「美里町万葉の里ハーフ駅伝」を
走ってきた。
今年初めてのレースであり
深谷仙元山RCの
一員である事をしっかり認識する為に
これ程ぴったりと当てはまる大会は
他にはないとも思っている。
今回は3区(3.790km)を受け持たせて頂いた。
しかし昨年暮れから正月にかけ、膝を痛めてしまい約1ヵ月走れずにいたのと
昨年までの懸案であった喘息の影響で、心肺を激しく使ったレースも練習も
控えていたために、短い距離を全力で走る駅伝は今の状態では難しい状態。
それでも出場を決めたからには、襷を繋ぐ事はチームの競技である以上
自分の記録を度外視してでも、それこそが使命であり、また魅力でもある。
現在の自分の状態はチームの状態でもあることから、約3週間ほど練習で
今までにないくらいに自分を追い込み心肺機能に喝を入れていたつもりだった。
心肺はそれなりに付いてくるのに
足が動かないのだ。
喘息を発症する前から比べると
1kmあたり5~10秒は遅く
どう足掻いてもその状態は
解消する事はなかった。
これは自分にとって実に
衝撃的でありまるで悪夢を見ているかのようであった。
何故ならば、昨年の秋にはハーフやフルのベスト記録を更新、
それはそれなりに自信にもつながることだし、
以前ならば足が心肺を超えた走りで、どうしたら心肺を
もっと上げる事ができるのか、そればかりが課題だったように記憶する。
「走れない自分」
それは決して自分が自分を許せる範疇をはるかに超え、
頭を抱え込みたくなる衝動に駆られる。
それでも、本番になれば自分は走れるのだと、この期に及んでも
走れる自分をイメージして止まなかったのである。
しかし実際にレースに挑んでも神風が吹くことは決してない。
練習道理、実力道理の走りしかできなかった。
集団で抜き去られ、
焦って前半突っ走ってしまった
ランナーを数人拾うことしか
出来ない自分。
「あの頃だったら、
あのペースの集団だったら、
この自分が引っ張っていく位の
パワーはあったな・・・」
そんな冷静な目で前を行く集団に諦めの胸中でふっと目を閉じ
今までの自分の練習を思い返してみた。
それはやはり甘えが先行し、どうしてもその苦しさの中にどっぷりと
身を沈める事ができず、近くの浮遊物に助けの手でしがみつき、
そして逃げ口の口実を作ろうとしていた、みっともない自分の姿が写る。
いつか有名マラソン監督がこう説いていた。
「年齢を重ねたらその前年の倍の距離を走らなければいけない」と。
その苦しさを回避し、
楽な道ばかりを
歩んできた結果が
この駅伝の結果では
ないかと思う。
有頂天になっていた。
ハーフ、フルでのPBが
慢心を招いたのだ。短い距離での速さは長い距離での余裕を生む。
それは分かっていたつもりだったが、本音の部分で逃げていた部分でもある。
それが身に沁みただけでも、この駅伝で沈んだ意味があったと思う。
苦しみの中から這い出してこそレースで笑える。
改めてその事に気づいた今、寒空の元、心新たに走り出そうと思う。