いつだったか、何かとトラブルを起こす若い子がいた。
一生懸命だから周りが見えなくなる。
猪突猛進型を絵に描いたような子だ。
その子にふざけ半分で、「仕事なんか自分の持っている力の3割も使えば十分」と、言ったことを思い出す。
そのイノシシの子はきっとふざけていると思ったに違いないと思う。
だけど、自分としてはふざけておどけて言ってはいたが、それは本心でもあった。
仕事は仕事として、与えられた使命や役割をこなさなければ企業の中での歯車として生きてはいられない。
そこに全力で立ち向かう。
それが正しい企業人のありかた。
いや、待てよ。
それだけで成り立つのか、仕事というバケモノは。
実は企業としての理想・理念と、本来の人間としての生き方について、それをグラフ化した時、それはきっと交わる部分は永久にないんじゃないかと40数年間この身を企業という牢獄に身を置いて導き出した答えだ。
しかし、だ。
これからが重要なことで、3割の力を使えば企業が求めている仕事量をこなせる、そんなチカラを身につけなければいけないということであって、いい加減な仕事、適当にこなす仕事を”3割のチカラ”を使えば十分ということではない。
イノシシ君はガクッと来ていたが、要するにもっと容量の大きい人間になりなさいってことでもある。
かく言う自分がそれだけの器量、技量を身に付けている訳では決してないが、そこを目指すことは誰にだって必要なことで、ぎちぎちのチカラのすべてを仕事に傾けたのでは人間としての生き方に支障が出てしまうことは当り前だ。
例えば人間関係。
シャカリキに仕事に打ち込むのは別に悪いことじゃない。
だけど、ひとの気持ちとして反感を買うような言動をぶち投げていないか、あまりに一生懸命に打ち込む姿に反感を持つ輩も存在するかもしれない。
周りを気遣う目、口、そして行動。
全力で仕事に打ち込んでいては必ず欠落する思いやり。
全ての者が自分と同じ価値観を持ち、同じ技量を持ち合わせている訳ではない。
どこに基準を置くのか、そこが前に立つ者の役目である。
イノシシ君、突っ走るのはいい。
だけど、それに付いてこられえないものを蹴落としていてはトラブルに発展するのは当り前ではないか。
それを正しい方向に向けることこそが本来の人間らしいそのものであって、時には自分がブレーキとなったり牽引したりとできるようなチカラを身に付けていれば決してトラブルには発展しない。
気持ちで動く動物、それこそが人間でもある。
イノシシ君、君にはそんな存在能力がある。
あとは7割のチカラを使ってひとの輪を構築してくれたまえ。
老兵はそう思うのであった。

時間がない。
ともかく走る練習に時間を割くことができない。
ようやく体調も戻りつつあるというのに、次から次へと仕事を仕向けられてくる。
以前だったら、深夜の時間を金銭を得るための仕事に。
そして、明るい昼間の時間を使って様々な仕事をこなすことができた。
そして有効活用、、、、余った時間を走る時間に差し向けることができていた訳だ。
ところが、昼間の時間を収入を得るための仕事に向けているので、深夜の時間は睡眠時間ということになる。
それでは走る時間までどうしても捻出できるわけがない。
逆に考えれば、今までは寝る時間を割いて走っていた、と言えないこともない。
それでも何とかカラダは持ちこたえていてくれた。
ならば今も寝る時間を減らしその時間走ろうか、、、いや、もう無理だ。
そこが加齢ということの証明なのだろう。
筋力的にきつい訳でもなければ、心肺系が極端に機能を鈍らせている訳でもない。
けれど、それは練習をこなしていればこそ発揮できるもので、この状況から一気に全力で走れと言われてもそれは無理な話だ。
どこでどうして時間を捻出するのか。
それが加齢に打ち勝つキーワードでもあるが、そのヒントも見いだせない今が実にもどかしい。

