monologue
夜明けに向けて
 





<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より



「新たなる蕾か 古い蕾か」にはちょっとひっかかる。
真空の空に風が起こり胎児が生まれようとしているのだから「新たなる蕾」に決まっていると思える。しかし、「再び」があるので「古い蕾」の可能性が濃いのだ。
「蕾」は解字(開示)すれば草冠に雷。雷神としてのフル(ニギハヤヒ)。
そして読みでは「壺巳」で霊界の入り口、滝壺の竜蛇を示唆。 
いずれにしてもこの胎児はニギハヤヒの霊的継承者と思われる。
「受け入れるか 拒むか」そのことに日本の未来がかかっているのである。
fumio



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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より


前回踏み込んだ「ひふみ」の宇宙生成の仕組み「九理」の説明をしておく。
有名な日月神示冒頭の原文は「二二八八九十ニホんハれ」。
それが「二二八八∂十二ほん八れ◎の九二のま九十の◎のちからをあら八す四十七れる」となり
「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力をあらわす世となれる」と読まれる。「日月神示」の原文は筆で数字とかなと記号で殴り書きにされてまるで子供かアブストラクトの絵のような体裁で自動書記した岡本天明にも読めなかった。
アルファベットのRにあたるラ行の文字には∂や@のような渦巻きのような形が使われたことをふまえて「二二八八九十ニホんハれ」と「二二八八∂十二ほん八れ」を並べると九が∂の渦巻きになって「れ」と読まれていることに気がつく。
つまり、九は零でもあるのだ。なんとも理解しがたいがそれがニギハヤヒの九理の秘法の核であった。
意識数学者、佐藤敏夫氏がホームページ神の数学・佐藤
ひふみの算法について発表されているので一読すればニギハヤヒが遺した古(いにしえ)の杖を手にすることができるだろう。
fumio

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蟹星  



<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より


難解に見えるこの詩句もやっとほどけてきた。
この詩句全体が第三ステージの終了と再生について語っているらしい。
人類はもう二度滅亡を経験し今回が三度目。
文頭の聞き慣れない「蟹星」について考える。
「蟹」は虫が解け「カイ」である。
カイは何度もいうが一(ヒ)の数霊。
「真空の空に」とは不思議な表現だがマコトの九の空にの意味。これは世界の成り立ちに関わるので思考を要する。「ひつ九の神」というペンネームを使用したニギハヤヒは日月(ヒフミ)神示でマコトは○九十と表している。それを九理と呼ぶ。その空に「風」二(フ)が起こるという。それはこの宇宙を生んだヒフミの仕組みの発動を示している。そこに生まれる胎児は解字すればわかるように「台与」の後継者なのである。
fumio

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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より


いつものことだが預言詩の場合はことばの表面からみえない真の意図がその裏に隠されていることに気が付かなければいけない。なにかひっかかるところがあればそこを確かめるとやっと真(神)意がみえてくる。この詩句の場合は
「静かに 静かに 時を待つ事 何もせずとも 全て行われる 用意の時を静かに待つ事」の部分に多くの人が不自然さを感じられるだろう。なぜこの中に「静かに 」が三度も使用されているのか。どうせ待つのなら寝て待とうが騒いで待とうが勝手なはずなのにわざわざ待ち方を「静かに」と指定するとは…。それはもちろん「静」を解字 させようという作戦なのだ。
すると見えてくるのは「月の主」と「争う」すなわち月讀(ニギハヤヒ)の三度の戦いである。暁の星として降りるかれは三番目の鐘をもうすぐ鳴り終わらせるのである。
fumio





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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より


この詩句をよくみると
「これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星」と同じ表現が繰り返されている。
ということは「* の星」と「暁の星」が同じということになる。
さすれば「*=暁」にほかならない。
ここで暁を「赤月」として考えると
以前「赤い月の形としての物語」という預言詩を解読したことがあった。
そのとき、この題名は大物主(ニギハヤヒ)の独り言(モノローグ)と解釈した。
つまり「赤い月」はニギハヤヒの使う多くのハンドルのひとつなのだ。
fumio





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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い

1986-4-15


(引用者注:「*」記号は、原文では「+」と「×」を重ね合わせた記号とな
      っています。該当する記号が打ち出せないので*で代用しました。)

「光の黙示録」より



*マークasterisk(アステリスク)は星号、星印とも呼ばれるのでこの詩句に合っている気がするが「+」と「×」を重ね合わせると普通は「米」になるはず。
しかしマークにすれば※になってあまりそぐわない。「米」ならその示唆するところは多く深い。そんな食物をわたしたちは主食としているのだから。
そしてなんといってもこの「米」の形は神「十」の力の全方向性と考えられる。
そんな力をもつ「暁の星」が降りる時を静かに待たねばならないようだ。

fumio


 


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<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い

1986-4-15


(引用者注:「*」記号は、原文では「+」と「×」を重ね合わせた記号とな
      っています。該当する記号が打ち出せないので*で代用しました。)

「光の黙示録」より

この詩句では「* の星」に深い意味があるらしく引用者注がついている。
読み返すとなんだか希望の匂いがする。「+」と「×」を重ね合わせた*マークasterisk(アステリスク)はなにを示唆しているのか。
fumio


 


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再臨  



<11> 神託

 我は イシスの神の再臨を斎(イワ)う為に
 此処に参れり
 豊饒(ホウジョウ)の稲を此処に撒(マ)き
 その根をこの国司(クニツカサ)に渡すなり
 長者(オサ)を立てて 磐根(イワネ)をおいて
 雲を払え
 瑞穂(ミズホ)の葦の広野(ヒロノ)の裾に
 我は種を撒(マ)けり

