風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

不都合の定理

2020-10-03 16:06:37 | 日記・エッセイ・コラム
秋です。

本来ならば、もう何レースかのエントリーを済ませ、ありったけの時間を使い、その時の実力に合わせ調整している頃です。

レースでは例え苦しんだとしても、それはそれ。

いくらかの充実感と満足感はさておき、微々たる向上心をあおられて、次のレースではきっとリベンジだと気持ちの上ではかなり燃えているはず。

そんな時期が今の頃。

ところが、どうでしょう。

何もない、、、そこでどうこころを奮い立たせたらよいのか。

練習とは奮い立たせてしまったモノをどれだけ、沈静化させられるかの試金石。

要するにしっかりと積んだ土台があれば、奮い立たせずとも自信のみで走れる。

その状態を知っていればこそ、同じ志の人に見せられないような努力。

それこそが、マラソンという競技の辛いところ。

早い人の練習を、強化に喘ぐ姿を、殆どの人が目にすることがないのは、そんなところだと思う。

ところが、ここに故障という足かせが存在してしまうことが多々あるのは周知の事実。

どんなに頑張ろうと、痛みのある人間には限界がある。

その程度にもよるが、それで」つぶれていくアスリートたちよ。

悲喜こもごも、スポーツの世界はそれが常識。

えっ、私ですか?

ハイ、痛くてたまりません。



実は手術をした箇所の痛みがまたもや発生しているのです。

走っているいる最中は何も感じないその場所が、数時間後には背筋を伸ばして歩けないほどに痛むのです。

以前、ケロイド症状を緩和する注射にて、その痛みを忘れてはいたものの、やはり根本的な治療とはいかなかったようで、再発、いや再再発といったところでしょうか。

そもそも、メスを入れた時点でランナーとしての生命のなん分かのいくつかは失われていたのかも知れません。

普通に生活するのと走るのとは全く違う世界であると、嫌が上でも知らしめられた、そんな感じなのであります。

もう、今からどう、地団駄踏んでもどうなることもありません。

自分の運のなさを嘆くのも嫌になりました。

けれど、一生涯走るを目標とする「生涯ランナー」とは私の大きな夢でもある訳で、早く走る事や長く走る事をたとえ捨たとしても、這いつくばりほふく前進ごとくの”いもむしラン”となれども、夢は捨てることは死ぬことと同じ。



生きて行くなら走る!

そこまでのこだわりを、どうして持ち続けるのか・・・。

それこそが、私自身の埃、、、いや誇りなので。。。

この世を去るその寸前に、ああ、良く走ったものだ・・・そう思いながらこと絶えたい。

バカというか、ランニングに魅了され、一時期のブームに惑わされたものでない者はきっとそう思うはず。

信念とはそう思うことなり。

まったくどうしてこんな道を選んでしまったのか・・・。

ある本に、”こだわりを捨てると、人間楽に生きられる”とあった。

正しくその通りだ。

だけど、こだわりがあるからこそ、未来が開ける。

ひとってそう言うものだろう。

もし、なんの目標も行きつく先も、夢さえも見えなければ生きている価値はない。

価値を求めてこそ、どれだけ茨な道を駆け抜けられる。

まるで堂々巡りのようなこの世界だけど、それだからこそ止まらず走り抜ける人生を送りたいと思うのだ。

痛い、痛いと嘆きながらも明日も走る。

バカな男の人生、、、なのだ。



コメント
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