風月庵だより

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川崎の事件に思うー罪を犯せし人の親の願い

2006-04-07 23:45:10 | Weblog
4月7日(金)【川崎の事件に思うー罪を犯せし人の親の願い】

小学三年生の少年、山川雄樹君はその命を一瞬にして奪われてしまった。先月20日の午後、少年の住むマンションの15階から落とされてしまったのである。その犯人、今井健詞(41)が自ら出頭してから一週間ほどがたつ。(4月2日自首)
 
私は雄樹君のために一文を捧げたいと願ったのであるが、なかなかに書きすすめることができなかった。テレビに映し出される元気な坊やの姿に、心から胸が痛い。なんの科もない幼い子を傷めるようなむごいことを、人間が、どうしてできるのであろうか。

雄樹君の親御さんたちはどんな思いで今夜も過ごしていることだろう。

このようなむごい果を引き起こした原因は何であるのか、なんとか解明はできないものであろうか。おそらく幼児期や少年期まで遡る必要があるのではなかろうか。バブルの前頃までこのような事件はほとんどなかったのではと推察する。

このような無差別な事件を犯した犯人の幼児期や少年期を、調査してその結果を公表することはできないものであろうか。社会が共有する警鐘として、調査結果を公表したらどうだろうか、と考える。二度とこのような事件が起こらないように、社会全体でなんとかくい止めることはできないものだろうか。被害者は全ての人であり、加害者も全ての責任と認識することはできないだろうか。

親や周りが、なんでも、子供の言いなりになっているようなことではいけないだろう。なんでも思い通りになると思っていた子供が、やがて大人になって自分の思う通りにならなくなると、精神のバランスを欠いてしまうこともあろう。10歳までに、人生は自分の思い通りにならないことを、教えることは大事だろう。食事についても、出来る限り、家の手料理を食べさせるようにしてあげることが大事だろう。攻撃的なテレビゲームも、子供の脳を破壊しているように思えてならない。等々、社会が注意するべきいくつかのことが考えられる。被害者はいうに及ばず、加害者も実は被害者ではなかろうか。

それにしても犯人には、三人の子どもさえいるというが、その子たちはこれからどうやって生きていけばよいのだろうか。お父さんが殺人者となってしまって、彼等の苦しみはいかばかりか、気の毒でたまらない。今頃どんな思いで過ごしているのだろう。

私は変なことが気になっているのだが、それはこの犯人の名前である。特に健詞の「詞」の字である。言偏の詞はあまり名前に使われない字ではなかろうか。おそらく姓名判断で、良い画数と言われる画数にあわせて使われたのではないだろうか。親はどんなにか我が子に幸せな人生を送ってもらいたいと願ったことだろう、と私は想像するのだ。健康な子に育ってほしいとも願ったのだろう。
まさか殺人者になろうとは夢にも思えなかったであろう。

帰りの電車の中で、ベビーカーの中で、すやすやと寝入っている赤ちゃんに会った。ベビーカーにかけてある蒲團から、ちょこっと小さな掌を丸めて出しているのが、なんとも言えず可愛らしくて思わず笑みがこぼれてしまった。

犯人にも、この赤ちゃんのように可愛らしいときがあったに違いない。親は、この子に優しい人になってね、と願ったときもあったに違いない。しかしその親の愛のどこかに、このような犯人をうんでしまう萌芽があったのかもしれない。むごいようであるが、遡ってそこまで考えることが必要なのではないだろうか。このような事件が起こる度に何時でも思うことである。子供に幸せになってもらいたい、と願ったに違いない犯人の親の願いを考えると、辛いものがある。なぜこんなことをしてしまったのだろうか。

雄樹君の冥福を心から願っている。元気な命の火を次の命にバトンタッチして、もう一度人生を楽しんで貰いたい。輪廻転生があってほしいものだ。明日は釈尊の降誕會である。

住光子著『道元』について

2006-04-06 17:14:23 | Weblog
4月6日(木)晴れ【住光子著『道元』について】

3月22日のブログにご紹介した住光子著『道元-自己・時間・世界はどのように成立するのか』(NHK出版)について、紹介した以上もう少し補足しなくてはならない。特に疑問のある数箇所について述べたい。

