monologue
夜明けに向けて
CALENDAR
2023年8月
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
前月
翌月
ENTRY ARCHIVE
2025年01月
2024年12月
2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月
2023年08月
2023年07月
2023年06月
2023年05月
2023年04月
2023年03月
2023年02月
2023年01月
2022年12月
2022年11月
2022年10月
2022年09月
2022年08月
2022年07月
2022年06月
2022年05月
2022年04月
2022年03月
2022年02月
2022年01月
2021年12月
2021年11月
2021年10月
2021年09月
2021年08月
2021年05月
2021年04月
2021年03月
2021年02月
2021年01月
2020年12月
2020年11月
2020年10月
2020年09月
2020年08月
2020年07月
2020年06月
2020年05月
2020年04月
2020年03月
2020年02月
2020年01月
2019年11月
2019年10月
2019年09月
2019年08月
2019年07月
2019年06月
2019年05月
2019年04月
2019年03月
2019年02月
2019年01月
2018年12月
2018年11月
2018年10月
2018年09月
2018年08月
2018年07月
2018年06月
2018年05月
2018年04月
2018年03月
2018年02月
2018年01月
2017年12月
2017年11月
2017年10月
2017年09月
2017年08月
2017年07月
2017年06月
2017年05月
2017年04月
2017年03月
2017年02月
2017年01月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年09月
2016年08月
2016年07月
2016年06月
2016年05月
2016年04月
2016年03月
2016年02月
2016年01月
2015年12月
2015年08月
2015年07月
2015年06月
2015年05月
2015年04月
2015年03月
2015年02月
2015年01月
2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年09月
2014年08月
2014年07月
2014年06月
2014年05月
2014年04月
2014年03月
2014年02月
2014年01月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年09月
2013年08月
2013年07月
2013年06月
2013年05月
2013年04月
2013年03月
2013年02月
2013年01月
2012年12月
2012年11月
2012年10月
2012年09月
2012年08月
2012年07月
2012年06月
2012年05月
2012年04月
2012年03月
2012年02月
2012年01月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年09月
2011年08月
2011年07月
2011年06月
2011年05月
2011年04月
2011年03月
2011年02月
2011年01月
2010年12月
2010年11月
2010年10月
2010年09月
2010年08月
2010年07月
2010年06月
2010年05月
2010年04月
2010年03月
2010年02月
2010年01月
2009年12月
2009年11月
2009年10月
2009年09月
2009年08月
2009年07月
2009年06月
2009年05月
2009年04月
2009年03月
2009年02月
2009年01月
2008年12月
2008年11月
2008年10月
2008年09月
2008年08月
2008年07月
2008年06月
2008年05月
2008年04月
2008年03月
2008年02月
2008年01月
2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年09月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年04月
2007年03月
2007年02月
2007年01月
2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年09月
2006年08月
2006年07月
2006年06月
2006年05月
2006年04月
2006年03月
2006年02月
2006年01月
2005年12月
2005年11月
2005年10月
RECENT ENTRY
がんばれ
ドイツ バサラマインツ
送還
アイス
あぶない
スタート
薬物
ついに
恩赦
火災
RECENT COMMENT
8316elcarim/
封印は解かれる
8316elcarim/
ホピ族
あおたん/
Eli, Eli, Lema Sabachthani?
あおたん/
Eli, Eli, Lema Sabachthani?
fumio/
Eli, Eli, Lema Sabachthani?
あおたん/
Eli, Eli, Lema Sabachthani?
