通勤の駅までの間、よく犬の散歩を見かけることがある。先日私の10mくらいを前を年配の男性が犬を連れて歩いていた。その男性が突然、前方に向かって「イヌの糞、始末して行きなさい!!」と大声で叫んだ。私はハッとして目を上げる。私は気づかなかったが、そのさらに10m先を若い女性が小さな黒っぽいイヌを散歩させていた。たぶん犬の糞を始末しないまま立ち去ろうとしたのだろう。注意された女性は布のバックからティッシュを取り出し、しぶしぶその糞を包みビニール袋に収めた。やがて男性が女性の傍を追い抜く。その時一言、「あなたのような事をする人がいるから、我々も疑いの目で見られてしまうんだよ!」 女性は黙ってうつむいたままであった。
人は見られているいないでその行動を変えることがある。社会のルールを厳格に守ることは面倒なことで、できれば自分勝手にやりたいと思うものである。信号無視タバコのポイ捨てなど、マナー違反が当たり前になってくると、しだいに後ろめたさがなくなってくる。そしてそれがさらにエスカレートしてくると、万引きや置き引き不正乗車と犯罪の域にまで進んでいくのかも知れない。会社の仕事上でもこの手の行為は日常茶飯事である。特に外回りが基本の営業職に激しい。営業先に行ったことにしてサボることは誰でもやることだろう。たまに気が向かないからサボったとしても、そこに後ろめたさや罪悪感が働けばまだ良い方である。しかしそれが恒常的になって自制心が働くなると、行ってもいないのに交通費を請求したり、さらにエスカレートして空出張や家族との飲食代まで会社経費で落とすようになってしまう。そうなればもう不良社員というか詐欺行為である。
今まで仕事上で多くの営業担当者と接してきた。長い経験から営業の人と何回か話しているうちに、大体の営業のスタンスが分かるようになる。手を抜かず誠心誠意仕事をする人、何時もオドオドして営業に不向きない人、口先だけで要領よくやろうとする人、営業と言う職を良いことに公私混同が激しい人、営業のタイプも千差万別である。そんな中でも要領が良く不正な行為が多い人は雰囲気で分かる。彼らに共通する気配は「姑息」である。人と目を合わせない。何時もあいまいににして自分の行動をオープンにしない。適当に人と話をあわせるだけで自分の考えをはっきり言わない。ざっくばらんに話しているように見えて、なんとなく嘘っぽく胡散臭い。人の性癖はその人の言動や物腰に必ず出てくるものである。そして長い間に、その人の評価が定まり信頼度が決まってくる。
人は聖人君子ではないから嘘をついたり、時に不正を働くかもしれない。しかしどこかでブレーキが効かないとどんどん安きに流れてしまう。人が見ているから、見ていないからは外的な歯止めである。それだけが行動を左右するのであれば、その人は人の目を盗むようになる。人生の道を運転していくとき、自分の心の中にブレーキ装置を持っておく必要があるだろう。「人には迷惑をかけたくない」、「金銭的にはキチッとしておく」、「人に借りたものは必ず返す」、「人との約束は守る」、「ズルはしない」、「嘘はつかない」、どこでどんなブレーキをかけるかは人それぞれである。漫然とそれらを意識しておくのではなく、何か一つでも良いから自分に課せた「掟」のようにしておけば、その人には1本筋が通ったように感じることができる。そんな人を見ると芯があるように思い信頼できるものである。
人は見られているいないでその行動を変えることがある。社会のルールを厳格に守ることは面倒なことで、できれば自分勝手にやりたいと思うものである。信号無視タバコのポイ捨てなど、マナー違反が当たり前になってくると、しだいに後ろめたさがなくなってくる。そしてそれがさらにエスカレートしてくると、万引きや置き引き不正乗車と犯罪の域にまで進んでいくのかも知れない。会社の仕事上でもこの手の行為は日常茶飯事である。特に外回りが基本の営業職に激しい。営業先に行ったことにしてサボることは誰でもやることだろう。たまに気が向かないからサボったとしても、そこに後ろめたさや罪悪感が働けばまだ良い方である。しかしそれが恒常的になって自制心が働くなると、行ってもいないのに交通費を請求したり、さらにエスカレートして空出張や家族との飲食代まで会社経費で落とすようになってしまう。そうなればもう不良社員というか詐欺行為である。
今まで仕事上で多くの営業担当者と接してきた。長い経験から営業の人と何回か話しているうちに、大体の営業のスタンスが分かるようになる。手を抜かず誠心誠意仕事をする人、何時もオドオドして営業に不向きない人、口先だけで要領よくやろうとする人、営業と言う職を良いことに公私混同が激しい人、営業のタイプも千差万別である。そんな中でも要領が良く不正な行為が多い人は雰囲気で分かる。彼らに共通する気配は「姑息」である。人と目を合わせない。何時もあいまいににして自分の行動をオープンにしない。適当に人と話をあわせるだけで自分の考えをはっきり言わない。ざっくばらんに話しているように見えて、なんとなく嘘っぽく胡散臭い。人の性癖はその人の言動や物腰に必ず出てくるものである。そして長い間に、その人の評価が定まり信頼度が決まってくる。
人は聖人君子ではないから嘘をついたり、時に不正を働くかもしれない。しかしどこかでブレーキが効かないとどんどん安きに流れてしまう。人が見ているから、見ていないからは外的な歯止めである。それだけが行動を左右するのであれば、その人は人の目を盗むようになる。人生の道を運転していくとき、自分の心の中にブレーキ装置を持っておく必要があるだろう。「人には迷惑をかけたくない」、「金銭的にはキチッとしておく」、「人に借りたものは必ず返す」、「人との約束は守る」、「ズルはしない」、「嘘はつかない」、どこでどんなブレーキをかけるかは人それぞれである。漫然とそれらを意識しておくのではなく、何か一つでも良いから自分に課せた「掟」のようにしておけば、その人には1本筋が通ったように感じることができる。そんな人を見ると芯があるように思い信頼できるものである。