昨日、「仕上げはご覧じろう」ということばが心に響いた。
聞き覚えがあるのでブログを調べると
2011年02月28日に以下のような記事を書いていた。
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このところ、リビアではカダフィ大佐が外人傭兵部隊を頼んで首都トリポリを死守しようとしているというニュースに接するたびにわたしは思わず「カスバの女」の三番「明日はチュニスかモロッコか泣いて手を振る後ろ影外人部隊の白い服」という歌詞を口ずさんでしまう。するとそれに呼応するように「仕上げは五郎次郎」ということばが頭の中で何度もくりかえす。なんのことだろう。「ミスミを正く」することに関係するのだろうか。それは中東での新たな形の革命を仕掛けた鬼等(ONIRA)の声だろうか。「仕上げはご覧じろう(五郎次郎)」というのだからやるべきことはすべて済ませたらしい。じっくり見届けさせていただこう。
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振り返ると、リビアのカダフィ大佐はもう銃殺されてこの世を去り、この2月28日の11日後、3月11日に大震災が起きて原発は破壊された。普通「仕上げはご覧じろう」の前には「細工は粒々」ということばがあるはず。今にして思えばあの2月の終わりの時点で人類が存続するための細工が「粒々」つまり「龍々」によって施されたので準備万端「仕上げはご覧じろう」ということだったらしい。それで3月11日に実行された。そして現在では脱原発が世界の主流になりこの星が宇宙のゴミとなることを回避できた。それが「仕上げ」だったようだ。
fumio
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