「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

母を殺した父 -- 償いの意味 (3)

2009年06月14日 10時03分16秒 | 死刑制度と癒し
 
「 死刑になるのは 仕方ないと思います 」

 大山清隆被告 (47) は 1998年、

 養父の頭を 鉄アレイで何度も殴ったうえ、

 車の助手席に乗せて ブロック壁に激突させ殺害。

 2000年には、 妻を 自宅の浴槽に沈めて 溺死させた後、

 岸壁から海中に捨てました。

 不慮の事故を装い、 保険金約7300万円を だまし取ったのです。

 一審・ 二審とも 死刑を言い渡しました。

 大山被告の長男は (21) は、 小学校6年のとき、

 母親が 誤って海に落ちたと 聞かされていました。

 中学2年のとき 父親が逮捕され、 母が殺されたことを知ります。

 学校では、 人殺しの子供という 話し声が耳に入り、 友人も離れていきました。

 次第に生活は乱れて、 家族や友人を奪った 父を憎み、

 早く死んでくれとさえ 思いました。

 ところが、 一審の死刑判決を知って 動揺したのです。

 久しぶりに 拘置所を訪ねました。

 ひどくやせた父は、 「 ごめんな、 ごめんな 」

 とひたすら 頭を下げ続けました。

 それから、 拘置所通いが始まります。

 父親も毎週のように 謝罪の手紙をつづりました。

 母を殺した父を 許したわけではありません。

 ただ、 父が死刑になっても 母親は戻らない。

「 心から反省して 生き続けることこそ、 償いではないのか 」

 そんな考えに 辿り着きました。

 母は被害者、 父は加害者。

 命や家族の大切さを 考えるようになった長男は、

 父の刑が執行されたら 受け止められないだろうと語ります。

 大山被告は、 独房の廊下の鉄の扉が 開く音がするたびに、

 息子の面会を 刑務官が知らせに来たのかと 思います。

 しかし 死刑が確定すると、 執行のお迎えかという 恐怖に変わります。

「 それに耐えられるかどうかは、 自分でも分かりません 」

〔 読売新聞より 〕
 
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