前回のブログを書いた後、彼と飲む機会があった。もう一度彼の結婚感を聞いてみた。
30~40歳の年代の人は男女ともに理屈ぽい人が多く、またプライドが高い人も多いという。
そんな性格からか「結婚」について素直に自分の思いを語らず、理屈先行のように思う。
結婚はどのようにあるべきか?自分の選択基準は?どうして彼(彼女)なのか?等々である。
団塊ジュニアの年代層は人口も多く、受験や就職競争も激烈を極めた世代であった。
偏差値が進路の判断の基準になって、偏差値社会とも呼ばれた時代でもあった。
そのような中に育った彼らは「結婚」相手に対しても基準を作り、その基準からの妥協を嫌った。
大学受験で少しでもいい大学(偏差値の高い)を目指すことと共通するようなものであろう。
背が高く、高学歴、高収入とレベルの高い相手をゲットすることで自分のプライドを保とうとする。
容姿?性格?親?住い?と選択基準を設定し、それを分析し客観視した上で選別して行く。
そして自分の基準内に入る相手がいない場合は「結婚しない」という選択肢を掲げるのだそうだ。
先回も書いたが我々の時代は「結婚しない」という選択肢はなかった。
適齢期になれば結婚することが当たり前で、結婚しない男は「欠陥があるのでは」と言われ、
女性は「行き遅れ」と言われ、世間に肩身の狭い思いをすることを覚悟しなければならなかった。
そんなことから結婚にある種の強迫観念があり、妥協することにあまり抵抗はなかったように思う。
「結婚は妥協の産物」そのようなに親からも周りからも言われたことを思い出す。
世の中に出て、上手く相手が見つかり、結婚生活に入れば第一関門突破である。
しかし30歳を過ぎ婚期を逸しかけ、結婚が難しくなってきた場合に2通りのタイプに分かれるそうだ。
一つは彼のように相手については妥協をしてでも、結婚するということに必死になるタイプ。
もう一つは、妥協はせず、なぜ結婚しないのかの理屈を言い、自分を取りつくろうタイプだそうだ。
「結婚すれば相手に束縛される・・」「私は自由に生きたい・・」「両親を見ていれば結婚なんて・・」
「私に相応しい人がいない・・・・・」等々結婚しない理由を言いはり、自分のプライドを保っている。
本当は自分と同じように結婚願望はあると思うのだが、なかなか本音をさらさない。
そんな30代に比べ、20代は結婚に理屈をつけたりプライドを持ち出すことは少ないように思う。
意外と素直に結婚願望を口に出し、臆面もなく彼氏や彼女に夢中なことを話してくれる。
あっけらかんとした男女関係や結婚問題に対するスタンスは少し軽さを感じるほどである。
自慢話のように彼女や彼のことを語る彼らに比べると、30代はどことなく卑屈さを感じてしまう。
それはやはり競争の中で虐げられてきた年代と、競争が緩和され伸び伸びと育ってきた世代との
差のようなものから来ているのだろうか。
今彼が合コンなどで会って話す相手が30代だとすると、
自分が今まで結婚しなかった言い訳や、結婚するにあたっての条件提示するらしい。
そんな女性を相手にすると結婚へのハードルの高さを感じ、これは付き合い切れないと思うそうだ。
自分には相手の点数表で高得点を得る自信もない。だから相手に対しても点数評価はできない。
また自分のようにある種焦りがある人間は相手から見ればガツガツしているように思われるだろう。
自分には格好をつけたり、飾って見せたり、駆け引きをしたりする器用さはない。
実際に自分はそうなのだから、それを隠しても仕方がない。そのあたりは正直になろうと思っている。
30歳を超えてくると、いまさら恋愛からというのも、時間的な焦りからまどろっこしく感じる。
だからお互いに結婚願望があるなら相性として合うかあわないかで判断するしかないと思っている。
「結婚したい」という正直な気持ちを相手に話してみて、それを相手も理解してくれればいい。
それでだめなら、その時は仕方がない。今はそんな風に思うそうだ。
彼の悩みや考えは充分理解できる。人は一人一人、いろんなことを思っているのだと改めて思う。
我が息子(別居31歳独身)は今何を考え、何に悩んでいるのかと思うと少し心配になってきた。
