7月21日(水)晴れ暑い【潔く生きるー本来無一物】
今日も暑いです。言うまいと思えど今日の暑さかな、ですね。3年前までは、この日が当寺の施食会でしたが、あまりの暑さで具合の悪くなった人もいましたので、亜熱帯化する日本の気候を考えまして、当寺の施食会は5月に変更していますので、今日は静かな一日です。ただこの辺りは今日がお盆ですからお参りの方々に、きれいに天井板が張られた内部を昨日から公開しています。
棟のところは写していません。棟部分にお寺の名前が入っていますので、このブログは私の個人的なブログですから、寺名は遠慮しました。お寺は住職個人の財産ではありません。住職をしているお寺の諸々の運営を任されている責任者といったらよいでしょうか。まあ、お寺の僕です。お蔭様で、この度も本堂の雨漏りがひどくなりましたので、やむを得ず屋根の銅板葺き替えをさせていただきました。
今までも、浦和にある浄土宗のお寺に10年ほど住んでいましたが、老朽化がひどいので、屋根や、本堂や住職の居住部分を、きれいに改修させていただきました。とても気に入って住んでいましたが、本師がご病気になりましたので、身近にお仕えするために、このお寺を出ることになりました。その時大変だったのは、母を説き伏せることでした。お寺のご近所には、母にとってよいお友達がいましたので、どうしてこんなにきれいにしたところを出なくてはいけないの、お金も一杯出したのに、損じゃないの、とさんざん言われました。
それから、本師がご住職をつとめていたお寺の塔頭寺院に入りまして、やはり典座(台所)などをリフォームしたり、きれいにしました。「一生ここの住職で住んでいいから」と本師が住職辞令を出してくださいました。しかし、本師が遷化なさいましたら、弟子は出るものだ、という人がいましたので、気に入って住んでいましたが、そうか、出よう、と決めました。するとまたも母の反対に会いました。お隣の人と仲良くなりましたので、別れたくないことと、自分できれいにしたのに、損じゃないの、と、さんざん言われました。
しかし、「潔く生きる」というのが私の信条ですから、本当に苦労して溜めたお金をつぎ込んで住みよくしましたが、出る時には出る、という考えを枉げることはできませんでした。母にはその度に可哀そうなことをしましたが、母の晩年は今のお寺で、やはりこのお寺でも親切な人たちに恵まれました。そして最期も看取る事ができました。
明日何があるか分からない、それでも流れに逆らわず、最大限の努力をして、潔く生きる。私が出家者であり、家族が母だけでしたからできたこととは思います。これからの一生も最期までわかりませんが、おそらくこのお寺を出る時は、彼の岸行きだと思いますので、母は反対することなく、「はやくおいで」と歓迎してくれるかもしれませんね。
六祖慧能禅師は「菩提本非樹(菩提本と樹に非ず) 明鏡亦非台(明鏡亦た台に非ず) 本来無一物(本来無一物) 何処有塵埃(何れの処にか塵埃有らん)」と言われました。この偈における「本来無一物」の意味はちょっと違いますが、「本来無一物」と清々と生きたいと思います。この空があれば充分です。