熊本県で 87年に起きた、
大学生誘拐殺人事件の 田本竜也被告 (当時21才)。
小学校の同級生の男子学生を 山中に誘い出し殺害、 身代金を要求しました。
荒木勝己氏 (81) は 熊本地裁の裁判長として、 一審を担当しました。
被告は 反省の言葉を口にし、 写経をして 被害者の冥福を祈っています。
荒木裁判長は 「 無期懲役でいいのでは 」と 何度も考えました。
身代金目的の誘拐殺人を 重く見て 極刑を選択しましたが、
言い渡し後、 「 更生の可能性は あったかもしれない 」と
気にかかっていたのです。
息をのむような気持ちで待った 控訴審の結果は、 一審と同じ死刑。
ほっとする反面、
「 死刑を回避することはできなかったか 」 と やるせなさも感じました。
79年12月、 「 松山事件 」で 死刑が確定していた
斎藤幸夫さんの 再審開始が決まりました。
「 誤判ということになれば、 自分はこれから、
どのように 身を処していけばいいのだろうか 」
萩原金美氏 (77) は26歳の時、
仙台地裁の陪席裁判官として、 斎藤さんの死刑判決を 出していました。
被告が使ったとされる 布団の血痕の 鑑定が焦点となり、
結果は 血液型は被害者と一致。
「 本当に大丈夫だったのか 」
萩原氏は 事件の記憶が 不意によみがえるたびに、
鑑定結果を 自分に言い聞かせました。
そして84年、 再審判決は 無罪を言い渡したのです。
「 一人の人生を 大きく変えてしまった責任を どうとればいいのか 」
萩原氏は 誤判にかかわった元裁判官として、 新聞社に寄稿しました。
その後も萩原氏は 自身の体験を講演し、
論文で 自らの誤判に触れ、 事実認定の難しさを 訴えています。
〔 読売新聞より 〕