あおたん/
肋骨骨折2
fumio/
君さえいれば
山本/
君さえいれば
fumio/
少彦名という名前
RECENT TRACKBACK
CATEGORY
ビートルズ
(46)
光の黙示録
(47)
神社
(33)
歯科
(24)
悼む
(112)
病院
(121)
ARION
(131)
アトランティス
(15)
パソコン
(57)
黄金太陽
(53)
「水面に書いた物語」プロジェクト
(27)
音楽 芸術 文化
(1201)
預言解読
(947)
新たなプロジェクト
(65)
地球救済
(39)
原子力、核関連
(92)
四郎
(42)
生き物たちの記
(33)
社会 世界 歴史
(492)
ランキング
(752)
スター・ウォーズ
(12)
サム・クック射殺事件
(8)
ボビー・フラー怪死事件
(25)
カリフォルニア・サンシャイン
(91)
将棋
(180)
続カリフォルニア・サンシャイン
(100)
思い出語り
(332)
隠居tと六
(35)
伝承と昔話
(95)
ARION語録
(69)
単語別メッセージ集
(20)
その他
(272)
額田王
(8)
蓄音機
(9)
BOOKMARK
ようこそmonologueへ
時空捜査局
炎で書いた物語
水面に書いた物語
MY PROFILE
goo ID
fumioyamashita
性別
都道府県
自己紹介
SEARCH
このブログ内で
ウェブ全て
URLをメールで送信する
(for PC & MOBILE)
リトルボーイ
社会 世界 歴史
/
2023年08月06日
1945年8月6日原爆「リトルボーイ」が投下された。
そしてなにが残った
「リトルボーイ」とは少年のような爆弾を意味したけれどわれわれ日本人になじみの深い「一寸法師」の意味のように感ぜられる。
ボストンマラソン、ニューヨークシテイマラソンで二度ずつ優勝して女子マラソンブームになった「走れ、ミキ」のモデル、
ゴーマン美智子さんが先生をやっていたロサンジェルスの日本語学校、覇府第二学園でのクリスマス劇
一寸法師
ゴーマンさんが脚本を書いてわたしは音楽を手伝った。
「一寸法師」を以前採り上げたことがあるので、以下にコピーしておく。
<夏休み昔話料理講座第二回>
献立「一寸法師」
今回は、「一寸法師」を取り上げようと思う。
話の創作意図が他のお伽噺とは別にあるようで興味を覚えるのだ。
<一寸法師>
これは本当はどう読むのだろう。ギャグでよく言うチョットボウシじゃないだろう。現代人はイッスンボウシと発音しているが室町時代の御伽草子のひとつだからその頃の読み方が正しいのだろうか。
古代、寸はキという長さの単位だった。「寸」は見れば解るように十字のチョンということなのである。その意味は「尋」ねる、そして「壽」にも使用されていることでわかる。双方に共通するエとロはべつにエロでスケベということではない。「尋」のヨは手を開いた形である。手にエで左の字、ロで右。古代の巫術(フジュツ)の左右に持つ呪器(ジュキ)のこと。「右」の口はサイというお椀の形。「左」の工はなんと呼ぶか知らないがお椀に入れた占いの紙片を突き刺すもの。「巫」の字の人を除くと工が残る。尋ねるとは左右の手を掲げて「寸」=チョンの十(カミ)に尋ねることであった。「壽」はヨの代わりに十が屋根の上に乗っている。これはめでたいはずだ。ということで、「寸」が長さの単位だけで使われるのではないことがわかる。スンという読みになってもSUNという発音でスのカミの意は残された。さて、長さの単位としての「寸」は後には馬の高さを測るのに用いられた。四尺を基準としてそれより、一寸高ければ一寸(ヒトキ)と呼んだ。
とすれば一寸法師の本当の背丈は四尺一寸、約123センチであったということになる。
小学生並の身長である。同時代の人の平均よりはかなり低い人だったのだろう。現代でも「こびとの国プロレス」などでmidget(ミジット)と呼ばれる方たちが活躍している。そんな背の低い人の話と考えれば、ただの一寸、約、三センチの人の話とするよりは現実的である。だが、現実的だから良いということはない。やはり、お伽噺は夢がふくらむ方がいい。ファンタジーなのだから。一寸法師についても色々仮説を立てている方がある。
