風月庵だより

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報恩

2006-12-21 19:18:44 | Weblog
12月21日(水)曇り【報恩】

今日は本師ご遷化の正当である。本師に出逢えたお蔭で、只今、仏教を学び続けられている。本当に有り難いご縁に感謝あるのみ。

当風月庵だよりでは、時折中国や日本の禅僧についてご紹介しているが、その折必ず話題とする禅師の師匠の名を書き添えてきている。これは単に知識としてご紹介しているだけのことではない。禅(仏教)を学ぶ者には必ずその師がなくてはならない、このことをお伝えする意図の元に書いているのである。

一人で悟ったような気持ちでいることは、大変に危険な事と言わねばならないだろう。師に我の角を叩かれ、叩かれして、道を示して頂くことは古来からの禅の学びの方法である。臨済義玄(?~867)はその師、黄檗希運(生卒年不詳)から烈しく打ち据えられ、その親切によって覚り、臨済はまたその門をくぐる学人を一喝して、分別心を一掃させようとつとめられた。

また徳山宣鑑とくさんせんかん(782~865)という禅師は、龍潭崇信りゅうたんそうしん(生卒年不詳)の弟子であるが、「徳山の棒」として知られているように、門を敲く者に三十棒を与えて、厳しく接化(指導)した。弟子には雪峰義存(822~908)等を輩出している。

喝や棒と聞くと現代では随分と乱暴な方法のように思えるが、これらの禅師の指導は、独りよがりに陥るのを誡めていると捉えて頂きたい。自分は正しいという奢りを打ちのめさないと、頭でっかちになり、安易に是非を論じて、道が分かったような顔をしてしまうことを、師はその親切心によって見抜き、導いてくださるといえようか。

さて前のログで絵師河鍋暁斎かわなべきょうさいについてご紹介したが、この方の作品の中に「船子・夾山図」がある。一人の僧が船の上から棹を振り上げている。これは船子徳誠せんすとくじょう(生卒年不詳)である。河の中には丁度船からたたき落とされて、溺れそうになりながら船上の僧を仰いでいる僧の姿がある。こちらの方は夾山善會かっさんぜんね(805~881)である。

この話は『景徳伝燈録』や道元禅師の『正法眼蔵』「山水」巻にも書かれている。
〈原文〉
華亭船子和尚名徳誠。嗣樂山。嘗於華亭呉江汎一小舟。時謂之船子和尚。師嘗謂同參道吾曰。他後有霊利坐主指一箇来。道吾後激勉京口和尚善会参礼師。師問曰。坐主住甚寺。会曰。寺即不住。住即不似。師曰。不似似箇什麼。会曰。目前無相似。師曰。何処学得来。曰非耳目之所到。師笑曰。一句合頭語万劫繋驢楔。垂糸千尺意在深潭。離鉤三寸速道速道。会擬開口。師便以篙撞在水中。因而大悟。師当下棄舟而逝。莫知其終(『景徳伝燈録』巻14。T51ー_p315b26)

〈訓読〉
華亭船子かていせんす和尚、名は徳誠。薬山に嗣ぐ。嘗かつて華亭呉江に一小舟を汎うかぶ。時に之を船子和尚と謂う。師、嘗て同参の道吾に謂って曰く、他後霊利の坐主ざす有らば一箇来を指めせ。道吾、後に京口の和尚善会を激勉し、師に礼し参ぜしむ。師問うて曰く、坐主甚なんの寺に住す。会曰く、寺は即ち住せず。住すれば即ち似ず。師曰く、似ざれば箇の什麼なににか似たる。会曰く、目前に相似無し。師曰く、何処いずこより学得がくとくし来る。曰く、耳目の所到に非ず。師笑って曰く、一句合頭がっとうの語、万劫まんごうの繋驢楔けろけつ垂糸千尺、意深潭しんたんに在り。鉤三寸を離れて、速やかに道え速やかに道え。会、口を開かんとす。師便ち篙さおを以て水中に撞く。因りて大悟す。師、当下に舟を棄てて逝く。其の終を知ること莫し