「光の黙示録」より


 イシスは再臨の時を迎えてアメリカではナンシー・ペローシ氏が初の女性下院議長となり、フランスではロワイヤル氏が初の女性大統領を目指して運動を開始した。
しかるにわが国ではかれらに匹敵する長者(オサ)らしい女性が台頭してこない。
瑞穂(ミズホ)の葦の広野(ヒロノ)の裾に撒(マ)かれた種、卑弥呼や台与の系譜を継ぐ者は地中で育ち、いつの日わたしたちの前にその美しい花を咲かせてみせるのだろうか。
fumio

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長者  



<11> 神託

 我は イシスの神の再臨を斎(イワ)う為に
 此処に参れり
 豊饒(ホウジョウ)の稲を此処に撒(マ)き
 その根をこの国司(クニツカサ)に渡すなり
 長者(オサ)を立てて 磐根(イワネ)をおいて
 雲を払え
 瑞穂(ミズホ)の葦の広野(ヒロノ)の裾に
 我は種を撒(マ)けり

「光の黙示録」より


 イシスはやはり再臨の時を迎えたようである。
立てるべき長者(オサ)としてふさわしいのはだれなのだろう。
思い当たらない。
fumio

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六、  苦しみは 夜明けと共に、霜の様に頭上に
    降るであろう
    川を渡る時に 川のおもてを見てはならない
「光の黙示録」より


これらの詩句を解読して困るのは答えが提示されないことである。
先生が前にいて手をあげて答えるのであれば正解とか不正解とかすぐに教えてもらえるが
宇宙神霊はただじっとわたしたちが自立するのを見守っているだけ。手助けしてはいけないのだから。それでも正解にたどりつけば世界はそのように進む。それが無言の答えなのだろう。
 それではこの詩句に対するわたしなりの考えを記そう。
「苦しみ」は「来る四三」で四三は「黄泉」三四三のこの世とあの世の対称世界の四三。「夜明け」はその四が明けること。「霜」は「四方」。
わたしたちがこの季節に飾る鏡餅は太陽の姿の橙(だいだい)を頂上にいただき、 四手(しで)の裏と表は紅白で、 裏白(うらじろ)という植物や お供え物をのせる四方を「紅」でふちどられた四方紅(しほうべに)を「三方」に乗せる。それらがこの世とあの世の重層的世界の構造を描いている。
そのように考えるとこの「川」はこの世とあの世の境の三途の川。
彼岸と此岸の岩戸が開き互いに渡り、会う時「川のおもてを見てはならない」という。
おもてはなぜひらがななのか、表と書くのか面なのかそれは「主手」だからなのだ。
見てはならないというがもうここまで来れば主手の想像はつく。黄泉大神となったイザナミと月讀であるニギハヤヒだろう。
fumio








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六、  苦しみは 夜明けと共に、霜の様に頭上に
    降るであろう
    川を渡る時に 川のおもてを見てはならない
「光の黙示録」より


いつものようになぞなぞのような詩句。
解く手がかりが見あたらない。
それでも、もうそろそろ解かねばならない。
時は満ちたのだ。
fumio




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<7> こと これに覚えしサキツチのシズカネいわく

 日の本の島々 これ総ての流砂の磐(イワオ)に留どまるが如し
 この磐 揺るがせば形変へるべし
 かの人々来たる日には この島大いに繁栄すべし
 西の雲 茜に染まり日の暮れるを忘れる日に
 かの人々 この島に来たりて杖を振るい いにしえの力を隅々に行き渡らせり

「光の黙示録」より


 
 まず「サキツチのシズカネ」を特定してみる。
 サキツチは、割き土、あるいは幸地などの意を含んでいるようだ。
そして前(先)つチ(血、霊、地、治)も意味している。
 シズカネは静かに時を待っておられる賤ヶ根=音ということである。
すなわち、以前統治していて身を賤しく落としながらもこの国の根として静かに待っていた方、その方が言われることには、
 日本の島々の磐を揺るがして形を変えるとかの人々がやってきて繁栄する。
  西の雲 はクサカンムリをかぶり茜に染まるが
  日はクサカンムリをかぶっても「暮」れることを忘れるような日に 
  かの人々が杖を布留い古(いにしえ)=布留=饒速日尊(ニギハヤヒ)の力を
  この日本の島の隅々に行き渡らせるということである。
「かの人々」は彼岸の「彼の人々」で岩戸が開き割(さ)かれていた彼岸と此岸が一体となる日を指している。その岩戸を開くのはわたしたち自身。
fumio


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<7> こと これに覚えしサキツチのシズカネいわく

 日の本の島々 これ総ての流砂の磐(イワオ)に留どまるが如し
 この磐 揺るがせば形変へるべし
 かの人々来たる日には この島大いに繁栄すべし
 西の雲 茜に染まり日の暮れるを忘れる日に
 かの人々 この島に来たりて杖を振るい いにしえの力を隅々に行き渡らせり

「光の黙示録」より


「かの人々」とはいったいだれのことなのだろう。
fumio

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わたしのサイトで人気のある「水面に書いた物語」の序章となる風の中の北京家鴨(ダック) はわたしが首の骨を折ってリハビリのために転院した国立療養所武蔵村山病院でワープロで書いた作品。肉体的精神的にわたしたちを縛るものからの自立がテーマであった。退院してその他の章を書き継ぎ数年後「赤鬼譚」で結末を書いてやっと「水面に書いた物語」としてホームページにアップロードすることができたのだった。
fumio


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2006年
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 第16位 富士山とは 210

 第17位伊雑宮 203

 第18位 榊原聖斗 189

 第19位ダイアモンド 181

 #第20位 神 174

********************
 
こうして並べると昨年一年間の人々の興味の行方がわかる。

今年もよろしくお願いします。
fumio

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