60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

塩船観音

2009年05月08日 09時51分41秒 | Weblog
ゴールデンウイークの5月3日、友人に誘われて、青梅の塩船観音へ行ってきた。
その友人の自宅は塩船観音の傍にあり、毎年この塩船観音のツツジを見に来いと誘ってくれる。
塩船観音は八百比丘尼によって開山された,1300余年の歴史を今に伝える古刹である。
青梅市の市街地の北にあり、JR青梅線の河辺駅や青梅駅からバスで20分程度である。
春のツツ、初夏のあじさい、秋の曼珠沙華など四季折々の花が咲く寺としても広く知られ、
特に春は15種約2万本のツツジが咲き、最近はツツジの名所として有名になっている。
周囲を小高い丘に囲まれ、すり鉢状になっていて、その斜面にビッシリと植えられたツツジが、
一望に見渡せる風景は、花がお寺を包み込むようで、特異な雰囲気を醸し出している。

友人の話だとこのお寺はお墓を持ってなく、したがって檀家が少なく、貧乏な寺であったようだ。
戦後、近隣の人々が境内に花(ツツジ)を植えるようになって、お寺を盛りたてていったそうだ。
友人が引っ越してきた20年前、町内で塩船観音の境内のツツジの管理分担が決まられており、
植樹、下草刈り、剪定と住民による整備が進められて、花の寺として生まれ変わっていった。
今は花のシーズンに入場料を徴収しその資金を境内の維持管理に当てているようである。

友人に案内され境内に入る。入山料は300円だが彼がくれた招待券で無料で入ることができた。
入場券を売る人、受け取る人、屋台で物を売る人、テントにいる長老達、皆彼に声をかけてくる。
「そうなのか、この時期ここの運営は地元の人達が総出でやっているのだ」と納得がいった。
彼によると、この地域の人々との交わりは深いようで、ソフトボール、町内の運動会、盆踊り、等々
色々なイベントを通して地域のコミュニケーションは深まり、地域の力は結集しているという。
その大きな核になっているのが、この塩船観音なのであろう。

今私は自分の住む地域とのつながりは極端に薄い。それは私が人付き合いが悪く、引っ込み思案
という性格からであろうか。引っ越してきて30年、近所に親しい人はいず、たまに声を交わすのは
隣のご主人ぐらいである。あとは朝、家の前を掃除している近所の奥さん達に会釈する程度である。
女房は子供つながりで、何人かとの交流はあるようだが、年々その関係も薄くなっている感じである。
地域でのイベントは皆無で、2ヶ月1回公園の草取りがあるだけ、それにも最近は出たことはない。
町内会の役員選出も皆しり込みをして集まらず、結局班ごとに順番制でやるようになった。

友人の住む青梅市のその地域と比べ、我が地域と私自身の繋がりの薄さは極端なようにも思う。
この違いは何が原因なのであろうか?個々人の性格?田舎と都会?そればかりでもないであろう。
同じ都心でも隣は何をする人ぞ、という無関心のところもあれば、下町の人情が厚いところもある。
今住んでいる地域は40年前、山を切り崩して造成した新興住宅地である。
当時ここを購入した人は同じ年代層で、しかも都心に通うサラリーマンが大半であったようである。
近所に神社もなければ商店街も大きな広場もない、ただただ一戸建て住宅が広がるだけである。
すべての人が新入りで、しかも集う機会が乏しく、地域としての習慣が出来なかったのであろう。
それが今だに続いており、皆がばらばらの都会のマンションのような環境の住宅地の所以であろう。

たぶん、人々がコミュニケーションを維持していくには何にか核になるものが必要なのかもしれない。
たとえば塩船観音のような、たとえば下町のお祭りや盆踊りのような、そしてそれを束ねるリーダーが
必要なのであろう。昔はそれぞれの地域に神社仏閣があり長老がいて一つの纏りがあったのだろう。
今まではこの地に長らく住んでいてもさほどは近所とのコミニュケーションの重要性は感じなかった。
しかし今後仕事を辞め、ここに住み続けることを考えると、地域との付き合いも必要なのだと思う。
地域の防犯や災害時のネットワーク、そんなことも日々のコミュニュケーションが元になるのであろう。
友人の住む塩船観音を見てそんなことを思ってみた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