monologue
夜明けに向けて
 



開店当時大繁盛していたクラブ「エンカウンター」のアナウンサーがラジオ番組の中でわたしになにか歌えと所望するのでわたしはその日の担当のピアニストにバック伴奏を頼んで尾崎紀世彦の「また逢う日まで」をライブで歌ったものだった。ところが、そのクラブ「エンカウンター」が経営不振で突然つぶれてしまったのである。それでわたしはシゲさんとふたりで働ける店を探してハリウッドのクラブ「蝶」やLAPD(ロス市警)の隣の店「燈り」やダウンタウンのリトルトーキョーの白龍飯店(インペリアルドラゴン)に一緒に出ることにしたのである。それでなんとか在米生活できたのだった。リヴィングオンアプレイヤーの主人公トミーのようにいつなにがあるかわからない。
fumio

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邂逅  


ロサンジェルスにおける天下一エンターテイナー選考会で選ばれた二人のギタリスト中島茂男とわたしはジョージ支配人にコンビを組まされたので、レパートリーとして中島の長屋でビートルズの「No where man」など数曲練習していた。するとそこにヨーロッパツアーを終えてアメリカツアーにやって来たファーイーストファミリーバンドの宮下フミオが生まれたばかりの子供(ジョデイー天空)を抱いてやってきた。今にして思えば、裏の見えないところで宮下中島山下の三人を巡り合わせるエンカウンターの経綸が働いていたのかもしれない。
fumio

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ロサンジェルスのダウンタウンに「エンカウンター(Encounter)」という大型クラブが開店するということででエンターティナーのオーディションがあった。ロサンジェルス中のピアニスト、ギタリストがオーディションに集まった。支配人ジョージ氏は、プロデュース能力に恵まれて様々なイベントを企画してさながら天下一ミュージシャン選考会の様相を呈したその様子をラジオ局のサテライトスタジオと化したクラブからリモート生中継したのだった。選ばれたのはほとんどがピアニストで結局、ギターで選ばれたのはアコースティックギターのわたしとヒゲが印象的なエレクトリックギターの中島茂男だけだった。マネージャー、ジョージ氏は最後に、君たちはふたりでやってくれといった。それが現在に続くシゲさんとわたしとの本当の出会い「エンカウンター(Encounter)だった。
fumio


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