monologue
夜明けに向けて
 

  


 日々の出来事について述べるはずのブログにニギハヤヒが唐突に封印解きシリーズをこんな形で始めさせたのはもう時が満ちたのだろう。これまでだれも謎とも思わないで解こうともしなかった封印なので衆人環視の中で結末のない探偵小説をライヴで書いて見せているようなものである。はたして見事解決して大団円を迎えられるのだろうか。
 二見興玉神社の蛙はただのカエルと思っていたが谷潜(たにくぐ)というヒキガエルだったとは意外だった。
「旭」という文字や九月九日を重陽ということでわかるように九という文字は日を指し「九九」(くぐ)という読みももちろん日の神であるかれを暗示している。注連縄に尻籠め縄を使うのは「尻」の文字中の「九」を籠めてしまう意味なのだ。注連縄は飾りではなく決してそこから出入りすることができないようにするために結ばれる結界なのである。
谷潜(たにくぐ)という見慣れないことばにニギハヤヒは得意のギャグを忍ばせていた。
「潜」の文字で夫婦岩の仕組みそのものを目に見えるように教えているのである。それはもちろん水の中に日が沈みその上に動かせないように夫夫の岩が乗っかっている図なのである。いつもそうだがギャグというにはかなり考え込まれていて感心する。だれもが見過ごしそうなところに仕掛けてあるので気を付けないといけない。
 では先を進もう。封印の鍵「チ」が「千」の転形であるのは「千」をぐるぐる廻せということなのだろう。岩戸の鍵穴に差し込んで回転すると「千」が「チ」になり逆になって「士」にもなる。
まだまだ回し続けると目がおかしくなってなんと二重になって「手」のようにも見えてくる。
サルタヒコは比羅部貝に手を挟まれて沈んで興玉神石になった。ということは興玉神石は比羅部貝と手のことである。そしてニギハヤヒが二見浦内に用意していた「答志島」の平手崎はその比羅と手をつないだ名称であるとわかる。「平」という文字は以前にも述べたように「一八十」の組み合わせ文字で岩戸(イハト」を示している。「平手」とは岩戸「手」という暗号になっているのである。岩手県という県名や天岩戸を手力男尊が開けたという故事にもその秘密が隠されていた。次回は具体的に岩戸を「手」で開いてみよう。
fumio

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