会社(親会社)の女性社員が、上司の男性社員を「使えない男!」とぼろくそに批判している。彼女にその理由を聞いて見ると、こういうことである。
その上司は臆病な性格からか仕入先や女性社員には対等に話せても、得意先や先輩社員に対しては対等に話ができない。だから相手に対して阿る(おもねる)ことでコミュニケーションを取ろうとする。そういうスタンスでは難しい局面になると腰が引けてしまう。仕事でトラブルがあれば女性社員を使って、「○○さんに事情を聞いておいて・・」、「○○さんに今聞いた事を伝えといて、・・」、と直接のコミュニケーション避けてしまう。母親の後ろに隠れる子供のようで、こういう男性は女性にとって「使えない男」の代表例なのである。
もう一つ、会社を辞め結婚し、今は2児の母になっている女性(30代)の話である。今年のお正月、子供2人を連れて旦那の実家がある福岡県に帰った。何泊かして東京に帰る段になって旦那は熱を出してしまう。福岡空港まで出てきたが高熱でフラフラの状態、仕方なく空港の医務室に駆け込んだ。幼い子供を連れ、荷物も沢山抱えて彼女は途方にくれてしまう。その時思わず自分の旦那を、「使えない奴」と思ったそうである。冗談半分で私に言ったのであろうが、ある意味彼女の偽らざる気持ちなのであろう。結婚して子供もでき何年も経てば夫に対する愛情も薄れてくる。家庭を切り盛りし子供を育てることが最優先の課題、そんな時の女性にとっての男の価値は、自分にとって使い勝手が良いか否かであろう。重い荷物を持ってくれ、切れた電球を変え、朝ゴミ出しをしてくれる。そんな旦那は使い勝手が良い男。旦那の実家に行って、ここ一番でダウンしてしまい役に立たない旦那、彼女にとっては「使えない奴」なのである。
最近何人もの女性から、「あいつ使えねぇ~」という言葉を聞いたことがある。いづれも30代の女性で、彼女達の世代ではそんな言葉が流行になったのだろうか?と思ってしまう。女性も20代と違って30代になれば、一応男を立てているが、仕事でも家庭でも日常的な仕事はイニシアティブを持つようになる。そんな女性が男性に求めるものは、自分達が苦手なことをホローしてくれる男性である。
世の中では建前として男女平等と言われえていても、動物としての雌雄がある以上、その役割や得て不得手に差異が生じるのは自然なことである。有史以前から女はを家を守り、男は外から餌を運び、いざとなれば敵と戦い家族を守る。これがホモ・サピエンスにインプットされている本能なのであろう。しかし人間社会の急速な発展は、そんな本能による秩序を排除し、意識の上で男女のボーダレス化が進んでいった。しかしどっこい本能は生きている。そして女性が男性に求める価値の中に、「強くたくましい」と言う要素は依然として残っているのである。だからそれが欠けてしまうと「使えない男」と烙印を押されてしまうのかもしれない。
女性は自分達が生きていく上で、如何に上手く男性を使うかがテーマなようである。以前、ある芸者さんの話が載っていたエッセイを読んだことがある。曰く、「女は同時に3人の男を愛することができる。一人は今のスポンサーである旦那。2人目は、もし旦那に万一があった場合のスペアーとしての男、そして3人目が自分を庇護してくれるか否かに関わらず、本当に好きになった相手」、と書いてあった。それを読んだとき「女性はなんと打算的なのだろう?」と思ってしまった。しかし翻って考えて見れば、男も女も基本的にはジコチュウな生き物である。自分にとって必要な相手かどうかで、好きにもなり嫌いにもなって行く。これが人間が動物としての証のようなものかもしれない。
その上司は臆病な性格からか仕入先や女性社員には対等に話せても、得意先や先輩社員に対しては対等に話ができない。だから相手に対して阿る(おもねる)ことでコミュニケーションを取ろうとする。そういうスタンスでは難しい局面になると腰が引けてしまう。仕事でトラブルがあれば女性社員を使って、「○○さんに事情を聞いておいて・・」、「○○さんに今聞いた事を伝えといて、・・」、と直接のコミュニケーション避けてしまう。母親の後ろに隠れる子供のようで、こういう男性は女性にとって「使えない男」の代表例なのである。
もう一つ、会社を辞め結婚し、今は2児の母になっている女性(30代)の話である。今年のお正月、子供2人を連れて旦那の実家がある福岡県に帰った。何泊かして東京に帰る段になって旦那は熱を出してしまう。福岡空港まで出てきたが高熱でフラフラの状態、仕方なく空港の医務室に駆け込んだ。幼い子供を連れ、荷物も沢山抱えて彼女は途方にくれてしまう。その時思わず自分の旦那を、「使えない奴」と思ったそうである。冗談半分で私に言ったのであろうが、ある意味彼女の偽らざる気持ちなのであろう。結婚して子供もでき何年も経てば夫に対する愛情も薄れてくる。家庭を切り盛りし子供を育てることが最優先の課題、そんな時の女性にとっての男の価値は、自分にとって使い勝手が良いか否かであろう。重い荷物を持ってくれ、切れた電球を変え、朝ゴミ出しをしてくれる。そんな旦那は使い勝手が良い男。旦那の実家に行って、ここ一番でダウンしてしまい役に立たない旦那、彼女にとっては「使えない奴」なのである。
最近何人もの女性から、「あいつ使えねぇ~」という言葉を聞いたことがある。いづれも30代の女性で、彼女達の世代ではそんな言葉が流行になったのだろうか?と思ってしまう。女性も20代と違って30代になれば、一応男を立てているが、仕事でも家庭でも日常的な仕事はイニシアティブを持つようになる。そんな女性が男性に求めるものは、自分達が苦手なことをホローしてくれる男性である。
世の中では建前として男女平等と言われえていても、動物としての雌雄がある以上、その役割や得て不得手に差異が生じるのは自然なことである。有史以前から女はを家を守り、男は外から餌を運び、いざとなれば敵と戦い家族を守る。これがホモ・サピエンスにインプットされている本能なのであろう。しかし人間社会の急速な発展は、そんな本能による秩序を排除し、意識の上で男女のボーダレス化が進んでいった。しかしどっこい本能は生きている。そして女性が男性に求める価値の中に、「強くたくましい」と言う要素は依然として残っているのである。だからそれが欠けてしまうと「使えない男」と烙印を押されてしまうのかもしれない。
女性は自分達が生きていく上で、如何に上手く男性を使うかがテーマなようである。以前、ある芸者さんの話が載っていたエッセイを読んだことがある。曰く、「女は同時に3人の男を愛することができる。一人は今のスポンサーである旦那。2人目は、もし旦那に万一があった場合のスペアーとしての男、そして3人目が自分を庇護してくれるか否かに関わらず、本当に好きになった相手」、と書いてあった。それを読んだとき「女性はなんと打算的なのだろう?」と思ってしまった。しかし翻って考えて見れば、男も女も基本的にはジコチュウな生き物である。自分にとって必要な相手かどうかで、好きにもなり嫌いにもなって行く。これが人間が動物としての証のようなものかもしれない。