住氏の坐禅のとらえ方として、その54頁に「禅宗においては、坐禅、すなわち、呼吸を調節しながら一定の姿勢をとっておこなう瞑想の修行が重視されたのであるが」との記述がある。道元禅師の坐禅は瞑想とは異なる。どのように異なるかの説明がいるところであるが、簡便に説明ができないのでご容赦願いたい。とにかく目を瞑って、いろいろと想像をめぐらすような瞑想ではない、ということを明記したい。

また12頁に「『正法眼蔵』は弾圧と都落ちという、通常の修行生活がままならない苦難の日々のなかでもっとも盛んに書かれている。」とあるが、「弾圧と都落ち」はさておいて、道元禅師にとって修行生活ならざる生活があったのであろうか。何処にあっても、何時であっても、どのような状況にあっても、道元禅師にとっては、修行生活でない生活はなかったのではなかろうか。修行を「通常の修行生活」というようにパターン化することはできない。

坐禅についても修行についても、道元門下としては、住氏のように安易にはとらえられない重要なキーワードである。

またこの書の根底にあるのは、47頁にもあるように、「仏教、とりわけ大乗仏教の基本教説であり道元思想の中心軸でもある無自性-空の立場」のように道元禅師の思想をとらえているのであるが、果たしてこのように断定することは可能であろうか。

曹洞宗総合研究センターから出された『宗学研究紀要』17号に掲載された金子宗元氏の論文には、道元禅師は「空思想の弊害である「撥無因果」を批判する為に、空思想をも批判する」」立場をとっていると書かれている。

筆者も「深信因果」巻を殊に参究したが、金子氏の論文によって理解を深めることができた。道元禅師は因果を撥無するような空思想に対しては批判の立場をとられている。

『正法眼蔵』の注釈書として、住氏の注釈も含め、幾人かの先人の書が世に出ている。それら注釈書をみてみると、それぞれ異論を唱えられる箇所や、注釈者の視点自体根底から反論を唱えられるものもあるだろう。はたしてどの注釈書がもっとも正しいものであるか、判定することは非常に困難なことであろう。

私のブログをご覧下さった方に対して、紹介した責任として上記のことを補足させて頂いた次第である。私としては住氏の注釈に対して疑問もあるが、さらに学ばせていただきたい視点も多々ある。他を批判することは容易いが、他に批判されるようなものを、世に提供することは誰にでも出来ることではない。違う視点があるからといって、即批判排除するようなことは避けたい。


桜そして坂口安吾

2006-04-03 15:06:05 | Weblog
4月2日(日)曇り【桜そして坂口安吾】

今日のご法事は、某出版社でご活躍なさっていた方のお家であった。
私が尼僧だからであろうか、瀬戸内寂聴さんの小説に対しての意見を求められた。瀬戸内さんが晴美であった頃の小説を数編読んだことはあるが、私には瀬戸内さんが描くような私小説は、小説家自身の不倫を正当化するように思え、その相手の家族の辛さを思うとあまり面白いとは思えなかった。文学としての評価は私には分からない。

小説に行き詰まったから出家したんでしょうかな、とその方は言われた。私には分からない。私自身の出家の理由にしてから、いくつかの要因が重なり合っている。いずれにしても出家なさってからの寂聴さんによって、多くの迷える人々が癒されているということがある。それは小説家であった瀬戸内さんの魅力と重なっていることもあるだろう。文学者としての評価はさておいても、女流文学者として華やかな一時期を送った人である。あの和服の似合った姿と、今の尼僧の姿がオーバーラップして、尼僧である瀬戸内氏を一際際だたせているように感じる。

今日あたりは桜が丁度見頃の季節。桜と言えば坂口安吾の『桜の森の満開の下』を思い出す。桜から自然と安吾の話になった。編集部員として駆け出しのころ、安吾によくお酒を飲ませて貰ったそうである。羨ましい話だ。私は、大学時代、数人の友人で安吾会なるものを作っていたことがある。安吾に傾倒していた一時期があった。今でも本屋の店頭に安吾特集が出ていたりすると、思わず買ってしまう。

戦後の文壇において、坂口安吾は太宰治と並んで無頼派の代表的作家である。(一概に同じ無頼派とはいえないが)安吾の「文学のふるさと」に次のような一文がある。「モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思いません。むしろ文学の建設的なもの、モラルとか、社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思うものです。」これは戦前に書かれたものである。『桜の森の満開の下』はこの文学論通りの作品といえよう。これは昭和22年に発表された。