作家の高橋克彦氏は確か、お椀を空飛ぶ円盤に見立てて一寸法師は小さな宇宙人であり、大国主尊の手助けをした少名彦名尊(スクナヒコナノミコト)であると推理していた。
それはそれで面白いとは思うが、その説に踏み込むことは今回の本意ではない。
ここでは一般的な話を元にして考察する。ご存じない方のために簡単にあらすじを紹介しておく。
「指にも足りないような小さな人がお椀の舟に箸の櫂で京(みやこ)へのぼった。
そして、三条の公家にめしかかえられる。姫のおともで清水へと行く。その帰りの清水坂で鬼に遭遇する。法師は鬼の口に飛び込み、腹の中を針の剣で突く。
鬼は法師を吐き出して逃げる。鬼の置き忘れた打ち出の小槌をフルと背が伸びて立派な若者となり姫と結ばれ中納言にまで出世した」
さて、一寸法師の話に込められているさまざまな象徴の示すイメージを見てみよう。
「お椀の舟に箸の櫂」お椀は○のイメージ、そして、箸の櫂は一のイメージがある。
さきほど見た「尋」と「壽」の文字の元になったサイという巫術からの発想が感じられる。口のお椀と工の突き刺す棒。それを操る寸(き)。壽からエとロをとってしまえば「寺」が残る。主人公は自然に法師が選ばれる。つまり、一寸法師とは、壽法師なのだ。川を上るのはわれわれ人類の霊的生長を暗示している。京へ上るのは双六の上がり。「京」の文字は口であらわされるミヤコに下からのぼってくる形である。
「清水寺」「三条の公家」「法師」「打ち出の小槌」「お椀の舟に箸の櫂」などの意味するところをみると。
「清水寺」清水寺は798年に坂上田村麻呂が創建したとされる。能楽の世阿弥作「田村」では田村麻呂の霊が清水寺のいわれをはなし、観世音の功力(くりき)によって武功を立てたことなどを語る。清水寺の山号は音羽山。ここには「音」が深くかかわっている。これでは清水坂で遭遇した鬼とは怨霊となった田村麻呂としか思えない。
素盞鳴尊→饒速日尊→田村麻呂という鬼の系譜がある。「坂上田村麻呂」の坂と田をとって金太郎、坂田金時の苗字とされたとも考えられる。金時の「時」には日と寺があり、一寸法師の作者と金太郎の作者の創作過程に共通する何かを感じる。
「三条の公家」三の数霊の九家=日向
「法師」「法」は水を去ること、三を去るためにやってきた師。
「打ち出の小槌」この話では「打ち出の小槌」がもっとも大切な要素である。それはもう小道具の域を超えている。一寸法師=打ち出の小槌をフル話といっていいほど。
「お椀の舟に箸の櫂」お椀は○のイメージ、そして、箸の櫂は一のイメージ。○の中で櫂を漕ぐのはセックスのイメージも含む。
これらの材料を料理すると。
一寸法師の作者は壽にちなんだめでたい出世噺を書こうとした。そこにはそれまでの陰陽思想を超える究極の真理を伝えようとする創作意欲が感ぜられる。それはまるにチョンを入れることである。
まず「壽」から浮かぶイメージを組立て主人公を寸の人(一)として一寸という背丈に設定した。お椀の舟と箸の櫂も巫術の道具と壽の字の関連から発想した。川を上り京へ入ることで一○となっている。待っていた姫は日目で亀であり○の文様。一寸と結ばれると一○。三条の公家は三の支配が終わり三を去る法師によってとってかわられることを暗示して配した。清水坂の鬼は坂鬼で坂上田村麻呂を登場させた。それは法師に打ち出の小槌を与えるための重要な配役。打ち出の小槌をフルことによって人(一)は霊的に完成し○と交(カイ)の一体となることができる。新たな時代への転換点にはフル=饒速日尊の霊力が必要なのである。一○では一と○が離れて見えるが○にチョンが入る日の元の字でなければいけない。そのことによってついに真のアマテラスの時代が始まる。一寸法師はそのことを知らせるメッセージを託して創作されたのであった。
今回はこれまで。
fumio
コメント (
0
)
|
Trackback ( 0 )
goo ブログ
編集画面にログイン
ブログの作成・編集
gooおすすめリンク
おすすめブログ
【コメント募集中】オススメの「飴」はありますか?
@goo_blog
【お知らせ】
ブログを読むだけ。毎月の訪問日数に応じてポイント進呈
【コメント募集中】オススメの「飴」はありますか?
訪問者数に応じてdポイント最大1,000pt当たる!
dポイントが当たる!無料『毎日くじ』