60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

大停電

2016年10月21日 08時07分16秒 | 日記
 10月12日埼玉県新座市の送電用地下ケーブルの火災から大停電が起こった。私はこの日たまたま池袋駅近くの喫茶店で人と打ち合わせをしていた。打ち合わせを終え3時45分に喫茶店を出て懇親会に出席するため、池袋の駅前を通り指定場所の蕎麦屋に向かった。東口の交差点には何台ものパトカーが止り、消防車まで出動していた。信号機は真っ暗で、警察官が手信号で交通整理をしている。その時は信号機のトラブルだろうと思っていた。行った蕎麦屋は電気が消えていたわけではなく普段と同じように営業している。しかし6時過ぎ懇親会を終えて駅に向かうと、西武線の構内は人であふれていた。結局、電車に乗るのに1時間待ち、私もこの停電に巻き込まれてしまった。
 
 その後のニュースによると、この事故で都内58万軒に及ぶ停電が発生した。この影響で池袋駅東口近くの交差点を初め200ヶ所の信号機が止った。西武鉄道では運転を見合わせたため、帰宅ラッシュと重なり激しい混雑で9万人以上が影響を受けたと言う。またエレベーターに閉じ込められた人がいたり、小売店では店内の電気が消えレジスターが作動せず営業に支障をきたした。会社ではコンピューターが一斉にダウンしたり、美容院では加温機がストップし、パーマ液を洗い流すための温水が出ず、電動の椅子が動かなくなったなど、笑えないトラブルもあったようである。
 
 今、我々の生活は電気がなくては成り立たなくなっている。コンピューターやTVの通信機器、照明や空調設備、風呂やシャワー、ウオシュレットや温風ヒーターなどの制御機能、電気が止ってしまうとたちまち日常の生活が奪われてしまう。7年前の東日本大震災の時、関東でも一部地域に計画停電が実施された。幸い我が地区は該当しなかったが、何度か経験した人は、まだ寒さの残る真っ暗な家の中で、なすすべもなく布団に入って耐えていたという。我が家で一番困ったのは車のガソリンである。残りわずかな時に地震にあい、何週間もガソリンが入れられず、行動範囲が極端に狭まったことを記憶している。
 
 間近に迫るという南海トラフ地震、首都直下地震、万が一に備え食料や水を備蓄している家庭は多いだろう。しかし電気が止ることはあまり想定されていないように思う。電気・ガス・水道のインフラが失われた時、水は備蓄や給水車の対応で何とかなっても、電気が失われた時、日常の機能の多くが奪われることになる。照明は失われ炊飯器や電子レンジは使えない、ガスが止れば煮炊きも出来ない。地震が冬の時期であれば暖房がなくなってしまう。これが首都圏であれば被害範囲は膨大になり復旧は遅れてしまう。地震の規模によってはこのような状態は何日も続くかもしれない。
 
 家の暖房器具が全て電気かガスに頼っていれば、万が一の時は寒さに震えることになる。先週そんなことを考えて新たに石油ストーブを買いに行った。しかし今の暖房機はエアコンが主流で家電量販店でも石油ストーブを売っている店は少ない。たとえ石油ストーブは売っていても温風ヒーターが主力で、昔ながらの石油ストーブは品揃えが少なかった。何軒か見て回ってやっと電池で着火する昔ながらの石油ストーブを買うことが出来た。ストーブと灯油18Lx2本で1万円、これですこしの安心が買えるのなら安いものである。

 昔見た西部劇の映画で、荒野を旅するガンマンが野宿して、夜の高原で焚き火をしながらコーヒーを飲むシーンを覚えている。人は暗闇の中でも少しの明かりと暖があれば安堵するものである。

        







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