先週行った神奈川県座間市の8番札所星谷寺から、今回行く埼玉県比企郡の9番札所慈光寺までは72kmある。歩けば3日の行程、昔の人はこれを歩いたのだろう。昨年歩いた秩父34ヶ所はコンパクトにまとめられていて、一周(100km)で歩いて約1週間ほどで回れる。しかし坂東33ヶ所は1300km以上ある。これを歩いて回るには何ヶ月もかかったであろう。何を目的に33ヶ所の巡礼をしたのだろうか、それは信仰心だけだろうか、何を基準に札所を決めたのだろうか、歩いているとそんな疑問が浮かんでくる。
9番札所は埼玉県の中でも辺鄙な場所にある。西武新宿線で本川越駅へ、歩いて東武東上線の川越市駅へ行きそこから坂戸へ、坂戸で越生線に乗り換え終点の越生(おごせ)まで、越生でJR八高線に乗り換え明覚(みょうかく)まで行く。明覚駅は無人駅である。駅を出てまばらに車が行き交う県道172号線をひたすら歩く。時折サイクリングの自転車の群れが私を追い抜いていく。歩いているのは私だけ、単調な道を歩いていると、「何でこんな辺鄙な場所に札所を置いたのであろう?」、そんな疑問が再び頭に浮かんでくる。
札所は都幾山の中腹にある。山道を登り参道に入ってしばらくして、山門跡に板碑群があった。その青色塔婆の説明に弘安、徳治、分和、喜暦などの年号がある。これは鎌倉時代や南北朝、室町時代である。今から700年以上も前である。今を基準に考えればこの地は辺鄙だが、700年前は鎌倉以外の関東一帯はどこも辺鄙な場所だったのだろうと想像できる。だから当時からあるこの慈光寺は由緒あるお寺であったはずである。鎌倉時代に確立されたというこの坂東33ヶ所札所、この寺が選ばれたのも必然だったのかもしれないと思った。
西武線本川越駅
東武線坂戸駅
東武線越生駅
JR八高線越生駅
八高線 明覚駅
駅前の交差点を右に折れ国道172号線を歩く
都幾川
何本もの紐で首を絞められ苦しそうに見える
山が近いからか木工所が多い
ここにも木工所
子どものお手製花壇?
ここから昇りになる
ときがわ町路線バスが追い抜いていった
乗客は誰もいなかった
昔の参道
昔の参道
山門跡の青色塔婆
徳治2年と彫ってある
徳治2年は1307年、鎌倉時代
9番札所 慈光寺
本堂
タラヨウの巨木
樹齢は1100年以上
さらに上に
観音堂
700m先、東関東最初の禅道場と書いてあるので寄って見ることにした
霊山院
霊山院
帰りは別の道を選ぶ
みつまた?
都幾川へ降りる道
三波渓谷
木工所が多いを思ったら、「木のむら」が売りだった。
古民家カフェがあったので遅い昼食
猫が1匹庭を歩いている
縁側席に陣取る
店内は女性客で一杯
食後の珈琲で疲れを癒す
明覚駅に戻ってきた
JR八高線
家に着いて万歩計を見たら37,215歩あった。
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