〈試訳〉
華亭船子和尚、名は徳誠。薬山惟儼(751~834、または745~828)の弟子である。以前華亭県の呉江で小さな舟を浮かべていたので、人々は船子和尚と謂った。兄弟弟子の道吾円智(769~835)に、いつかすぐれた指導者である僧が一人ぐらいいたら、儂の所に寄越してくれと言って別れた。道吾は京口に住していた夾山(文中、会と記されている)を船子のところに行ってみろと励まして参じさせた。(船子が船頭になっていたのは、唐の武帝の法難を逃れて身を隠していたのだといわれる)

船子は早速法戦を始める。「おまえさんはどんな寺に住んでいたのか」と。夾山は答える、「寺は即ち住せず。住すれば即ち似ず」(寺という限定した所にしがみついてはいませんよ、何かにとどまるならば、及ばないでしょう)」船子は「及ばないと言うが、じゃ一体何に及ぶというのだい」夾山は「目前にそれに及んでいるのはありません(目前に法はありません)」船子「そんなことを一体何処で学んできたのか」夾山「耳目で学んだのではありません(自分で分かったのです、というようなことか)」

船子は笑って言われた「そんな理屈っぽい語を言っているようじゃ、永劫に言葉の呪縛から逃れられないぞ」そうして船子は「儂はお前を千尺もの糸を垂らして釣り上げようとしているのに、まだわからんか。釣り上げられた儂の鉤から、お前さんの舌の先を離して(儂の言葉じりにひっかからないで)、さあ言ってみろ、さっさと言え」と言いながら、言葉で何か言おうとする夾山を棹でもって船から水の中にたたき落とした。そこで夾山はようやく大悟したのである。船子は跡継ぎができたので、さっさと船を捨てて死んでしまった。その最期は誰も知らない。

(これは私の試訳ですが、過ちがありましたらご指摘下さい。宜しくお願い致します。「住即不似」の解釈が少し難解でした。)

このように師は弟子を河に敲き落としてでも、覚らせようと親切心を尽くしてくれる訳だが、この船子と夾山の話は、独善と傲慢に陥り、仏法を分別心で捉えようという危険から明眼の師が救い出してくれるきっかけになってくれるという好材料の話であろう。(救う主体は勿論本人自身であり、師ではない)

たまたま暁斎の紹介の書に、この話の図を見出したので、本師の正当に因み報恩の参究をさせて頂いた。

*暁斎の絵(本の写真であるが)を拡大鏡で見てみると、船子の顔は怒りの顔ではなく慈悲を感じる表情である。暁斎は十分に禅門における師資相承の意味を理解する眼で描いていることが感じられる。人物描写も躍動感に溢れている。これはコンドル・コレクションにあるそうだが、実物の展示を見たいものである。

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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ご命日 (ぜん)
2006-12-21 21:11:08
御本師の謦咳に、多少なりとも接することができたことは、大いなる幸せでした。
ありがたいご縁をいただきました。
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ぜんさんへ (風月)
2006-12-22 12:17:52
お互いに、あのような禅師に今生で出逢えたことは幸福というべきでしょうか。

しかし仏教の教理を理解することはなかなか大変です。またそれを受け入れられるかどうか、という問題も起きてきます。
矛盾を含んだままではあります。
その矛盾によって、他を混乱させてはならないのですが、僧侶としての意見を書くことには責任を感じます。
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本師祥当 (うさじい)
2006-12-23 05:50:55
御前様は弟子が多かったので、昨日は方々で祥当供養がなされた事と思います。
玉石混交の中の砂礫として、こうして姉弟子に今でもお教えを乞える幸せがあります。
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うさじいさんへ (風月)
2006-12-23 23:35:03
姉弟子と言われますと照れくさい気がします。とても教えるなどとはできませんが、ブログをお読み頂けるのは書く張り合いがありますので、有り難いです。

しかし仕事が終わってから書いていますので、いつも途中で眠くて半分眠りながら書いていたりです。
ようやく当初一年続けられればと思っていた予定の一年になりましたので、よかったです。

