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樺美智子さんを悼む

2006-06-15 19:36:59 | Weblog
6月15日(木)曇り【樺美智子さんを悼む】

1960年の今日、 樺(カンバ)美智子さんが亡くなられた。60年安保闘争で日米安全保障条約改訂阻止を叫んで、4000人余の全学連の学生が国会に突入し警官隊と衝突した。その時、樺さんはこのデモの隊列の中にいたのである。機動隊による暴力のせいか、デモ隊にまきこまれて圧死したか、それぞれの主張があって原因は明確にされていないが、国会突入のデモの最中に若い命を落とされてしまったのである。

当時東大に在学していた樺さんはブント(共産主義者同盟)のメンバ-であり、文学部の副委員長をつとめる活動家であった。ブントは反日本共産党系の全学連の主流派である。アメリカ帝国主義と日本が手を結ぶことに反対して、多くの若者たちがこの条約の批准に熱く抗議していたのである。このとき重軽傷712名、被逮捕者167名と記録されている。重傷者のなかには教え子を心配して探しに来られた大学の教授もいたという。


当時の学生たちは、日本の将来を真に憂えていた。樺さんもそのような若者のお一人であった。学生運動の是非はともかくとして、日本国の将来を真剣に考えていた若者たちがいたことを、今日樺さんの命日であることに気づき、思い起こしたのである。(私が大学生になったのは、この事件のあとであるが、時折このことは報道されたので、印象深く覚えている。私が学生の頃は過激派の内ゲバがひどくなり、学生運動は社会から遊離してしまった。)

このような大きな犧牲を払ったが、日米安保条約は6月19日には国会で承認され、その月の23日には批准されてしまったのである。今でさえも果たしてアメリカとの協力関係が、このようでよいのか、議論されるところである。この条約に明記される〈基地の許与〉により、(旧条約にもあった項目であろうが)沖縄や厚木や基地のある街の人々は迷惑を蒙っているのである。

またこの地球上でいつも戦争を起こしているアメリカの言いなりになっている日本、これでよいのであろうか。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン、イラク戦争等々。アメリカが、起こさなくてもよい戦争を起こしているではないか。これらの戦争によってどれほど多くの尊い人間の命が奪われ、今も奪われていることだろうか。

樺さんが生きていらっしゃったら、「私たちが命を賭して反対した理由が判ったでしょう」とおっしゃったであろう。

ご冥福を祈ります。(もうとっくに生まれ変わって、世界のために地球上のどこかでご活躍なさっているかもしれない。)

*樺美智子:(1937.11.8~1960.6.15)遺稿集『人しれず微えまん』

「最後に」

誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ

1956年 美智子作

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4 コメント

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理が無く無能な学生運動 (胡志明(越日盟))
2006-06-16 22:41:25
「アメリカ帝国主義」に反対していた学生運動が、米国からの自立を求めた安保改定に反対(つまり米軍に日本を守る義務を課さず、勝手に日本国土を使わせる事に賛成)して死人まで出していたとは、正にお笑いだ。

しかも今でも其れを肯定しているとは。

現実に米国と矛を交えた越南の人間には理解し難い事象だ。
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胡志明さんへ (風月)
2006-06-17 10:42:31
コメント有り難うございます。本当に私のブログをお読み下さいましたことに、感謝申し上げます。



且つノンポリ学生であり、今も政治的活動は何もしていない私としましては、恐縮に思います。



なにが是か非か判断することは本当に難しく、時が経ち、歴史的判断を下されるときになっても、この世界の諸事件について、諸諸の見解が下されることでしょう。



しかしベトナム戦争を起こした米国の非道を、肯定するような声は出ないと考えます。



あの頃ベトナム戦争に反対し、兵役拒否をした若者が多く出ましたし、日本でも反対のデモがありましたが、イラク戦争に関しては隨分違います。



石油という利権が付いていることにもよるでしょうが、日本人も隨分と変わってきました。



世界の平和を微力ながら祈ります。そしてベトナムの人々の幸せを祈ります。戦争で命を落とされた方々の冥福を祈ります。



何もできないし、呑気に生きておりますことご容赦願います。
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Unknown (雲出川荒大)
2006-06-18 19:11:35
こんにちは

「忘れまい615」の荘厳なメロディーが頭を過ぎります。

直接、60年安保闘争に関わったわけではありませんが、生き残りの先輩達が「挫折」の中から細々と権力に抗していた時代でした。

6歳上の姉も国会前で座り込みをしていたことなどもあり、東京に住んでいた少年にも人ごとではありませんでした。

ブントは崩壊しましたが、その残党で新ブントというか社学同が再結成されたりしましたが、若者の心の中に出来てしまった空洞は、かなり大きかったことを覚えています。

ベトナム戦争で、世界最強のアメリカに、命を賭して戦い、国を守ったベトナムの人達の行動に比して、60年代には守るべき財産や家庭、会社が既に構築されていた当時の日本の若者達の中に、最後にはそこに逃げ込める何かがあったかも知れませんが・・・。

人それぞれ、その立場で精一杯意思表示する人達は、本当に素晴らしいと思います。

傍から評論家的に批評など出来ません。

そういうボクは、40年間も大組織でヌクヌクしていました。

ひょんなことから知人になった田宮高麿は、北朝鮮で客死しました。

組織人になっているボクは、複雑な心境で、いまだに取り残された感もしています。

今月からサンデー毎日です。







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雲出川さんへ (風月)
2006-06-19 10:31:38
コメント有り難うございます。



私は70年の時に一度デモに参加しました。羽田に行く途中の崖から落ちて友達に助けて貰いました。「危ないから帰ったほうがよい」と言ってくれた友の顔が今浮かびました。



しかしほとんど何もしませんでしたし、過激な運動にはとてもついていけませんでした。



どうして一つに意見がまとまらないのか。

しかし矛盾や不条理なことは常に人間の世界につきまとっています。このことについてどう受けとめるか、そして自分はどう生きるか、長い人間の歴史の中で人間はあがき続けてきたといえましょう。



竹林の七賢人になるか、しかしこの中でも刑死した人もいますし、蘇東坡のように流刑にあっても悠々と生きるか、動乱の中でも坐禅し続けて道を行じた僧として生きるか、選択肢はいくらでもあります。



お互いに人生の終盤を迎え、どう生きましょう。余生とは決して言いますまい。



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