60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

不整脈

2013年09月06日 09時44分29秒 | Weblog
 先月末、一番下の娘(別居)が心房頻拍(しんぼうひんぱく)のカテーテル治療を行うため、2泊3日の手術入院をした。娘から手術前に聞いた病気の状況や手術方法の説明も、私はスムーズには理解できなかった。それは今までに馴染みがない病名と言うこともあるが、もう一つは娘とのコミュケーション不足から、小さいときからの娘の体調や悩み事を把握していなかった、親としての戸惑いがあったからである。

 娘は子供の時から、時々不整脈で動悸が激しくなり、息苦しさを感じていたようである。しかしある程度の時間を耐えればその不整脈も治まった。そんなことから一時的なこととして捕らえ、そのことを本人も親としても深刻なこととは考えていなかった。娘自身が医療系の学校に入り、医学を学ぶようになってから、自身の不整脈についての知識を得たのであろう。不整脈がなぜ起こるのか?、どんな治療方法があるのか?、自分なりに知識として持ち合わせていたはずである。しかし日々の仕事に追われ、落ち着いて治療のことを考える余裕はなかったようである。

 娘は今年の4月から職場と職種が変わり、仕事も少し楽になってきた。その間にも不整脈は続くのであるが、この7月に病院で勤務している間にその発作が起こった。その時たまたま娘の上司が居合わせ、娘の症状を聞いて病院内の設備で心電図の手配してくれたそうである。一般的には心電図記録計を携帯し、24時間の心電図を持続的に記録する必要があるようだが、娘は幸運にも発作時の記録を取ることができたわけである。データーがそろえば次はどう治療するかの問題になる。担当した医者は直ぐに大学病院を紹介してくれた。大学病院に診察に行くと、当然治療するものとして扱われ、本人の覚悟が決まらないうちに、あれよあれよという間に手術日が決まったようである。

 心房頻拍(しんぼうひんぱく)とは、、心臓の筋肉の動きをつかさどる司令塔は脳ではなく心臓の中にある。この司令塔から毎分50~100回程度、規則的に電気的興奮が心臓の筋肉に伝えられて心臓が動く。その興奮を伝える電線のような神経が存在し、正常な人では心房から心室に興奮を伝える経路は一カ所しかない。娘の場合はここに別の経路があり、これが時に異常な興奮を起こし不整脈を起こすようである。治療方法としては大きく分けて薬物療法と、高周波カテーテルで余分な回路を焼灼する2つの方向がある。薬物療法は対処療法で根本的な治療にはならないようだが、しかし焼灼の方は心臓部の神経を切断することから、それなりのリスクが伴うということである。娘は治療するなら根本的な治療を希望し、自分の判断でカテーテル治療の方を選んだ。

 私は手術中には行けなかったが、会社が終わってから娘の様子を見にいった。病室に入ると娘は何本かの管に繋がれて、疲れた様子でベットに横たわっていた。しかし術後3時間以上経過していたから、少しは落ち着いたようで会話には差し支えはない。娘の説明だと、手術は右の足の付け根と右の胸部の2ヶ所から血管内にカテーテルを入れる。血液に造影剤を入れてモニターで確認しながらカテーテルを心臓部まで通す。片方のカテーテルの電気ショックで人為的に不整脈を起こし、原因の場所を特定していく。そしてもう一方のカテーテルでその余分な回路を焼き切ってしまうそうだ。部分麻酔で手術中も意識はハッキリしているから、自分の置かれている状況は理解できる。娘の話だと大学病院だから手術室には多くの研修医がいて、教授の指導でその研修医が手術に携わっていたようだと言う。

 手術中の電気ショックによる連続した不整脈で動悸は激しくなり、麻酔していない部分は激痛が走り一時は失神しそうになったようだ。止めどもなく涙が流れ、それを看護士が拭ってくれる。「大丈夫ですか?」と看護士が声をかけてくれるが、答えを返す気力もなかったと言う。不安と痛みと動悸が続く中での3時間にも及ぶ手術、娘は生きた心地がしなかった時間であっただろう。「ちゃんと切断できたと思います。これで今後不整脈は起きないと思いますよ」、術後担当医はそう説明したそうである。

 「ホッとしただろう」、これが娘の顔を見たとき、私が掛けた言葉である。それは娘の気持ちだけではなく、父親としての気持ちでもある。娘の不整脈は多分先天性のものだと思っている。だから娘には何の落ち度もない。五体満足に生まれたと思っていた娘が、小さいときから不整脈で悩んでいた。そのことに父親として気づきもせづ、何の手も打たなかったことに申し訳なさを感じるのである。今回の手術でその障害が取り除かれた。ホッとしたのはむしろ私の方が大きいのかもしれない。

 あとは今までの娘とのコミュニケーション不足への自責の念である。3番目の末っ子として育った娘、長男長女に比べ父親としての接触の濃さは明らかに違ってきたように思うのである。40代で仕事が忙しくなり、気力的にも体力的にも子供の動きについて行けなかったと思っている。「なおざりになってしまったのではないか」、その自覚があるだけに、娘には悪いと思うのである。
 以前娘が免許証を取得したとき、高速道路の運転に付き合う約束をしていた。今回の件で延び延びになっていた娘とのその約束を実行しようと思い、10月の初めに新潟までのドライブの約束を取り付けた。関越高速で新潟まで行き、船で佐渡ヶ島まで渡って1泊して帰ってくる。2日間を娘と二人だけで旅をしようと思う。この間に娘とどこまで話ができるか疑問だが、「何時もお前の味方だから、」そんなことだけでも伝えられれば良いのかもしれないと思っている。
 







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