今日は八高線の用土駅から東武東上線の男衾(おぶすま)駅まで歩く予定であった。しかし朝、最寄り駅に行くと台風19号の影響で八高線の寄居~北藤岡間が運転見合わせという。用土は寄居駅から一つ北藤岡よりである。橋脚変位ということだから、復旧には時間がかかるであろう。行けないのなら仕方がない。今日はその次のコース、男衾から武蔵嵐山までを先に歩くことにした。
男衾は東武東上線、武蔵嵐山も東武東上線である。安中(信越本線)から高崎を通り、八高線(八王子~高崎)沿線をたどってきた鎌倉街道は今度は東武東上線沿線に沿っている。鎌倉時代、街道があったから宿場や民家も点在したのであろう。近年になってそこに鉄道を通したのが八高線や東上線の支線なのかもしれない。農村地帯を走る鉄道は運転間隔は疎らで都心とは比べようもないが、この路線があることで鎌倉時代からの街道が今につながっているように思える。
JR八高線運行情報
東武東上線 男衾駅
駅からの眺め
まだ新たしい男衾駅
駅前通り
県道81号線
出雲乃伊波比神社
三叉路を右折
田舎道に入る
三嶋神社
傾斜を利用して太陽光発電
百万遍供養塔
高蔵寺
戦国武将の柳さわ信俊が開いた寺
閻魔様
一体地蔵尊
地元ではイボ取り地蔵とも呼ぶ
伝説では伊香保温泉で湯治していた北条政子が神仏にイボ取りを祈願。
鎌倉街道の宿場にある桜の大木で地蔵尊を作り安置すれば
願いは叶えるとお告げを受け、その通りに作らせたという。
鎌倉街道の案内板
右に見えるのが四津山
四津山神社はあの山の上にある
四津山神社の入り口
長い石段が続く
四津山神社社殿(四ツ山城址)
四ツ山城址からの眺め
永昌寺の大松跡
かつて樹齢800年といわれた大松があった
旧鎌倉街道の表示
鎌倉街道遺構
かつてはこんな雰囲気の街道であったのだろう
鎌倉街道遺構
ハナミズキの実
八和田神社
安土桃山時代の植樹と伝わる大杉
神戸と書いて「ごうど」と読むのであろうか?
ここで昼食
きの子おろし蕎麦
店を出るとき、神戸を「ごうど」と読むのかと聞いてみた。
「先祖は長野県出身で、江戸時代諏訪大社からこの地を与えられ移住してきた。
諏訪大社上社にもかつて神戸村(ごうど村)があり、先祖はそこの出身者である」
と云う答えであった。
馬頭観音や庚申塔が並ぶ
(埼玉県比企郡)嵐山町に入る
積善寺
小さな地蔵が「苦悲なし地蔵」
苦非なし地蔵尊(くびなしじぞう)
伝説によると、団子屋の娘が首を切り落とされ亡くなり、
娘の顔に似た地蔵を作って弔った。ところが首だけがなくなり、
何度新しい首をつけても消えたという。参拝すると苦労や
悲しみがなくなるといい、苦悲なし地蔵と呼ばれるようになった
積善寺の裏山にある杉山城跡
戦国時代初めに関東官領上杉氏が築城したと推定される
典型的な山城で、丘陵の尾根に10の郭を配している。
急傾斜の切岸(きりぎし)や大規模な横堀」、木橋や土橋を用いた
多様な虎口(こぐち)など、当時の技術の最新技術が結集された。
東武東上線 武蔵嵐山駅
帰路、東武東上線川越市駅で西武線に乗り換えるため、本川越駅に向かうと
川越祭り開催中で多くの出店で道は埋まり、人でごった返していた。
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