毎週金曜日にブログをアップする事を自分のノルマにしているのだが、最近は1週間1度がきつくなってきた。そんなスランプの時期を散歩の写真でごまかしていたのだが、今回はそれもない。仕方が無いのでここ数ヶ月、朝夕の通勤時や散歩の時に撮っていた「雲」の写真を集めてみた。
「雲」それは身近に見えるものの中で一番自然なものだと思っている。海岸を歩いても山に登っても、そこは人の手が加わっていて人に管理された場所、決して自然とは呼べないものであろう。しかし雲は人の手が加わっていない本物の自然現象である。海などから蒸発した水分が大気に含まれ、それが温度や気圧の変化で雲になる。その雲が大気の流れに乗って流れていく。時に雨を降らせ、時に雲が切れて晴になる。人は天候を予測することはできても天候を管理することはできない。だから雲を見ることは、私の中では一番身近な自然を見ることなのである。
私の子供時代は幼稚園の数が少なく入園はくじ引きで決まっていた。残念ながら私はくじにハズレ幼稚園に行くことができなかった。兄は小学校に、周りの仲間も幼稚園に行っている。たぶん遊び相手もいなくて暇を持て余していたのだろう、庭に面した縁側に寝転んでよく雲を見ていたという記憶がある。流れる雲に遮られて太陽が隠れ日差しが陰る、やがて雲が流れて再び太陽が顔をだす。そんな繰り替えす情景を飽きずに見ていたように思う。時に雲がなくなり、どこまでも続く青空を見ることもある。そんな時は決まって、この空はどこまで続くのだろうと考えてしまう。親に聞いても要領を得ない。やがて大きくなって空の先に宇宙が広がると知っても、ではその先はどうなっているのか?と、無限という概念が自分の中でふに落ちないままに空を見上げていた。
地球の空は暗黒の大宇宙と繋がる渚のようなものであろう。だから雲はその波打ち際に見える白い泡のように思える。時に波は大きくうねり泡立ち、雲を厚くして雨を降らせる。時に穏やかになって刷毛で掃いたような薄い雲が見える。今私が住んでいる地区はビルはなく畑も多く、空は大きく開けている。せっかく自然に包まれて暮らしているのなら、この「雲」を観察しない手は無い。そう思って時々印象的な雲の姿を写すようになった。生まれてこの方、何万回と空を見上げただろうが、ただの一度も同じ雲の形はなかったはずである。これが自然ということのなのであろう。
朝もや これも雲の一種
雲は低く垂れ込め、もう直ぐ雨が降りそう
雲が太陽を隠す
雲の中で唯一人工的なのは飛行機雲
夕方日が沈み始めると雲は茜色に染まる
月を隠す雲
雲の中の満月
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