2月23日(木)晴れ【与願印】
今日は暖かいです。猫たちもベランダで気持ちよさそうに寝そべっています。
さて、昨日サールナートの初転法輪寺のブッダの印相を降魔印と書きましたが、よくよく見てみますと、手の平が外を向いていることに気が付きました。
『ゴータマ・ブッダ』を読みましたら、初転法輪寺を創建されたダルマパーラの意向によって、降魔印ではなく、与願印になっているのだそうです。私の知っている仏像は、右手は施無畏印、左手与願印という組み合わせが多いように思います。しかし、サールナートの降魔のブッダは、右手が与願印になっています。
掌を人々のほうに向けていれば、右でも左でも与願印というのでしょうか。
そうしますと、お内仏の印相はなんなのでしょうか。もしお分かりの方がいらっしゃいましたら、お教えくださいませ。
私は、かつて三か月もインド一人旅をしたことがあります。その時、ニューデリ側に行ったことが間違いだったかどうか。もしカルカッタ側に降り立ったならば、ひょっとしたら、仏跡に足を延ばしたかもしれません。サールナートの初転法輪寺にも参拝できたかもしれません。しかし、そうしなくても、出家に導かれましたので、それでよかったのでしょう。何事も、過ぎたことは、それでよい、それがあるから今がある。過ぎたことをそうしなければよかった、と嘆くことはナンセンス。すべて受け入れ、受け入れ、どんなひどいことでも、今、生きているのならば。
しかし、もはや仏跡には参拝できないので、やっぱり残念といいましょうか。やっぱり、人生って一度だけだし、キリがありますからね。皆さん、今やりたいと思っていることを、今しておいた方が、「残念」と言わなくてよいですよ。