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自然死のすすめ

2021-08-17 17:11:28 | Weblog

8月17日(火)曇り時々雨【自然死のすすめ】

今日のご葬儀は、弟のように思っていた檀家さんのご葬儀でした。弟と同じ歳でもあり、いつも歯に衣きせぬ、言いたいことを言い合う間柄で、檀家さんの中で、「ちゃん」付けで呼ぶのは、今日の彼だけです。とても素敵な愛妻と、父親思いの二人の息子や可愛い孫たち、可愛い姪たち、頼りにされている弟や姉や、信頼されている近所の人たちに囲まれて、このコロナ禍ですから、家族葬という建て前でしたが、多くの人が会葬に参列なさいました。

しかし、ついこの間まで、ゴルフにも行くことができていて、元気だとばかり思っていたのですが、数カ月前に新聞をもらいに行ったところ、酸素吸入器を家の中でもつけていたので驚きました。でもその時は、ソファに座って、一緒にお茶を飲むことができました。しかし、先月も伺ったときには、もうベッドから体を起こすことができない状態でした。

お医者さんから「手術しなければ、一年しかもたない」と、言われて、手術したのだそうです。それ以来、酸素吸入器を手放すことのできない状態になってしまったのだそうです。

たまたま『中外日報』の「社説」欄を読みました。「自分らしい最期」、中村仁一医師の訃報、が書かれていました。6月5日にお亡くなりになったそうです。この方の『大往生したけりゃ医療とかかわるな~「自然死」のすすめ』(幻冬舎)という著書が紹介されていましたので、今日の檀家さんのことも思い、先週読んだところでした。

第一章 医療が穏かな死を邪魔している の中に、「病気やケガを治す力の中心をなすものは、本人の「自然治癒力」です。」というのが、先生のお考えの大前提にあります。先生は、長い間老人ホームの付属診療所所長をなさっていましたから、その経験が、この本を書かれた裏付けにあります。ほとんどの人が医療の手にかかって、最期を迎える状況に、先生は、それは「自然死」を妨害するものである、とお考えです。

【「自然死」の年寄りはごくわずか】という項目があります。その中に「自然死」はいわゆる”餓死”ですが、なんらの医療措置をしなければ、穏やかな状態で無事に死んでいけると、書かれています。私は、ここで泣いてしまいました。母を病院から連れ帰ってきて、なんらの医療的な処置をしないで、お寺の一室で見送ったのですが、まぎれもない「餓死」でした。嚥下することが一切できなくなってしまいましたので、どうすることもできませんでした。一切の延命処置はいりません、と本人も元気な時に書いていましたのと、私もチューブに繋がれないで、自然に見送りたいと願っていましたが、それでも明日は、やはり点滴をお願いしましょうか、と看護婦さんと相談したその翌朝、母は旅立ちました。母を餓死させてしまった、という自分を責める思いが時々脳裏を横切っていましたが、中村先生のこの一行で救われました。因みに父は、「もう十分」と言った後、十日間何も口にしないで旅立ったそうです。

中村先生は、それでよいのだ、という内容のことをお書きです。

第2章は、「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」です。無理矢理に遺漏をしたりすることは患者にとって悲惨であることや、鼻チューブ栄養の違和感は半端じゃない、ことなどが書かれています。

第3章は、がんは完全放置すれば痛まない、です。そうは言われても何も医療の手にかからない勇気はほとんどの方には無いと思います。早期発見の人の場合は、早期に治療したので、延命できた、という方も多いでしょう。しかし、ステージ4と言われた人で、医療の手にかかって助かっている人を私は、私の周りで残念ながら知らないのです。本師も抗がん剤治療をほどこされた途端に、ほとんどの機能が壊されてしまった、といってよいでしょうか。檀家さんの或る方も、自然療法で好転していたと思っていたのに、すっかり面変わりしてしまっていたので、どうしたのですか、と聞きましたところ、「病院長が、よい抗がん剤があるのだけれど、試さないのは惜しいなあ」と言われてしまい、「惜しいなあ」の言葉に負けてしまった、ということで、その後坂道を転がるように命を落してしまわれました。或る人も、がんの手術をしたというので、「大丈夫ですか」とその顔色の悪さに問いましたところ、「大丈夫です、手術しましたから」と言っていましたが、やはり残念ながら、お葬式をすることになってしまいました。

今や、日本人は2人に一人が癌になると言われています。癌と言われて放置できる勇気のある人はいないでしょう。しかし、私の周りにはこれまた多くの人が、医療を受けないで、自然療法によって、癌と共存している人が多いです。私のお料理の先生も、余命宣告を受けたにもかかわらず、40年以上お料理の先生としてご活躍です。

私も、もし癌と言われたら、食事療法と自然療法を自分で施したいと思っています。20才の時からの筋金入りの玄米菜食と自然療法の実施をやっていますので、中村先生の提唱には、全く賛成です。しかし、多くの方は難しいと思います。ご自分でこのご著書やいろいろとお考えになり、受け入れられるところは受け入れ、ご自分なりの納得のいくやり方で、自分の命の責任者として、取り組んでいただきたいと思います。

第4章 自分の死について考えると、生き方が変わる です。先生は昨年肺がんとわかったそうですが、「死期がわかり準備ができる」と話されていたそうです。私もこのことは実感しています。本師が3か月寝込んでくださいましたので、多くのことを引継ぎや決まりをつけていただく事が出来ました。癌は、脳卒中などの突然死とは違い、死期までに猶予がありますので、生きている間にどうしてもなすべきことをなすことができるでしょう。私も自分の死を考えざるをえない日々ですが、まだ具体的に病気ではないようですが、高齢という厳然とした事実があります。

ここには書けない問題がありますが、それさえクリアできれば、いつお迎えが来ても、ザンネンですが、医療の手を煩わせることなく、「老衰」であの世に旅立ちたいと思っています。

第5章「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける です。

【医者にとって年寄りは大事な「飯の種」】という項目は、お書きになっている人がお医者さんですから、興味深い見解だといえましょう。

大事な檀家さんの一人のご葬儀をつとめさせて頂き、あらためて医療についての一文を書かせていただきました。まことに惜しい人を見送らなければならない今日でした。でも、「もうすぐこちらも、みんな、逝くから、先に逝って待っていてね」と、申し添えました。今夜は一杯飲もうと思います。135ミリのビールにするか、お猪口3杯の日本酒にしようか、と、かつての酒豪は考えています。



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