monologue
夜明けに向けて
 



マイク・アンド・メカニックスに
「The living years」 という名曲がある。
死んでからでは遅過ぎる、生きているときに和解しておこうという歌だった。
その歌がヒットしている時、せき立てられるように感じた。
父はもう七十年生きてきた。人生の終わりに近づいている。
その正月、わたしたち一家は京都の実家に帰省した。
長い間帰ってないし今年は帰って顔を見せてあげたら、と妻が言ってくれたのでその気になったのだ。
 心臓につけたペースメーカーの話題になったとき、父は、このペースメーカーは七年くらいしかもたんそうや、と言った。
言外にあと七年は生きられる、あるいは生きたいということを含んでいるように聞こえた。三日間、過ごして帰る日、わたしは長い間言い損ねていたことばをやっとの思いで口にした。「ぼくは、お父ちゃん愛してるのや」と。
このことばはこうして文章にしてもなにか父子関係にはそぐわない感じがする。
成人した息子から父に向かってほとんど発せられることのないことばだ。
恋人同士ならいざ知らずそんなことばを面と向かっていうのはお互い気恥ずかしい。
そんなことは以心伝心で言わなくてもわかっているで済ませるのが普通だ。
ご他聞に漏れずわたしたち親子にもいくたびかの確執や軋轢かあった。
二人息子の兄のわたしはアメリカに行き、弟はフランスに行って日本を離れた。
父母は日本に二人で取り残された形になった。
十年後に帰ってきたわたしはいざこれからという時に首の骨を折り、その上しばらくして脳内出血を起こした。親としては心が安まることがなかっただろう。
 勇気をもって今言うべきことを言っておかないと、ある日突然父が逝ってしまえば機会を逃したことを後悔し続けることになると予感した。
愛という使い方の難しいことばをなんとか口にできてほっとした。
それは父の数十年間の苦労に対する精いっぱいの感謝だった。
「ほんなら、お父ちゃん、これからも元気で暮らしてな」
「おまえも、元気でやれよ」
それはあまりにも普通の別れのことばだったが込めた想いがこれまでになくお互いの胸に強く響いた。今も父の声と表情が甦る。
 
 そして三年後、父の突然の訃報に接して、曲がりなりにも伝えるべき事を伝え終えていたことを感謝した。あの歌「The living years」のおかげだった。この世を卒業した父が、より素晴らしい世界で楽しく生きることを希(ねが)った。
今年も6月17日の命日がきて墓参りをした時「おまえも、元気でやれよ」のことばを思い出した。
fumio

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