30~40歳の年代の人は男女ともに理屈ぽい人が多く、またプライドが高い人も多いという。
そんな性格からか「結婚」について素直に自分の思いを語らず、理屈先行のように思う。
結婚はどのようにあるべきか?自分の選択基準は?どうして彼(彼女)なのか?等々である。
団塊ジュニアの年代層は人口も多く、受験や就職競争も激烈を極めた世代であった。
偏差値が進路の判断の基準になって、偏差値社会とも呼ばれた時代でもあった。
そのような中に育った彼らは「結婚」相手に対しても基準を作り、その基準からの妥協を嫌った。
大学受験で少しでもいい大学(偏差値の高い)を目指すことと共通するようなものであろう。
背が高く、高学歴、高収入とレベルの高い相手をゲットすることで自分のプライドを保とうとする。
容姿?性格?親?住い?と選択基準を設定し、それを分析し客観視した上で選別して行く。
そして自分の基準内に入る相手がいない場合は「結婚しない」という選択肢を掲げるのだそうだ。
先回も書いたが我々の時代は「結婚しない」という選択肢はなかった。
適齢期になれば結婚することが当たり前で、結婚しない男は「欠陥があるのでは」と言われ、
女性は「行き遅れ」と言われ、世間に肩身の狭い思いをすることを覚悟しなければならなかった。
そんなことから結婚にある種の強迫観念があり、妥協することにあまり抵抗はなかったように思う。
「結婚は妥協の産物」そのようなに親からも周りからも言われたことを思い出す。
世の中に出て、上手く相手が見つかり、結婚生活に入れば第一関門突破である。
しかし30歳を過ぎ婚期を逸しかけ、結婚が難しくなってきた場合に2通りのタイプに分かれるそうだ。
一つは彼のように相手については妥協をしてでも、結婚するということに必死になるタイプ。
もう一つは、妥協はせず、なぜ結婚しないのかの理屈を言い、自分を取りつくろうタイプだそうだ。
「結婚すれば相手に束縛される・・」「私は自由に生きたい・・」「両親を見ていれば結婚なんて・・」
「私に相応しい人がいない・・・・・」等々結婚しない理由を言いはり、自分のプライドを保っている。
本当は自分と同じように結婚願望はあると思うのだが、なかなか本音をさらさない。
そんな30代に比べ、20代は結婚に理屈をつけたりプライドを持ち出すことは少ないように思う。
意外と素直に結婚願望を口に出し、臆面もなく彼氏や彼女に夢中なことを話してくれる。
あっけらかんとした男女関係や結婚問題に対するスタンスは少し軽さを感じるほどである。
自慢話のように彼女や彼のことを語る彼らに比べると、30代はどことなく卑屈さを感じてしまう。
それはやはり競争の中で虐げられてきた年代と、競争が緩和され伸び伸びと育ってきた世代との
差のようなものから来ているのだろうか。
今彼が合コンなどで会って話す相手が30代だとすると、
自分が今まで結婚しなかった言い訳や、結婚するにあたっての条件提示するらしい。
そんな女性を相手にすると結婚へのハードルの高さを感じ、これは付き合い切れないと思うそうだ。
自分には相手の点数表で高得点を得る自信もない。だから相手に対しても点数評価はできない。
また自分のようにある種焦りがある人間は相手から見ればガツガツしているように思われるだろう。
自分には格好をつけたり、飾って見せたり、駆け引きをしたりする器用さはない。
実際に自分はそうなのだから、それを隠しても仕方がない。そのあたりは正直になろうと思っている。
30歳を超えてくると、いまさら恋愛からというのも、時間的な焦りからまどろっこしく感じる。
だからお互いに結婚願望があるなら相性として合うかあわないかで判断するしかないと思っている。
「結婚したい」という正直な気持ちを相手に話してみて、それを相手も理解してくれればいい。
それでだめなら、その時は仕方がない。今はそんな風に思うそうだ。
彼の悩みや考えは充分理解できる。人は一人一人、いろんなことを思っているのだと改めて思う。
我が息子(別居31歳独身)は今何を考え、何に悩んでいるのかと思うと少し心配になってきた。
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