monologue
夜明けに向けて
 




最近、日本の若者は内向きで海外に出て勉強したり働いたりすることに積極的でないという。なんだかもったいない気がする。「井の中の蛙、大海を知らず」。井戸の底の水を海と思って偏狭な国粋主義に陥ってほしくない。

現在、息子は米国で暮らしているのだが、こんなことがあった。
息子は小学校二年生でこの国、日本に来た。それまでのかれの脳に残る記憶はロス・アンジェルスの生活だけだった。日本語は日本語学校、羅府第二学園に土曜日ごとに通っていたおかげでかなり理解できた。ボストンマラソン、ニューヨークシティマラソンで2回ずつ優勝したゴーマン美智子さんがそこの先生だった。
息子は日本の小学校に入ると日本語での授業にとまどった。授業中、隣の席の子と話をするとき息子はアメリカの生活を思い出してその話をした。それを聞くとその友達は「アメリカ、アメリカというな」と言って先生に隠れて横から殴る。自慢しているとでも思ったのだろうか。息子の記憶には日本の記憶はなくアメリカの記憶しかないのだから話をしようとすればアメリカが出てくる。どうしてアメリカの話をしてはいけないのか、かれには理解できなかった。そんなかれも立派に日本人として生長して日本人らしく英語をまともに話せなくなってしまった。それで差別されることもなくなった。めでたしめでたし。 しかし、高校を卒業してオクラホマの大学に留学するとき、特別に英語の訓練が必要になってしまった。入学前にかなりハードな勉強を乗り越えてやっと入学できたのだった。めでたしめでたし?
fumio

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