monologue
夜明けに向けて
 



ベ-スプレーヤー川井鶏造はその年のジャズフェステバルに相棒のドラマーとアメリカにやってきた。わたしは日本の時と同じように餃子を焼いて一緒に食べた。最先端音楽を聴きながらケーゾーと食べる餃子はいつも格別にうまかった。
ケーゾーは土産に発売されたばかりで噂になっていたヤマハの最新ミュージックコンピューターを持ってきてくれた。それはまだ米国では手に入らなかったのでうれしかった。それでわたしは音楽作りにコンピューターを使用するようになったのだ。毎日新聞が募集してシンガポールで開かれた「第1回アジア太平洋わたぼうし音楽祭」の応募曲「わかりあえる日まで」もそのヤマハコンピューターで制作したものだった。わたしがそのコンテストに優勝して日本代表としてシンガポールの国立カランシアターに出演できたのは桃高ケイオンメンバー鶏造(ケーゾー)の力が大きかったと感謝している。高校のケイオンでも一生を通しての友となれるのだ。
fumio

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