとして読めばよい。そしてその後で、今日の新聞を読んで、今の総理について考えてみるのである。

19
奥平康弘、木村草太、『未完の憲法』、潮出版社、2014年、¥1470。
http://www.amazon.co.jp/dp/4267019754/ref=cm_sw_r_tw_dp_CIi1tb1GWGXDD
「立憲主義」という言葉をこれほど日常的に目にする社会とはいったいどんな社会なのだろうか? 立憲主義というのは憲法がある国家においては当たり前の原則であって、それが日常的な話題になること自体が異常である。いま私たちはそういう社会を生きている。日本を代表する憲法学者の奥平氏と新進気鋭の若手憲法学者、木村氏の対談。読みやすい。

20
水野和夫、『資本主義の終焉と歴史の危機』、集英社(集英社新書)、2014年、¥799。
http://www.amazon.co.jp/dp/4087207323/ref=cm_sw_r_tw_dp_TWp1tb0ZSZJSV
今、アベノミクスの名の下に景気対策がやたらと喧伝され、景気回復が至上命題であるかのような雰囲気が作り出されている。だが水野氏はこんな事実を指摘している。現実には2002年から2008年にかけて、戦後最長の景気回復があったにもかかわらず賃金は減少した(p.114-115)。実際、あの時期について「景気が回復した時期だった」と実感をもって答えられる人がどれだけいるだろうか。つまり現在の資本主義の局面においては、経済成長と賃金の分離が起こっているのである。つまり、景気がどれだけ回復しようと私たちの生活とはほとんど関係がないし、それどころか賃金を抑えつけることで経済成長が達成されるという可能性すらあるのである。水野氏はこうした現実を歴史的パースペクティヴの中で論じており、非常に説得力がある。

21
関口存男、『関口・初等ドイツ語講座』、上中下巻、三修社、2005年、各¥3024。
http://www.amazon.co.jp/dp/4384004834/ref=cm_sw_r_tw_dp_RKj1tb046VS5G
http://www.amazon.co.jp/dp/4384004842/ref=cm_sw_r_tw_dp_SKj1tb0WC0D5T
http://www.amazon.co.jp/dp/4384004850/ref=cm_sw_r_tw_dp_TKj1tb1FK2AVQ
現代は語学が実に軽視されている。語学こそは高等教育の基礎ではないだろうか? 関口存男先生は1958年にお亡くなりになった日本を代表するドイツ語学者である。もう随分と昔の人だが、関口先生の教科書は今も使われている。関口存男著作集というのがあるのだが、そこには関口先生がお書きになった教科書が収録されている。語学の教科書がいわば作品になっているということである。そういう教科書が書かれなければならないのだ。本当は英語やフランス語についてもこういう本を紹介したいのだが、なかなか見つからない。いずれにせよ、この教科書で勉強すれば、他の語学にもそのやり方が応用できよう。

22
中原道喜、『新マスター英文法』、聖文新社、全面改訂版、2008年、¥1901。
http://www.amazon.co.jp/dp/4792218063/ref=cm_sw_r_tw_dp_KRj1tb146T6R6
受験参考書だなどと侮ることなかれ。英語を勉強する際に体系性の理解がいかに重要であるかを教えてくれる書物。とにかく最近は文法を理解するということがおろそかにされている。それが思考力を決定的に低下させている。この本の練習問題を最初から最後まで毎日やる。説明を何度も何度も読む。そうすれば、頭の中に英文法の立体像が作られる。

23
石原孝二編、『当事者研究の研究』、医学書院、2013年、¥2160。
http://www.amazon.co.jp/dp/426001773X/ref=cm_sw_r_tw_dp_vdk1tb0G2AGA6
「当事者研究」とは北海道の浦河べてるの家で始まった、精神障害からの回復メソッドである。精神障害の「当事者」が、自らの体験を複数の聴き手と共に語りあい、自分の中で起こっていることを「研究」する。論文集だが、その中から二つだけを紹介したい。ほとんど文学と言ってよい筆致で「自己感」の問題を語る綾屋紗月の論考「当事者研究と自己感」、他者によって与えられる傷が自らの身体を生きる可能性を与えるかもしれないという「危険」な仮説を論じた熊谷晋一郎の論考「痛みから始める当事者研究」はまさに必読。この本には、新しい哲学の到来を予感させる何かがある。

24
上岡陽江、大嶋栄子、『その後の不自由──「嵐」のあとを生きる人たち』、医学書院、2010年、¥2160。
http://www.amazon.co.jp/dp/4260011871/ref=cm_sw_r_tw_dp_Kkk1tb03JXWXD
アルコール依存や薬物依存にどんなイメージをお持ちだろうか。もちろんいろいろな事例がある。けれども、幼い時から繰り返された過酷な経験(虐待等)によって、日常生活を日常生活として生きることそのものが困難になってしまった人が、その苦しさから逃れるためにアルコールや薬物に手を出す事例が数多く存在することは知っておかねばならない。生きることの困難からどう回復していけるか。本書はダルク女性ハウスという、薬物・アルコール依存症をもつ女性をサポートする施設での様々な経験をもとに書かれたものだが、そこで得られた認識は普遍性を持っている。『当事者研究の研究』と合わせて読むとよいだろう。