この内容については、短い作品であるから興味のある方はご一読を。満開の桜の木の下には死体が埋まっていて、満開の桜は、人間をして狂気に誘う妖気に満ちたものとして描かれている。山に住む盗賊が、都から妻にしようとして美しい女をさらってくる。ところが支配者と思っていた盗賊が、逆にこの女に命じられて、次々に殺人を犯していくことになる。そしてついに、盗賊は女を殺さなければならないことに気づくのである。

この作品は安吾の代表作である。人をして不思議な世界に引きずり込み、安穏としていることを許さない厳しさがある。桜といえば美しいとする既成の概念をズシンと殴りつけられる。その上で、やはり桜は美しいことを否定できない世界にひきずりこまれるのである。安吾の言うところの文学の〈ふるさと〉を少し理解できるような気がする。が、今の私にはこれ以上文学について、考える力がない。しかし無頼の定義は、私なりにしておかねばならないだろう。

既成の秩序やモラルのように、自由を束縛している一切の観念や行為を突き破ること、というのはどうだろう。その結果、無法なことに、自らを敢えて投げ出すことになるのではないか。自らをまず無にして、そこから構築し直し、束縛を解き放とうとする姿勢は、仏道修行と通じるものがあるようにさえ思える。安吾の言葉の中に無頼の説明を見いだせると良いのだが、すっかり安吾の文学からも遠ざかっているので、すぐには見いだせない。どなたかのお教えを頂ければ有り難い。

安吾には、お金がなくても若い人を引き連れて、お酒を奢るだろうということをイメージできるが、太宰にはそれがない。果たして今日の法事の施主であるこの家の主人公も、よく飲みに連れて行ってもらったそうである。私は森敦や白洲正子などは好きな作家・随筆家だが、それを言うと、「本物だろうな、安吾は本物の作家のことを、ほんもの、と言ったものだよ」と教えて下さった。「本物」とは嬉しい言葉であるが、安吾が「本物」と折り紙をつけた作家はどんな作家であったのだろうか。

本物と言えば、安吾こそは本物の無頼の作家であったろう。「このごろは作家も皆、良い家に住んで、昔のような作家はいなくなりましたな。」とその家の主人公は感慨深げに言われた。安吾が生きたころの作家たちが書いた日記や、私小説などを読むと、貧乏は作家の代名詞のようで、貧乏文士という表現は作家の称号のようなものだったろう。たしかにこのごろの作家さんたちには優雅なイメージと、社会にうまく迎合している観がある。無頼に生きようとする作家も少ないだろうし、無頼な作家たちの生きられる余地が、現代の文学界には無いのかもしれない。このような見方は果たして私の無知であろうか。

文学界に拘わらず、社会に無頼の者が生きられる領域は少なくなっているだろう。安居ほどの徹底さは無論言えないにしても。それでどうなのだということになるが、私本人には到底生きられない世界なので、偉そうなことは言えない。安吾は「人間は堕ちぬくためには弱すぎる」と『堕落論』の中で言っているが、私などはその典型である。ほどよく生きるしかない。

あまり長居もできないのでお暇をしたが、本当に久しぶりに文学の話を聞かせてもらえたので、嬉しかった。出家してからは特に、周りに文学を語る人はいない。この法事の帰りの途で、満開の桜並木の下を通った。歩道を歩くのとは違い、桜並木のアーチの真下を走り抜けていくのが、なんともいえず心地好かった。そして薄墨色の空が、こんなにも満開の桜にふさわしいものだと、はじめて気がついたのだった。
しかし今夜の雨で散ってしまうかもしれない。桜はなんと人の心を騒がせるのだろう。

*文学の世界のことを臆面もなく書きまして、ご容赦。

*『桜の森の満開の下』の安吾のイメージはソメイヨシノであろう。ソメイヨシノは江戸の末期ごろ染井村(今の豊島区駒込あたり)で発見されたという。いつ頃から存在した品種かは分からないが、そう古いものではないようである。エドヒガンとオオシマザクラの交配種といわれる。

