monologue
夜明けに向けて
 




関西に「ザ・リンド&リンダーズ」というグループサウンズがあった。
ヴォーカルは加賀テツヤ。かれは当時活躍してギター子守唄
燃えろサーキット
売られたギター
銀の鎖(と次々にヒット曲を連発していた。その加賀テツヤは1979年に渡米してロサンジェルスで自動車の整備工として働いていた。中島茂男とわたしと加賀の3人でギターのセッションをしたこともあった。そしてわたしたちSFのコンサートの時に色々と手伝ってくれたものだった。そして、加賀テツヤは1994年に日本に帰国して帰国後音楽活動を再開してしばらく活動しているうち持病の肺病が悪化して2007年(平成19年)12月30日に61才で逝去している。サンキュー、テツヤ、合掌…。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


感謝  


その頃、京都の繁華街、新京極にライヴ喫茶ができるのでオーデションで出演者を募集して選んだ。
天下一エンターテイナー選考会ということで京都中のバンドや歌手たちが集まって競い合った。わたしも出演者に選ばれて日曜の昼一時間担当することになった。「日々の夕べに」リアルリアル・ラヴそして何が残った打ち上げ花火などオリジナルを中心にギターを弾き語りした。
その店で、イギリスから帰国した川村尚(ひさし)さんがラジオの生放送をしたこともあった。
川村さんは「POPS IN PICTURE」という洋楽ヴィデオ番組を始めた。当時はヴィデオ機器が高価で洋楽ヴィデオ自体がほとんどなかった。わたしたち洋楽ファンはそれまで「ミュージックライフ」などの音楽雑誌やラジオで情報を得るだけでライヴを見に行く以外にはアーティストの演奏する姿を見る機会がなかったのだ。入手困難な多くの海外のアーティストの映像を川村さんが見せてくれたことでその後の日本のミュージシャンの感性が育った。その川村さんは2012年に亡くなった。洋楽の種蒔き人、川村尚(ひさし)さん、ニックネーム、デデさん、ありがとう…、いつも感謝しています。合掌…。
fumio



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )