monologue
夜明けに向けて
 



 須賀正雄氏が退院して空いた向かいのベッドに11月17日、矢口素(しろし)氏が入ってきた。いわゆる「寝たきり」ではなく左官業で冗談の通じる面白い人だった。上から読んでも下から読んでも「しろし」と言っていた。わたしが「矢口素さん、リハビリ、行ってまいります」というと「チャンと留守番してるよ」という。帰ってきて「ただ今戻りました、留守番ありがとう、矢口素さん」というと「泥棒、入らなかったよ、なにも盗られなかった」という。「良かった。ぼくは廊下できれいな人にハートを盗まれました」とわたしはこたえた。
その頃、わたしは車椅子でエレベーターに乗り込んで動き出せば「発車オーライ、明るく、明るく、走るのよ」と昔流行った「東京のバスガール」の一節を歌い、次の階までの間、周りの人を巻き込んだ。「その歌、何というの」と訊かれると「東京のブスガール」じゃなくて「東京のバスガール」です、と答えた。その程度のジョークをいって喜んでいる変なおっさんとあきれただろう。
わたしは同室の患者さんたちだけではなく廊下でもリハビリ室でも名前を知っている人は逢えばみんな姓名を呼んだ。2B病棟の時、名札を付けていないヘルパーさんがいたので名前を訊くと名札を落としたといって「糸居ゆき子」と教えてくれた。2Bの廊下で小口ヘルパーを遠くから見かけて「小口和恵さん、こんにちは」と呼び掛けると「和代です」と訂正された。2Bには佐藤珠恵というヘルパーもいて「恵」と「代」がいつもこんがらかった。つぎから間違えないように口の中で繰り返した。そうしてなんとかみんな姓名で呼ぶとうるさく感じただろうけれどうれしそうに応えてくれたものだった。
fumio

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