*禅門で花といえば梅を指す。

*落語界に「無頼派」と名乗る会が、古今亭志ん輔師匠たちで創られている。はたしてどんな無頼なのか。▲無骨派の間違いでした。


道元禅師の和歌その2ー坐禅の和歌

2006-04-01 13:33:32 | Weblog
4月1日(土)晴れ【道元禅師の和歌その2】

「この心あまつみそらに花供ふ 三世のほとけにたてまつらなむ」

道元禅師の和歌集の伝承本としては、原初本に近い系統の書写本、『建撕記』に所載された系統、面山開板の流布本の系統、単独伝写本の系統をあげることができる。現時点では16種類ほどが数えられる。その中で面山瑞方(1683~1769)が開板下した流布本では、この和歌に「坐禅」と題をつけている。

伝承本によっては、語句に多少の違いがあり、上の句も「空にも」と「みそらに」とあり、下の句を「たてまつらばや」としたものもある。

この心は天に捧げる花、三世の諸仏に奉る花であるという。「この心」とはどのような心をいうのであろうか。 実は「この心」というのは坐禅そのものをいう。そのように解釈できる根拠はどこにあるかというと、道元禅師の『永平広録』の中に、それを見出すことができる。
〈原文〉
上堂。云。記得。先師天童住天童時、上堂示衆曰、衲僧打坐正恁麼時、乃能供養尽十方世界諸仏諸祖。悉以香華・燈明・珍宝・妙衣・種種之具恭敬供養無間断也。(中略)師云、永平忝為天童法子、不同天童挙歩。雖然一等天童打坐来也。如何不通天童堂奥之消息。且
道、作麼生是恁麼道理。良久云、衲僧打坐時節 莫道磨塼打車、供養十方仏祖、妙衣・珍宝・香華。正当恁麼時、更有為雲為水示誨処麼。顧視大衆云、凡類何能聞見及、自家一喫趙州茶。
                         『永平広録』巻七 522上堂
〈訓読〉
上堂。云く。記得す。先師天童、天童に住せし時、上堂し衆に示して曰く、「衲僧打坐の正に恁麼の時、乃ち能く盡十方世界の諸仏諸祖を供養す。悉く香華・灯明・珍宝・妙衣・種々の具をもって恭敬供養すること間断なし。(略)」師云く、永平忝くも天童の法子となって、天童の挙歩に同じからず。然りと雖も一等に天童と打坐し来る。如何が天童堂奥の消息に通ぜざらん。且く道え、作麼生か是れ恁麼の道理。良久して云く、衲僧打坐の時節、磨塼打車は道うまでも莫く、十方の仏祖に妙衣・珍宝・香華を供養す。正当恁麼の時、更に雲の為、水の為示誨の処有りや。大衆を顧視して云く、凡類何ぞ能く聞見に及ばん、自家一たび趙州の茶を喫せん。

傍線部のみ少し注釈してみると、
如浄禅師は言われた。「衲僧がひたすらに坐禅するまさにその時、盡十方の諸仏諸祖を供養するのである。絶え間なく香華・灯明・珍宝・妙衣・種々の具をもって敬い供養しているのである」と。それをうけまして道元禅師も「私がひたすら坐禅する時は、磨塼打車はいうまでもなく、盡十方の仏祖に妙衣・珍宝・香華を供養することです。」と言われている。

道元禅師も言われるように、如浄禅師の法嗣ではあるが、まったく同じというわけではなく、この語についても微妙な違いがある。つまり、如浄禅師は坐禅は仏祖への供養と言われるが、道元禅師は更に進めて、坐禅は仏祖に供養する妙衣・珍宝・香華そのものであると言われているのである。

「この心」を「真の心」とか「清い心」などと受け取るのは間違いとさえ言えよう。心情的な解釈は道元禅師の和歌には通用しないのである。禅師は美しく優しい言葉を使われるが、実は揺るぎない力強い仏道の世界を詠いあげているのだ、と私は読み解く。禅師の和歌は和歌だけから解釈しようとすると、充分でないだろう。

『天聖広燈録』という書物の中には、須菩提という釈尊の弟子が巌の中で坐禅をしていたら、梵天(『碧巌録』のなかでは帝釈天)が花の雨を降らせたという話がある。それに対して道元禅師は、この坐禅の姿そのものが三世の仏に奉る花だという。うっかり間違えると、坐禅をして神通力を得られるのではないか、というような考えをしている人がいるかもしれない。梵天が花の雨を降らせるほどのものだ、それはすごいと感心するかもしれない。

