60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

私の履歴書

2009年04月14日 09時30分01秒 | Weblog
先週Hさんと新宿で飲むことになった。彼は1932年生まれの76歳、まだすこぶる元気である。
一時期、会社で運営していた和菓子の店の店長をお願いしていた時からのお付き合いである。
店はうまく行かず、7年前に店の運営を他社にゆだねた。その後数年してHさんも店を辞めた。

そのHさんと飲むのは10年ぶりぐらいであろうか。話はやはり、Hさんの近況の話が多くなる。
Hさんは和菓子屋の店長になる前までは企業コマーシャルを制作する会社のオーナーであった。
その会社が倒産し、Hさんはすべてを失った。今は息子さんが建てた家に夫婦で同居している。
息子さんは大手の電気メーカーに勤めいる。すでに39歳になるがいまだに独身だそうだ。
「爺婆付きでは嫁の来てもないのかもしれない」そうは思うのだが、面倒を見てもらうしかない。

近所には娘が結婚して暮らしており、孫2人が時々遊びに来てくれるのが唯一の慰みだそうだ。
Hさんは奥さんとも息子さんとも仲が悪い。話せば喧嘩になるから顔を合わせるのが嫌だという。
今、女房と息子の部屋は2階にあり、Hさんは1階の片隅の小さなスペースに暮らしているという。
やはり息子は母親贔屓、いつも親父の私にはつめたく当たるという。何時も2対1の戦いになる。
「肩身が狭い居候だから、自分の方が折れるしかない」 息子への負い目か卑屈さが顔をだす。

今の時期は朝4時半に起きて散歩に出る。目標は1万5千歩、これはいつもクリアーするそうだ。
散歩以外は川柳と都々逸は毎日欠かさず作る。そして昔から好きな水彩画を描いているという。
もう何作も描いたが家族は誰も評価してくれない。今取り組んでいる絵は朝の散歩のときの景色。
木立の向こうから朝日が上がってくる光景、その朝日を地球に置き換えて書いてみたいらしい。
日本の人工衛星からの画像で、月の地平線から地球が昇ってくる様子を見て感動したからという。

そして最近始めたのがパソコン、近所に住む娘に手ほどきをうけ覚えたようである。
毎日練習しないと忘れるからと、必ずパソコンに日記と川柳と都々逸とを書くようにしていると言う。
Hさんの暮らし、色々な不平不満はあるのだろうが、しかしまずまず元気に暮らしている様子とみた。
帰りがけに、「パソコンの練習に私の履歴書を書いてみた、それと川柳があるから読んでくれますか」
そう言って紙の手提げの中から封筒を出して私に渡してくれた。

帰りの電車でHさんの履歴書を読んでみる。A4の紙に打ち出された履歴書は17枚にも及んでいる。
76歳にしてパソコンを始め、自分の履歴書を書いている。Hさんの気力はまだまだ衰えてはいない。
履歴書のサブタイトルに「どぶ川の流れのように、流れ流されて」とある。Hさんらしく自虐的である。
横書きで年号とその時代の背景や事件、それとともにHさんの自叙伝とが時系列的に綴ってある。
その履歴書は1932年に東京都四谷荒木町に父堅次郎、母琴枝の間に生まれる、から始まる。

履歴書によると、小学校の時に太平洋戦争が始まった。誰もが経験した空襲や集団疎開の体験、
終戦後の食糧難と貧乏暮らし、そして親戚との雑居暮らし、最大は1軒に13人で暮らしたようだ。
子供時代の友達のこと、野球や相撲に夢中になって遊んだこと、好きな女の子のことが綴ってある。
高校を卒業して20歳でラジオの番組制作やコマーシャルを取り扱う会社に入社している。
仕事はクリエイティブなことを求められ、いろんな番組に取り組んだ様子が活き活きと綴ってある。

そして32歳で結婚し女男の2人の子供が出来る。その間3社転職し、38歳で会社を設立した。
会社は今まで経験したきた業界で、企業のコマーシャル製作を請け負う会社である。
履歴書には会社で扱った多くのクライアントの名が出てくるが、今でも名の知れた会社も多い。
やがてこの業界も、時代とともに電通や博報堂の大手に席巻され、中小零細は追い詰められる。
Hさんの会社も資金繰りに行き詰まり、やむなく従業員を解雇、やがて立ち行か無くなり倒産する。
20年間やってき事業、60歳の時に倒産して無一文になって、大きな借金だけが残ってしまった。
その時の心境は書いてはいないが、たぶん人生最大の衝撃であり、挫折であったのだろうと思う。

17ページの履歴書を読むうちに、Hさんのたどってきた76年間がおおよそが想像がつくように思う。
彼の一本気な性格からして、たぶんそれぞれの職場では一生懸命に打ち込んできたのであろう。
独りよがりで、他人の忠告など聞き入れない彼は、たぶん家族はほったらかしであったのだろう。
奥さんからすれば自分の好き勝手な事をやって、結果的に会社を倒産させ大きな借金を作った。
周りからは「身勝手な人」と烙印を押され、女房子供の不信をかっただろうことは容易に想像がつく。
だから、その反動で家族からは冷たい扱いを受けているのだろう、それも自業自得なのかもしれない。
17ページに綴られた76年間のHさんの人生、自分で振り返ってみてどう思ったのだろうか、
家族にとっては不満でも、Hさんには思い出のいっぱいある波瀾万丈の人生であったはずである。

もう1冊もらった「ぼけの細道」というHさんの川柳集から5句拾ってみる。
 朝焼けは 版画の如く 蒼と紅
 年一度 生きてる証拠の 年賀状
 年寄りは 薬と病気の 話しだけ
 雪だるま 溶けて崩れて モンスター
 今日は留守 テレビも炬燵も 独り占め

私も以前「私の履歴書」を書こうと、下書きを書いていたことがある。
しかし結婚前の自分は客観的にかけても、結婚後のことはまだ生々しい現実の世界である。
やはりある程度人生を達観できるようにならなければ無理だろうと思い、ペンを置いた。
いずれHさんのように自分の人生を振り返って「私の履歴書」を書いてみたいと思っている。
たぶんその時は70歳を超えている時かもしれない。


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