1月23日(木)
先日見た「四十九日のレシピ」という映画の中で、先ごろ亡くなられた淡路恵子さんが永作博美の叔母役で出演されていた。スクリーンの中では威勢のよい叔母ちゃんとして元気な姿を見せていたのだが、人の命とは儚いものだ。
この年齢になると私の周囲でも、友人・知人の訃報に接する事が多くなってきた。その中で、ある青年の記憶がフト思い起された。彼の名は「渡辺 衛」君、私より10歳ほど年下で、同じ職場に勤務していた。
と言ってもセクションが異なり、仕事の繋がりはそれ程なかったのだが、何故か私と親しくなり、新婚の我が家へも度々手土産を持って遊びに来てくれた。
彼の素顔は本当に純朴な田舎の好青年だった。気の利いた事が言える訳で無く、短髪に眼鏡を掛け、やや猫背の長身で、一緒に夕食を囲みながらポツポツと拙い会話をし、いつも控えめに笑顔を見せていた。私はそんな彼の性格が好ましく、彼も又、私と相通ずるものを感じたから慕ってくれていたのだと思う。
そんな付き合いも、彼が茨城の方へ転勤してからは途絶え、その後は賀状だけの付き合いになった。ある年、彼からの年賀状が来ないので彼の職場へ電話してみた。
すると「渡辺は、去年心臓病の為、急逝しました。」と思いもしない返事が返ってきた。遺骨も既に新潟の実家へ引き取られたという。その時実家の住所も聞いたはずだが、結局お墓参りへ行く事もなかった。
独身のまま彼が20代の若さで亡くなってから早や30年、彼の事を覚えている人は職場でも殆どいないだろう。私も日々の移ろいの中で彼との思い出は薄らいでいくが、彼のはにかんだ笑顔は、記憶の断片として決して忘れる事はない。死ぬまで記憶を留める事が、思い半ばで早世した彼への私なりの供養だと思っている。
所属する山岳会のスキーツアーに彼を連れていった時の写真