風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

人生、駆け足。そのスピードなら負けないのになぁ~。またまた一路さんの繁忙記です。

2013-08-03 10:14:52 | 日記・エッセイ・コラム

2013_07250006 あの奥武蔵ウルトラマラソンを

終えてから早一週間が

過ぎようとしています。

今ではその負ったダメージは

殆ど残っておらず

いつでも再び走り出しても

まったく支障はないところなのですが

未だにシューズを手に取ることさえもできないでいます。

とにかく忙しくって・・・・。

そもそもその忙しさはその奥武蔵を走りったあとの地元チームの恒例行事である懇親会に

出席したところから始まりました。

会場に到着後、自宅に無事完走のメールを送ったその返事が

即帰宅を望むメールとなって帰ってきたのです。

叔父が危ない状態であり、病院から合わせたい方がいたなら今のうちに・・・・。

そんな連絡が数時間前に自宅に入ったそうな。

生憎、その筋の親戚は休日である事から皆が不在であったらしく

もちろん私もその頃は坂道に苦しんでいる真っ最中で。

2013_07250014 きっと叔父家族は

誰とも連絡がつかず

ヤキモキしているに違いない。

よりによってそんな時にと、

申し訳ない気持や

どうか間に合ってくれとの

祈りを抱えながら

慌ててその懇親会会場を後にして自宅に急ぎました。

とは言っても、78kmを走り終えたカラダは焦る気持ちと裏腹に

カメの子のような動作しかできません。

足を引きずり、水を飲みすぎ不調となったお腹を抱え

自宅に着くとすかさず電話が鳴り叔母の声。

叔母も舞踊のレッスン後に電話の着信に気付き、さあ、大変だということになったそうな。

だが、遠方にある病院の場所が分からず、では、私が運転していきますからと

とりあえず我が家に来て頂くことに。

シャワーさえ浴びる事無く直ぐにでも出かけられる準備を整えて叔母を待つこと数十分。

少し疲れた様子の叔母が少し肩を落としながら玄関におり、お話を聞くと

叔父家族に連絡がとれ事情を聞いたところ、今すぐにどうと言う事はなのだという事らしいと。

ガックリとチカラが抜け、へなへなと座り込みそうになるカラダを必至に支え

やはり外出中のもうひとりの叔母・いとこ家族に連絡、我が家に来ていただき

今後の対応を協議。

翌日、どうしても休む事のできない仕事に疲弊しながらもどうにか帰宅。

2013_07250004 翌朝、早々に叔父が

亡くなったとの連絡。

昨夜、私は行く事は

できなかったのですが、

皆でお見舞いに行った時には

意識もあり会話もできていたとの

代わりに行ってもらった我が家の奥方の

その話が最後となってしまったようです。

その後、叔父の顔を見にご自宅に。

やせ細ったその姿は元気だった頃の面影もなく、尚いっそうの悲しみを誘います。

覚悟はしていた事とはいえ、やはり人間の寿命に対してこれでもう良いというものはなく

別れる辛さはどれ程長生きをしたものにとって同じ悲しみに襲われるのだと

改めて思い知らされました。

そしてそんな慌しさや相変わらず殺人的な繁忙の中での仕事を終えてから

翌日からのお通夜、告別式本葬へと時間は流れていきました。

この間、奥武蔵のダメージは徐々に回復。

ようやく筋肉痛からは開放されてはいたのですが、しかし、それ以外での精神的疲労度は

強くてそして回復していると思い込んでいたカラダには根の深い部分で

蓄積された疲労が残っていたようです。

もう毎日が眠くって仕方ありません。

頭痛も酷く、毎日が辛い・・・・。

でも、明日の日曜日まで休む事ができず、もうひと頑張りと言ったところでしょうか。

いや、明日は奥方に買い物を付き合えといわれているし、

2013_07250003 田畑の除草はやらなくてはならないし、

庭の木々の剪定もやらねば・・・・。

結局のところ、母親の事もあり

朝寝坊もできずにたった一日の休日も慌しく

動かなければならないようですね。

一日は24時間と

決められているのだけれど

私のところだけその倍のスピードで時間が過ぎていくような気がしてなりません。

走りたいし、休みたいし、眠りたい。

でも、きっと生きている間じゅうは、運命的に忙しいのでしょうね、わ・た・く・し・は。

とりあえず来週を何とか乗り越えればお盆休みに入ります。

それまでは我慢、我慢。

もうひと踏ん張りの今年の夏です。

コメント (4)
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