再び、話は仕事に戻るのだが・・・。
先輩社員による教育が厳しい(?)過ぎると不満を持ち、新人さんが出社後まもなく吐き捨てるように、「仕事をできる気分ではない」と、帰ってしまった。
この新人さん、新人と言えどももうとうに40歳を過ぎた立派な大人だ。
確かにその先輩社員さんも口調はとげのある言葉を吐き出すことは多々ある。
けれど、統制を乱すことは今の職場にとっては決して好ましい姿ではない。
障がい者君たちに指導する立場の人間が、自分勝手な言い分で歩調を合わせず行動する。
それを障がい者君たちがどう見るのか。
社会の成り立ちをいくら説いても、行動が共わない指導はまったく理にかなわない。
それを敏感に感じるのも障がい者君たちの優れた部分でもある。
実はこの新人さん。
元は造園業者の元で働いていたそうな。
要するに”職人気質”という奴だ。
それが騰勢を乱す一因にもなってるのではないかと推測する。
殆どひとの助言を無視し、自分の裁量で判断。
そこから作業を進める。
が、集団の中での単独行動はやはり都合が悪い訳で、それを特々と説く先輩社員さんに敵意さえ持っているのではないかと思われる行動は自分の目からもダメ出しを出すようなこともあった。
企業の中での長年の暮らしは、集団行動、同じ目を持ち同じ方角を向くということの重要性をいやと言うほど叩き込まれてきた。
だが、一方では個人技こそが美徳と信じ、その腕に磨きをかけてきたものとは天と地ほど認識に違いがある。
どうしたものか。
季節は除草から剪定に移るというのに。
これ程チーム内が乱れていたのでは効率が仕事量に追いつかない。
まったく困った物である。
一生懸命だから周りが見えなくなる。
猪突猛進型を絵に描いたような子だ。
その子にふざけ半分で、「仕事なんか自分の持っている力の3割も使えば十分」と、言ったことを思い出す。
そのイノシシの子はきっとふざけていると思ったに違いないと思う。
だけど、自分としてはふざけておどけて言ってはいたが、それは本心でもあった。
仕事は仕事として、与えられた使命や役割をこなさなければ企業の中での歯車として生きてはいられない。
そこに全力で立ち向かう。
それが正しい企業人のありかた。
いや、待てよ。
それだけで成り立つのか、仕事というバケモノは。
実は企業としての理想・理念と、本来の人間としての生き方について、それをグラフ化した時、それはきっと交わる部分は永久にないんじゃないかと40数年間この身を企業という牢獄に身を置いて導き出した答えだ。
しかし、だ。
これからが重要なことで、3割の力を使えば企業が求めている仕事量をこなせる、そんなチカラを身につけなければいけないということであって、いい加減な仕事、適当にこなす仕事を”3割のチカラ”を使えば十分ということではない。
イノシシ君はガクッと来ていたが、要するにもっと容量の大きい人間になりなさいってことでもある。
かく言う自分がそれだけの器量、技量を身に付けている訳では決してないが、そこを目指すことは誰にだって必要なことで、ぎちぎちのチカラのすべてを仕事に傾けたのでは人間としての生き方に支障が出てしまうことは当り前だ。
例えば人間関係。
シャカリキに仕事に打ち込むのは別に悪いことじゃない。
だけど、ひとの気持ちとして反感を買うような言動をぶち投げていないか、あまりに一生懸命に打ち込む姿に反感を持つ輩も存在するかもしれない。
周りを気遣う目、口、そして行動。
全力で仕事に打ち込んでいては必ず欠落する思いやり。
全ての者が自分と同じ価値観を持ち、同じ技量を持ち合わせている訳ではない。
どこに基準を置くのか、そこが前に立つ者の役目である。
イノシシ君、突っ走るのはいい。
だけど、それに付いてこられえないものを蹴落としていてはトラブルに発展するのは当り前ではないか。
それを正しい方向に向けることこそが本来の人間らしいそのものであって、時には自分がブレーキとなったり牽引したりとできるようなチカラを身に付けていれば決してトラブルには発展しない。
気持ちで動く動物、それこそが人間でもある。
イノシシ君、君にはそんな存在能力がある。
あとは7割のチカラを使ってひとの輪を構築してくれたまえ。
老兵はそう思うのであった。

時間がない。
ともかく走る練習に時間を割くことができない。
ようやく体調も戻りつつあるというのに、次から次へと仕事を仕向けられてくる。
以前だったら、深夜の時間を金銭を得るための仕事に。
そして、明るい昼間の時間を使って様々な仕事をこなすことができた。
そして有効活用、、、、余った時間を走る時間に差し向けることができていた訳だ。
ところが、昼間の時間を収入を得るための仕事に向けているので、深夜の時間は睡眠時間ということになる。
それでは走る時間までどうしても捻出できるわけがない。
逆に考えれば、今までは寝る時間を割いて走っていた、と言えないこともない。
それでも何とかカラダは持ちこたえていてくれた。
ならば今も寝る時間を減らしその時間走ろうか、、、いや、もう無理だ。
そこが加齢ということの証明なのだろう。
筋力的にきつい訳でもなければ、心肺系が極端に機能を鈍らせている訳でもない。
けれど、それは練習をこなしていればこそ発揮できるもので、この状況から一気に全力で走れと言われてもそれは無理な話だ。
どこでどうして時間を捻出するのか。
それが加齢に打ち勝つキーワードでもあるが、そのヒントも見いだせない今が実にもどかしい。

再び、話は仕事に戻るのだが・・・。
先輩社員による教育が厳しい(?)過ぎると不満を持ち、新人さんが出社後まもなく吐き捨てるように、「仕事をできる気分ではない」と、帰ってしまった。
この新人さん、新人と言えどももうとうに40歳を過ぎた立派な大人だ。
確かにその先輩社員さんも口調はとげのある言葉を吐き出すことは多々ある。
けれど、統制を乱すことは今の職場にとっては決して好ましい姿ではない。
障がい者君たちに指導する立場の人間が、自分勝手な言い分で歩調を合わせず行動する。
それを障がい者君たちがどう見るのか。
社会の成り立ちをいくら説いても、行動が共わない指導はまったく理にかなわない。
それを敏感に感じるのも障がい者君たちの優れた部分でもある。
実はこの新人さん。
元は造園業者の元で働いていたそうな。
要するに”職人気質”という奴だ。
それが騰勢を乱す一因にもなってるのではないかと推測する。
殆どひとの助言を無視し、自分の裁量で判断。
そこから作業を進める。
が、集団の中での単独行動はやはり都合が悪い訳で、それを特々と説く先輩社員さんに敵意さえ持っているのではないかと思われる行動は自分の目からもダメ出しを出すようなこともあった。
企業の中での長年の暮らしは、集団行動、同じ目を持ち同じ方角を向くということの重要性をいやと言うほど叩き込まれてきた。
だが、一方では個人技こそが美徳と信じ、その腕に磨きをかけてきたものとは天と地ほど認識に違いがある。
どうしたものか。
季節は除草から剪定に移るというのに。
これ程チーム内が乱れていたのでは効率が仕事量に追いつかない。
まったく困った物である。