「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

被告の人生 変えた責任 -- 選択の重さ (8)

2009年06月06日 21時20分56秒 | 死刑制度と癒し
 
 熊本県で 87年に起きた、

 大学生誘拐殺人事件の 田本竜也被告 (当時21才)。

 小学校の同級生の男子学生を 山中に誘い出し殺害、 身代金を要求しました。

 荒木勝己氏 (81) は 熊本地裁の裁判長として、 一審を担当しました。

 被告は 反省の言葉を口にし、 写経をして 被害者の冥福を祈っています。

 荒木裁判長は 「 無期懲役でいいのでは 」と 何度も考えました。

 身代金目的の誘拐殺人を 重く見て 極刑を選択しましたが、

 言い渡し後、 「 更生の可能性は あったかもしれない 」と

 気にかかっていたのです。

 息をのむような気持ちで待った 控訴審の結果は、 一審と同じ死刑。

 ほっとする反面、

 「 死刑を回避することはできなかったか 」 と やるせなさも感じました。



 79年12月、 「 松山事件 」で 死刑が確定していた

 斎藤幸夫さんの 再審開始が決まりました。

 「 誤判ということになれば、 自分はこれから、

 どのように 身を処していけばいいのだろうか 」

 萩原金美氏 (77) は26歳の時、

 仙台地裁の陪席裁判官として、 斎藤さんの死刑判決を 出していました。

 被告が使ったとされる 布団の血痕の 鑑定が焦点となり、

 結果は 血液型は被害者と一致。

 「 本当に大丈夫だったのか 」

 萩原氏は 事件の記憶が 不意によみがえるたびに、

 鑑定結果を 自分に言い聞かせました。

 そして84年、 再審判決は 無罪を言い渡したのです。

「 一人の人生を 大きく変えてしまった責任を どうとればいいのか 」

 萩原氏は 誤判にかかわった元裁判官として、 新聞社に寄稿しました。

 その後も萩原氏は 自身の体験を講演し、

 論文で 自らの誤判に触れ、 事実認定の難しさを 訴えています。

〔 読売新聞より 〕
 
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