道元禅師が言われるのはそうではなく、私自身の坐禅が三世の諸仏に捧げる花だというのである。龍樹の名は「つらつら日暮らし」和尚のブログに最近紹介された「道元禅師最後の説法」の531上堂にも出てくるように、道元禅師は龍樹(2、3世紀頃の人)を深く学んでいるはずである。龍樹の『中論』に説かれる空観を学んでいる道元禅師にとっては、坐禅こそは空そのものの体現に他ならない。瞑想とは全く違うのである。

しかし、坐禅は三世の仏に供える花である、このように美しい言葉で詠まれると、坐禅を行じる者としてはいかにも嬉しいかぎりではなかろうか。足の痛さも忘れるようにさえ思
う。そして坐禅こそは空そのものの体現に他ならないとしたら、習禅ということはなく、どの坐も、誰の坐も三世の仏に供える坐である。 

全ての人、一人一人の坐禅が、三世の仏に捧げる花。この世にこうしていただいている命の不思議。その命に坐りきろう。命は儚いものではあるが、「儚いままに永遠だ」と私の本師、余語翠巌禅師はよく言われた。永遠の命に、而今、此処に坐りきる。
お互いにただ自らのまことを尽くして生きていこう。坐禅は三世の仏に奉る花なのである。

*522上堂の語をこの和歌の解釈の裏付けとして、秋田県龍泉寺の佐藤俊晃先生が指摘なさった。

*趙州(778~897)の「喫茶去」の意味は「お茶でも飲んで出直して来い」という厳しい接化(教え)であり、「お茶でも飲みなさい」というようなやさしいものではない。駒澤大学の石井修道教授の著書にある。

*「空」については、私の頭ではとても理解し切れません。フクロウ博士のブログ「梵音」でそのうちお書きいただけると思います。また私なりに学んでみます。理解できた範囲を努力していつか書かせていただきます。フクロウ博士の教えを受けながら。

*フクロウ博士のコメントを頂きましたのでここに掲載させて頂きます。
 空 (声聞(Dr. Owl)) 2006-04-02 20:29:27

AはAではなく、BはBではなく、AとBの区別も成り立たないという、自性空の視座から見ると、「坐禅を行じる人」(主体)も「行じられる坐禅」(対象)も「行じる」ということ(行為)も存在しないということになります。ですから、「私(主体)が坐禅(対象)を行じる(行為)」という認識における、自性を立てる坐禅は、空の体現としての坐禅にはならないと言えるでしょう。空の体現としての坐禅とは、「私」が脱落しており、「坐禅」が脱落しており、「行じる」ことが脱落している、無自性の坐禅のことを言うのではないでしょうか?。

『金剛般若経』に〈諸菩薩摩訶薩応如是生清浄心。不応住色生心。不応住声香味触法生心。応無所住而生其心〉とあります。有名なくだりですね。色声香味触法の六境は私たちが把捉し得るすべての対象のことを言います。感覚器官(眼耳鼻舌身)の対象(色声香味触)だけではなく、脳みそ(意)が把捉する対象(法)も含まれています。心があらゆる対象にとどまることなく、心が生ずるということを説くのが前引の句です。「私」「坐禅」「行ずる」といった観念にとどまらずに、坐禅をする(心が生じる)といのが、空の体現としての坐禅なのではないかと思います。

先ほどの補記 (声聞(Dr. Owl)) 2006-04-03 00:16:52

先ほどの補記です。

『従容録』「第七十四則法眼質名」に

金剛經云。應無所住。而生其心。無所住者不住色不住聲。不住迷不住悟。不住體不住用。而生其心者。則是一切處。而顯一心。若住善生心則善現。若住惡生心則惡現。本心則隱沒。若無所住。十方世界唯是一心也。

とあります。「無所住」というのは、色・声・香・味・触・法にとどまらないことであり、迷い・悟りにとどまらないことであり、体や用にとどまらないことであると述べられています。「而生其心者」とは、対象に限定を設けないところ(一切処)に一心が顕現するということであると説明されています。そして、対象に限定を設けて心が生じれば、すなわち、善にとどまって心が生じれば善が現れ、悪にとどまって心が生じれば悪が生じ、本来の心(一心)は隠没してしまうのであり、対象に限定を設けずに心が生じれば、十方世界はただ「一心」のみとなるのであると説かれています。空の体現としての坐禅とは、この「一心」の顕現としての坐禅であると考えます。

*磨甎打車については、また別の機会に書かせてください。