お互いに健康には気を付けて、なるべくこの世に長くいられるように努力しましょう。
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お寺の娘 (凡愚)
2018-11-03 15:13:01
ブログ「従容録の私的読解」の「洛浦伏膺」で「やっと法を嗣ぐべき弟子を釣り上げた船子は、夾山の眼の前で自ら船を転覆させ波間に沈んでいったと伝えられます。」とあります。貴ブログの船子和尚と対比させ、興味深く読ませていただきました。
 ところで、唐突ですが、お寺に生まれた娘さんは住職を何て呼ぶのでしょうか。「お父さん」とは普通言いませんか?また、娘の名前を例えば「冴子」というような、俗っぽい?名前ではなく、何か「拝美」とか仏教らしい名前をつけるのでしょうか。他に聞ける人もございませんので、よろしくお教えの程、お願い申し上げます。
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凡愚さんへ (風月)
2018-11-03 15:32:32
お寺の娘さんでも得度をしていなければ、「お父さん」とお呼びするでしょう。また得度をしていなくても「方丈さん」とか「御前さま」とか呼ぶお寺も有ります。
得度をしていれば、「方丈さん」「方丈様」「おっさま」とか人前では呼ぶでしょうし、他に話す時には、「当寺の住職」、とか「方丈様」とか「おっさま」とか。親と子だけの場合は「お父さん」とよんでもよいのではないでしょうか。
娘の名前をつける時も、一般社会でつけるお名前でよろしいのではないでしょうか。仏教的でもかまいませんが。自由でしょう。
なぜ、このような質問が出るのか、そこが知りたいところです。
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寺の娘について (凡愚)
2018-11-05 10:59:35
失礼いたします。
 この度は懇切丁寧なご返事ありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
 「なぜ、このような質問が出るのか、そこが知りたいところです。」誠にごもっともだと存じます。
 実は小説を書いておりまして、仏教関係で一つは比較的長いもので、ある禅寺の住職と修行僧、そして門前に捨てられこの寺で育てられた娘との間に繰り広げられる、「仏(仏性)を求めて」の生活禅の話です。もう一つは比較的短いもので、鎌倉室町時代の尼僧の激しい求道の話です。前者について或る人に見ていただいたところ、「お父さんとか、冴子とかはちょっと・・・・・・」という評言をいただき、悩みました。いろいろ調べましたがイマイチ安心できず、庵主様にお尋ねした次第です。やっと安心しました。お心をお騒がせして申し訳なく存じております。すみませんでした。
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凡愚さんへ (風月)
2018-11-08 18:05:07
お知りになりたい理由がよくわかりました。
実のお子さんではなく、捨てられていた娘との会話についての疑問だったのですね。
この住職は、妻帯している設定で、娘さんは自分の娘として育てているのかどうか、という設定の違いがあると思います。
実の娘でも、「方丈さん」とか大きなお寺ですと「御前様(ごぜんさま)」とかおよびしているケースもあります。「お父さん」でも現代ならばよくあるケースです。娘を呼ぶときは、「冴子」でよいと思います。
なお、私は尼僧ですが、「庵主さん」とは呼ばれていません。禅寺の住職ですので檀家さんたちは、「方丈(ほうじょう)さん」と呼んでいます。
またなんでも気楽にお尋ねください。面白い小説がお書きになれますように。
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法句経について (凡愚)
2018-12-21 17:44:24
失礼いたします。
この前の「またなんでも気軽にお尋ねください」に甘えさせて下さい。
法句経の182を「人の身を得ること難く/身を得るも寿ある難く/み仏の出でます難く/出でますの遭ふこと難し と経文にあるとおり、」(『幸せは急がないで』p32)とあり、多少読み比べましたが、よく胸に沁みて来ます。
これはどんな本(お経の本だと思いますが)でしょうか。ご教示を得たく存じます。
どうかよろしくお願い申し上げます。
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凡愚さんへ (風月)
2018-12-21 19:44:56
青山先生の『幸せは急がないで』をお読みのようですが、法句経についてのご質問でしょうか。
法句経で検索していただけますと簡単に調べることができます。wikipediaの説明が簡単でよいでしょう。「仏典の一つで、 仏教の教えを短い詩節の形で伝えた、韻文のみからなる経典である。語義は「真理(法。 巴: dhamma)の言葉(巴: pada)」である。」
因みに片山一良先生という方の訳は少し文言が違いますので参考に書いておきます。

人間の身は受けがたく
死すべきものは生きがたい
正しい法は聞きがたく
もろもろの仏は出現しがた
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