monologue
夜明けに向けて
 



弘法大師、空海は「三教指帰」(さんごうしいき)において『阿国大滝の巌にのぼりよじ、土州室戸崎に勤念す、谷響を惜しまず、明星来影す』と記した。「明星来影す」は金星がかれの視界に現れたことで結願成就を感得したと察せられる。口に入ったと思ったほどのよほどの深い霊的体験が起きたらしい。それでは「谷響を惜しまず」とはどういうことだろう。谷がなにに響いたというのか。なにか響く主体がなければ響けない。ギターなら弦が主体で弾いたとき震えてそれがサウンドホールで響く。谷はそのサウンドホールのような共鳴装置と考えられる。主体が風であればゴー、ゴー、と鳴り響く。かれは阿国大滝の巌や土州室戸崎で真言(ノウボウアキャシャ ギヤラバヤ オンアリ キャマリ ボリ ソワカ )を百万遍唱えたのだ。このときの谷の共鳴の主体はかれの声帯でそれが(ノウボウアキャシャ ギヤラバヤ オンアリ キャマリ ボリ ソワカ )という一定の振動を百万遍繰り返した。するとついには谷がものすごく鳴り響いたのだ。普通のこだま程度ではなかったので結願成就のしるしと感じたのだろう。「明星来影す」が霊的体験であるのに対して「谷響を惜しまず」は音響的な物理的現象のように見受けられる。同じ真言を百万遍唱えることによって自分自身の肉体に与える一定の振動やリズム。そしてその自分を取り巻く環境に与える共鳴現象。唱えることの意味は深い。
fumio



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