![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/83/5109ec1a7c13e8d28948592947b516dd.jpg)
6月9日(水)雨【潙山も牛になる】 (上の写真は全く牛ではありませんが、ルナです)
宮崎の口蹄疫問題は、少し収まってきたようですが、現地ではまだの感でしょうか。運搬車が口蹄疫の感染経路の一原因という指摘があるそうです。感染した牛を運んだ車で、感染していない牛も運搬したようです。渦中にいると見えないことが多いのですから、外野の関係者(学者の人も含め)は、早くにこのようなことに気がついてくれればよいがと思います。
クールな立場の人を、早くに現地に派遣する体制作りが必要ですね。
さて、潙山霊祐(いさんれいゆう七七一~八五三)という禅僧が唐の時代にいました。馬祖道一(ばそどういつ)の法嗣である百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の弟子になります。潙山は、出身は長渓(福建省福州)。十五歳で建善寺の法常律師のもとで出家しました。杭州(浙江省)の龍興寺で受戒。龍興寺という名前のお寺は各地にあるそうですね。ここで経律を学びました。
ところで、当時、具足戒は20歳を過ぎると受けましたが、戒を受けるには難関の試験に合格しなくてはならなかったのです。具足戒を受けている僧は、経律は当然のこととしてよく学んでいたのです。経典の文字など捨てろというようなことを禅僧の言葉の中に見いだして、勉強しなくていいのだ、と受け取ったら大間違いですね。当時の僧は、さんざん経典も律も論も学んだ揚げ句、文字を離れているのです。
潙山は、二十三歳のとき、百丈懐海の門弟となりますが、百丈は一見して潙山の力量を見抜き、入門を許しています。
元和年間(八〇六~八二〇)の末に、潙山は縁があって長沙府(湖南省)にある潙山に入ります。人里離れたところで、猿たちに混じって、橡栗(とちくり)などを食べて修行生活を続けていたのです。そのうち山下の住民たちがそれを知って、皆でやってきて寺を建ててくれたということです。司馬頭陀(しばづた)という人物が、潙山にある寺の住持探しにやってきて、潙山霊祐の歩く姿を見ただけで「この人物こそ、潙山の山主にふさわしい」と言って、潙山霊祐を選んだ、という話もありますが、これは後の創作のようです。(私は師匠のもとで修行時代、この話を聞いて、歩き方を気にしたことがあります、おかしいですね)
多くの弟子達を育てましたが、いよいよ臨終の頃の上堂で、「わしは死んだ後は、山下の水牯牛となり、脇腹に「潙山僧霊祐」と書いて生まれ変わるだろう。この時、潙山の僧と喚べば水牯牛だし、水牯牛と喚べば潙山だし、さあ、どう喚んだらよいか」などと弟子たちに最後の問答をかけています。
さあ、なんと喚んだらよいのでしょう。この説示は、最後まで弟子たちの頭でっかち、知解からの解放を願っての祖師の置きみやげでしょう。
示寂は大中七年(八五三)一月九日。世寿八十三。法臘六十四。諡号は大円禅師です。
*因みに釈尊は子どもの頃、ゴータマと喚ばれていたそうですが、最良の牛という意味だそうですね。
宮崎の口蹄疫問題は、少し収まってきたようですが、現地ではまだの感でしょうか。運搬車が口蹄疫の感染経路の一原因という指摘があるそうです。感染した牛を運んだ車で、感染していない牛も運搬したようです。渦中にいると見えないことが多いのですから、外野の関係者(学者の人も含め)は、早くにこのようなことに気がついてくれればよいがと思います。
クールな立場の人を、早くに現地に派遣する体制作りが必要ですね。
さて、潙山霊祐(いさんれいゆう七七一~八五三)という禅僧が唐の時代にいました。馬祖道一(ばそどういつ)の法嗣である百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の弟子になります。潙山は、出身は長渓(福建省福州)。十五歳で建善寺の法常律師のもとで出家しました。杭州(浙江省)の龍興寺で受戒。龍興寺という名前のお寺は各地にあるそうですね。ここで経律を学びました。
ところで、当時、具足戒は20歳を過ぎると受けましたが、戒を受けるには難関の試験に合格しなくてはならなかったのです。具足戒を受けている僧は、経律は当然のこととしてよく学んでいたのです。経典の文字など捨てろというようなことを禅僧の言葉の中に見いだして、勉強しなくていいのだ、と受け取ったら大間違いですね。当時の僧は、さんざん経典も律も論も学んだ揚げ句、文字を離れているのです。
潙山は、二十三歳のとき、百丈懐海の門弟となりますが、百丈は一見して潙山の力量を見抜き、入門を許しています。
元和年間(八〇六~八二〇)の末に、潙山は縁があって長沙府(湖南省)にある潙山に入ります。人里離れたところで、猿たちに混じって、橡栗(とちくり)などを食べて修行生活を続けていたのです。そのうち山下の住民たちがそれを知って、皆でやってきて寺を建ててくれたということです。司馬頭陀(しばづた)という人物が、潙山にある寺の住持探しにやってきて、潙山霊祐の歩く姿を見ただけで「この人物こそ、潙山の山主にふさわしい」と言って、潙山霊祐を選んだ、という話もありますが、これは後の創作のようです。(私は師匠のもとで修行時代、この話を聞いて、歩き方を気にしたことがあります、おかしいですね)
