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道元禅師の和歌-中秋夜のご詠歌

2006-10-07 23:28:25 | Weblog
10月7日(土)満月【道元禅師の和歌-中秋夜のご詠歌】

今夜は御陰様で美しい名月が東の空に顔をお出しになり、夜空をゆっくりと弧を描いて上がっていっている。わずかの雲が皎々たる月光を受けて、空はさらに荘厳さを増している。しばらく今宵の空の気の中にいた。

道元禅師(1200~1253)が最後の和歌をお詠みになったのは中秋の名月であった。
[師入滅中秋夜の御詠歌]
      また見んと思いしときの秋だにも  こよいの月にねられやはする

八月十五夜の月をご覧になられたのは、療養のために上洛し、俗弟子覚念の邸であったといわれている。いよいよ病が重くなり、山深い越前の永平寺では充分な治療もできないので、弟子達や波多野家のたっての勧めに従って、やむなくお山を後にされたことであろう。都にあって名月を眺められている道元禅師の脳裏には、なにが浮かんでいたのだろうか。このとき禅師は自らの死期を悟られていたことだろう。示寂なさったのは同じ月の二十八日のこととされる。

また見られるだろうと思ったいつもの秋でさえ眠れなかったのに、これが今生見納めの名月かと思うと、どうして寝ていることなどできようか。(いや寝ていることなどできはしない)

私はこのように今は訳しているが、上の句の訳については異論のある方もいるかもしれない。ご意見を頂ければ有り難い。

良寛様(1758~1831)の最晩年のお歌にも「いさ歌へ我たち舞わんぬばたまの今宵の月にいねらるべしや」というのがある。ご最期を悟られた良寛様も、秋祭りの村人の歌にあわせて、月の中で踊っているのである。いかにも良寛様らしい感じがするお歌である。良寛様は道元禅師の中秋夜の絶詠を思い浮かべながら、このお歌を詠まれたのではなかろうか。良寛様はこのお歌を詠われてから数ヶ月後にご遷化された。

我が本師が最後の名月をしばらくご覧になっていたお姿も思い出される。もしや道元禅師のお歌を思い浮かべていらしたかもしれない、と今は思う。誰にでも訪れる最期のとき、どんな思いで名月を眺めるであろうか。願わくばこの中秋の名月を、最後と悟って旅立ちたいものだ。その時道元禅師や良寛様や本師のお心を万分の一ぐらいは分かるかもしれない。

幾片かの雲が飛んでいて、空が澄んでいるのをかえって強く感じられる。頭上の月光は地上にまで届きそうである。開いた両の手のひらまで光のなかである。どの家にも月の光がそそがれるように、へだてなく訪れる最期の日がいつかはくることを、こんな月の光の中で静かに感じている。もし近く旅立つ人あらば平安を祈ります。

*今日は陰暦の八月十六日ですが、満月は今夜のようです。昨日の台風による雨風のなかの満月でなかったこと、よかったです。
*良寛様の時代には面山瑞方(1683~1769)の校訂した道元禅師和歌集として『傘松道詠』が流布していた。刊行は延享四年(1747)である。
*『大法輪』に書かせていただいた拙稿をもとにまとめました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うさじいさんへ (風月)
2006-10-09 19:16:55
お母様のこと、覚悟しているとはいえ、いざその時となると、なんとも言えないお気持ちと存じます。



今夜も月の光は美しいようです。まもなく見える頃です。お母様の寝ていらっしゃる窓からも見えるとよいのですが。



余命僅かと言われたにもかかわらず、よく今まで持ちこたえてくださったものです。もう少し皆さんの、特にうさじいさんの行く末を見ていたかったのでは。



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月の光 (うさじい)
2006-10-09 08:15:42
>頭上の月光は地上にまで届きそうである。





朝起きた時、表の電気を消す忘れたかと思うくらい明るいときが有ります。

それが月光と気付き表に出ると、その光に浮かび上がる景色は幽玄の世界で、暫く時を忘れて見入ってしまう事があります。





>もし近く旅立つ人あらば平安を祈ります





母がMRSAに感染して、いよいよ死の危険が増してきました。私が怪我で入院中に、同じ病院に入院していた母の担当の医者から、年内と言われたのが5年前。良くぞ持ちこたえたものです。



俳句や短歌、また文章を書くことが好きだった母にも清澄な月の光をもう一度見せてやりたいと思っております。

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