25
二村ヒトシ、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』、イーストプレス(文庫ぎんが堂)、2014年、¥720。
http://www.amazon.co.jp/dp/478167108X/ref=cm_sw_r_tw_dp_7Bk1tb09N43GZ
まずは、256ページの山本直樹氏のイラストを見てほしい。それを見れば、この本がどんな人のために書かれているのかがすぐに分かる。恋愛系の自己啓発本に見えるかもしれない。しかし、ここには生きづらさを巡る、ほとんど哲学的と言ってよい考察がある。「耐えることは愛じゃない」(p.32)。そう、それは分かっている。しかしなぜ人はそれを繰り返してしまうのだろうか。恋人との関係というのは重要である。それは人生を左右する。しかし結婚と違って公的な関係ではないので、周囲はあまり口出ししない。また私たちは恋愛についてどこかで学ぶということがない。人生を大きく左右するものであるというのに。だからこそ、恋愛について勉強しておかねばならない。

26
國分功一郎、『哲学の先生と人生の話をしよう』、朝日新聞出版、2013年、¥1728。
http://www.amazon.co.jp/dp/402251115X/ref=cm_sw_r_tw_dp_uWk1tb088GXVS
こういうリストで自分の本をあげるのはやや気が引けるが、二村ヒトシさんの本とぜひ合わせて読んでもらいたいのであげておく。人生相談本。ちょっとした工夫があれば切り抜けられることというのが人生にはたくさんある。それを知っておくだけで生きるのはとても楽になる。参考にしてもらいたい。

27
猪熊弘子、『「子育て」という政治──少子化なのになぜ待機児童が生まれるのか?』、KADOKAWA(角川SSC新書)、2014年、¥864。
http://www.amazon.co.jp/dp/4047314374/ref=cm_sw_r_tw_dp_m0k1tb1RN3V47
なぜ小学校に入れない子どもはいないのに、保育園に入れない子どもがこんなにいるのだろうか? おかしな話である。猪熊さんは日本で一番保育のことを知っているジャーナリストだ。ここに詰め込まれた知識こそ、「保育を受ける権利」を行使するための武器になる。弱い立場にいる人間にとって、最大の武器は知識である。

28
村上稔、『買い物難民を救え!──移動スーパーとくし丸の挑戦』、緑風出版、2014年、¥1800。
http://books.rakuten.co.jp/rb/12837896/
徳島で始まった移動スーパーの試み。しかし本書から学べるのは、単に移動スーパーのノウハウだけではない。村上さんは「とくし丸」の経験を通じ、日本社会がいまどうなっているのか、これからどこへ進むべきなのかを教えてくれる。しかもそこには感動と笑いがある(本当に、読みながら何度も吹き出した)。何かがおかしいと思っている人、何かをやりたい、はじめたい人、そんな人たちすべてに心の底からお勧めする。

29
水口剛、『責任ある投資──資金の流れで未来を変える』、岩波書店、2013年、¥3456。
http://www.amazon.co.jp/dp/4000258966/ref=cm_sw_r_tw_dp_n8k1tb0CW4HDC
「社会をよくする」というと私たちは漠然と政治のことを考える。しかし、社会をよくするどんなアイディアもお金がなければ実現できない。ならば、お金の流れが変われば社会も変わるはず。たとえば、社会や環境に配慮した活動をしている人々に資金を援助する。非人道的な活動をしている企業は投資の対象から除外する。こうした思想はこれまで「社会的責任投資」という形で実践されてきた。だが、本書で水口氏が紹介するのはそれよりも更に踏み込んだ思想である。投資が社会や環境に及ぼす影響は甚大であり、金融市場が動かす資金は厖大である。ならば、そもそもすべての投資判断が、儲かる儲からないという利益計算だけでなく、社会や環境への配慮のもとになされるべきではないか? これが「責任ある投資」の考え方である。本書を読むと読者は、「金融」「投資」「責任」といった言葉のイメージの大きな変更を迫られるであろう。それはここに新しい思想が書かれているからである。是非手にとっていただきたい。

30
國分功一郎、『暇と退屈の倫理学』、朝日出版社、2011年、¥1944。
http://www.amazon.co.jp/dp/425500613X/ref=cm_sw_r_tw_dp_oFq1tb1KWNMH9
自分の本を二冊もリストに入れてしまったが、多くの人に読んでもらいたいと思って本を書いているのだから、どうしてもリストに入れたくなってしまうのである。この本はたくさん本を紹介している。ぜひ、一冊の読書リストとしてもこの本を利用してもらいたい。
(以上で引用終了)

いかがですか?
ワクワクしてきますよね。このブログでも既に何冊かは紹介している本です。この夏は贅沢に過ごせそうかなぁ。