多くの弟子達を育てましたが、いよいよ臨終の頃の上堂で、「わしは死んだ後は、山下の水牯牛となり、脇腹に「潙山僧霊祐」と書いて生まれ変わるだろう。この時、潙山の僧と喚べば水牯牛だし、水牯牛と喚べば潙山だし、さあ、どう喚んだらよいか」などと弟子たちに最後の問答をかけています。
さあ、なんと喚んだらよいのでしょう。この説示は、最後まで弟子たちの頭でっかち、知解からの解放を願っての祖師の置きみやげでしょう。
示寂は大中七年(八五三)一月九日。世寿八十三。法臘六十四。諡号は大円禅師です。
*因みに釈尊は子どもの頃、ゴータマと喚ばれていたそうですが、最良の牛という意味だそうですね。
山 牛になる。本当かも…。
仏智浄微妙
無漏無所礙
通達無量劫
経文 読んでいたら肚落ちする(気に入った)語句が見つかりました。
将棋の升田幸三氏が街中で ある僧の歩く姿を見て 何者?と思い調べてみたら 山本玄峰老師だったとか。また合気道開祖 植芝翁は 「歩く姿が武道」といってたそうです。
香風時來
吹去萎華
更雨新者
如是不絶 拝。
私は夢の中で、なにか食べると必ず風邪を引いていました。
彼仏滅度来如是無量劫
如来無礙智知彼仏滅度
及声聞菩薩如見今滅度
風月庵様からの経文 下記の様に区切りをつけて考えました。彼仏滅度來 如是無量劫
如來無礙智 知彼仏滅度
乃声聞菩薩 如見今滅度
み仏のみまかり 遥か
如來の叡智 みまかり知るに
されど菩薩 みまかり今見る
(如來様は叡智を持って仏の滅度を予測して知っていたが 弟子の菩薩達は今仏の滅度を見てます) 仏教漢文知らないので想像して考えました。
粗忽で誠に失礼しました。拝
この如来は大通智勝如来で、遙かな昔(無量劫)に涅槃に入られた如来のことで、その時に多くの声聞や菩薩たちも覚りを得て、涅槃にはいったように、今また一切衆生を救われることが約束されていることが説かれている一節をご紹介させて頂きました。
無限清風來未已さんの「みまかり」の意味を「涅槃」が意味する仏教的な意味に解釈できれば、より深い解釈になるのではないでしょうか。この涅槃は煩悩の火が吹き消された状態、全ての束縛から解放された状態、生命の火が吹き消された死滅の意。ここでは滅度と涅槃は同じに訳してよいよいです。
自分の勉強になりました。有り難うございます。
お釈迦さまの子どもの頃はバラモン教徒だったそうですね。バラモン教徒にとっての牛は神聖なもので、ヒンドゥー教となった今でも牛は食べないと聞きます。
一昨日の夜中、突然もようして目が覚め、直ぐ東司へ。尾籠な話ですが、大きいのをたっぷり出したとき、突然めまいが!
お尻も拭けず、這うようにしてベッドにたどり着くや否や気を失うように眠り込みました。
朝、目覚めることが出来て好かった~~
そんなこんなで、お見舞いが遅くなりました。
年が年ですので、お互いお大切に願います。
念念従心起
念念不離心
ちなみに、ウォシュレットでしたので、布団は汚しませんでした。
おかげさまで有難うございます〓
それといつも言いますが、電子レンジは癌のもとですからお気を付けください。(これはさる自然療法の先生が常々仰有っていることです)
信じない人が多いですが、信じる者は救われる。
法本不滅 云何更有現前。不得成佛道者 佛不應更作佛矣』 “ ”は臨済禅師曰く。 『 』は臨済録が 目に留まりました。近頃、思うのですが 救い 往生 悟り って 永遠を知る(感じる。)事かな?坐禅そのもの称名そのもの が ‘それ’ではないか?
称其名號 即得往生 合掌 拝
電子レンジで料理したもの やはり避けたほうがいいかも。
ただ称名のとき、熱くならないで称えるのでなくては、と思いますが。
〈救い 往生 悟り 〉って、無限清風來未已さんの言葉を借りれば、永遠の而今を感じる事とも言っていいでしょうか。
皆得不退於阿耨多羅三藐三菩提。
過日6/14の丁寧な応答有り難うございました。最後部分に
皆得阿耨多羅三藐三菩提とありました。宿題(公案)を頂いた様に思い、字義だけでもと調べました。【阿耨多羅三藐三菩提】佛智の名。舊訳、無上正偏[ギョウニンベンが真]知。無上正遍道。真正にあまねく一切の真理を知る無上の智慧のこと。『佛所得法。名為阿耨多羅三藐三菩提。阿為【無】。耨多羅為【上】。三藐為【正】。三為【偏】[ギョウニンベンが真]。菩提為【道】。統而譯之。名為【無上正偏[ギョウニンベンが真]道】 新譯、無上正等正覚。真正に平等に一切の真理を覚知する無上の智慧をいう。
Anuttara‐samyak‐sam′bodhi阿耨多羅三藐三菩提
無上正等正覚
かたちなき命(玉城康四郎先生) ということでしょうか。
皆得不退於阿耨多羅三藐三菩提(皆 この上ないかたちなき命 叡智にあって退くことなきを得る。 皆おおいなる命 息 に生かされ いきているを知る、得る、体験する。)この体験するが 只管打坐か。
調べていたら気に入った経文(語句)が見つかりました。
(1)於無上道 終不退転
【 終】の意味がわからず少し困ったけれども.at lastで考えたら(この上なき叡智にあって ついに退くことがない。オオイナル シンジンヲ エタ!)
(2)其聞音者 得深法忍
時間がないということは辛いですね。悠々たる時間を過ごしたいと思って、仕事もやめたのですが、名残の仕事を頂戴したので頑張っています。今日はなんとか予定通りにノルマをはたしたいです。頑張ります。