最近は高齢者の書いた本をよく読むようになった(佐藤愛子94歳、篠田桃紅104歳、日野原重明105歳など)。それは次第に歳をとってきた時、これからの指針を探すためなのかもしれない。60代はまだ両親がいた。両親の生きる様子を垣間見、話を聞き、その年代の課題や心構えのようなものを参考にしていたように思う。その両親も亡くなり、今は家族の中で先頭の年齢を歩んでいる。そんな時、老後を生きるアドバイスになればと思い読んでいる。
「知的な老い方」の著者、外山滋比古は1923年生まれの93歳である。私より20年ほど前を歩いている。この歳になって今何を考え、何を思い、何を心がけ、何を目指しているのか、そんなことを少しでも吸収できればと思って読んでみた。その中から「さもありなん」と思われるところを抜書きしてみる。
・・・・・・・・・・
かつての知人に小学校の校長がいた。組合運動のはげしい学校ばかりを振り当てられて、辛酸をなめた。早くやめたいと、残りの歳月をかぞえるような生活をしていた。やっと念願がかなって、定年、退職、かねて建ててあった田舎の家で、毎日好きな釣りを楽しむ自適の日々を送った。ところがその幸福は2ケ月しか続かなかった。釣り針を爪の間にさした傷がもとで破傷風にやられ、一晩のうちになくなってしまったのである。
何十年も釣りをしてきた人にしてみれば、仮に傷からバイ菌が入っても、張り切っているときなら、はね飛ばしてしまったにちがいないが、退職して、張りを失ってしまったこの人には命とりになってしまった。その人の通夜で、年金関係の仕事をしている係りの人から元校長の年金受領年月が、平均30ケ月に満たないということを聞いて、つよい印象をを受けた。どんなにつらくても、苦しくても、仕事に忙殺されている間は、ちゃんと生きていられる。やっと暇になったとたん、病魔が襲ってくる。あわれである。
※私の周りでも60代で亡くなった仲間も何人もいる。また60代でガンの手術をした者も多い。そういう人の性格を振り返って見ると、おしなべて組織の中で周りに(特に上司に)気を使いすぎていた人が多かったように思う。自分の立場を維持するためには周囲との協調は不可欠であるが、しかしそれも程度問題である。あまりに自分を殺し続けていればストレスを溜め、結果として免疫力を弱めて、病気になりやすい体質になるのであろう。
・・・・・・・・・・・・
これは、ヨーロッパのある国の話。社会学の研究者たちが、老人はいつ死ぬかという調査をした。亡くなったひとの誕生日を調べて、亡くなったのはその前か後か、ということである。それによると、死亡率は誕生日の50日前くらいから急に低下する。つまり、死ななくなる。誕生日で最低になる。当日に亡くなる例はほとんどない。ところが誕生日が過ぎると、また、死亡率が急上昇する。もちろん誕生日前よりはるかに高い。
誕生日前に亡くなる人が少ないのは、楽しい祝いの日を待つ心が、活力になるのであろう。ところが、お祭りのような楽しい日が過ぎれば、また、当分は、黄昏のような日々が続くことになる。やれやれ、と思うと、急に活力が抜ける。それを見はからったように、死神が、”そろそろ参ろうか”と近づくというわけになるのか。人間は、目指すものがなければ弱くなる。なにか楽しいことを期待できないと、生命力を支えることが難しくなるらしい。楽しみのあとが危ない。ストレスはおそろしい。いつも、行く手に、なにか明るい希望、楽しみのあるのが、老年のし幸福の条件である。
※退職後何をして過ごすか、これは我々年代の最大のテーマである。退職後やるべきことが見つからず、競馬や競輪、パチンコと賭け事にはまること、また昼間から酒を飲むようになること、これは最悪である。老後にやるべきテーマを見つけておくこと、老後に備えて気力を残しておくこと、そしてネットワークを維持しておくこと、そんなことが老後を生きる上で大切なように思っている。
・・・・・・・・・・・・・
北欧のノルウェイで面白い調査が行われた。中年のサラリーマン2000人を2つのグループに分けて1000人ずつにする。一方のグループには全く何もいわずなにもせず、そのままにしておいた。他方のグループには何人もの医者をつけて、定期的に健康のアドバイス診察を行った。医者付きのグループの方が、健康になるだろうと想像するが、実際は、驚くべきことといってよい、その逆であった。2年後に、両グループの健康状態をチェックしたところ、医師からいろいろと注意を受けていたグループの方が、不健康で病気にかかっている人が多いという結果であった。
いかにも理屈に合わないようであるが、おそらく、医師のアドバイス、診察を受けることで、気にやんだり、落ち込んだりすることが、放っておかれたグループよりもずっと多かったと想像される。たしかに早期発見すれば完治する病気がたくさんある。なるべく早く診察を受けるのが大切であるのは周知のところである。ところが医師のいうことを深刻に受け止めたり、それにこだわってくよくよするようだと、知らず知らずのうちにストレスを生じる。ストレスは免疫力や抵抗力を弱めるから、病気にかかりやすくなる。すくなくとも、神経質な人はその危険は大きい。
医師に見てもらわなければ「知らぬが仏」でいられる。少しぐらいの不調なら、それぞれ持っている自然治癒力で治ってしまうこともないではない。専門家の注意を受けることは、もちろんよいことだが、それがストレスとなると、得られるプラスより失うマイナスの方が大きくなるかもしれない。なんでもすぐ医師に診てもらうということが、必ずしも最善ではないというのは、単なる逆説ではない。医学的には異論もあるだろうが、かよわい心をもった人間にとって、恐ろしい情報、医師のことばが、しばしば有毒有害なものになるということもあるだろう。歳をとったら、なるべくストレスを近づけないようにしないといけない。
※TVの健康番組ではタレント医者が病気の深刻さを語り、視聴者の警戒感を煽る。そして予防方法として、食生活と健康体操を紹介し、早期発見が大切だから不安がある人は医者に診てもらえと勧める。民放の健康番組はどれも同じパターンである。穿った見方をすれば、視聴者の不安をあおり、病院を受診させ検査をし病気を見つけ出し薬を処方する。これは医療と製薬会社の壮大な利益誘導なのだろうと思う。
老年になれば病というものが差し迫った問題である。そのため、安心感を得るために病院へ通い、たくさんの薬を飲んでいる人をよく見かける。「本当にこれで良いのだろうか?」、いつもそう思う。本来「健康」とは社会が与えてくれるものではなく、食事や運動、ストレス耐性など考え、自己免疫を強化し、自分で組み立てるべきものだろうと思う。それでも不調があれば病院で検査し、原因を知り対策を立てる。それが本来の医療のように思うのだが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます