monologue
夜明けに向けて
 




二九、 湯浴みする女あり
    崇拝する者多し
    盲て涙する母 傍に座す

「光の黙示録」より

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 「湯浴みする女」とはだれのことだろうか。
湯あみ「yuami」は「 I am 湯yu」。「湯」は解字して開示すれば水に日。そのように自己紹介する女。
つまり水の性質をもちながらも日とされたアマテラスを指す。

 では「盲て涙する母」とはだれか。「盲て」は「痲敷いて」で麻は「しびれる」の意があり大麻、神社で大麻(マリワナではなく幣(ぬさ)のこと)を振って 氏子を清めながら奏上する禊祓詞は、下のような新しい形にされている。

(禊祓)
  タカマノハラ  カムヅマ  カムロギ カムロミノミコト モチ  スメミオヤカム イザナギノミコト
『高天乃原に神留ります 神漏岐 神漏美命以て 皇御親神伊邪那岐命
ツクシ ヒムカ タチバナ オド アハギ ハラ ミソギハラ ア
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に 禊祓い給う時に生れませる
ハライド オオカミタチ モロモロ マガゴトツミケガレ ハライ タマ マヲ ヨシ
祓戸の大神等 諸々の禍事罪穢を 祓い給い清め給えと白す事の由を
アマツ クニツ ヤオヨロズノカミタチトモ
天津神 国津神 八百万神等共に
アメノフチコマ キコ メ カシコ カシコ マヲ 
天班駒の耳振り立てて聞し食せと恐み恐み白す』


禊ぎ祓詞とは伊奘諾尊が常闇の黄泉の国から帰って伊奘冉尊の死の穢れを
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で水に入って禊ぎをしたことを言語化したものである。
つまり「盲て涙する母」とは伊奘冉尊(イザナミ)を示唆しているのである。
このアマテラスとイザナミ親子は神社に仲良く鎮座しているらしい。
fumio


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