米国の陪審制では 量刑は裁判官が決めますが、
死刑が求刑された 事件だけは、 陪審員が刑を決める 州が多く、
死刑の判断を 市民に委ねています。
昨年2月6日、 米サウスカロライナ州の評議室、
12人の陪審員たちの 採決は大きく割れました。
被告の男は2006年に 妻を銃殺した罪で 起訴され、
無罪を主張しましたが、 陪審員は有罪と判断。
何度か採決を 重ねた末、
10人が死刑、 残る2人は 終身刑を支持しました。
午後6時半、 評議初日が終わりました。
2月7日、 評議2日目。
「 死刑より終身刑で、 一生罪を償わせるべきよ 」
元刑務所職員の 60歳代の女性が言いました。
「 終身刑にしたら、 この被告は反省することもなく、
雑居房で 無罪だと言い続けるだろう 」 と 別の陪審員が反論します。
女性はほどなく、 終身刑から 死刑支持に回りました。
終身刑を主張するのは、 40歳代の黒人男性 一人になりました。
男性は 死刑の刑罰そのものを 否定して譲りません。
2月8日、 評議3日目。
「 そもそも死刑制度に反対なら、 この事件の陪審員に なる資格はない 」
黒人男性は、 「 皆がそれほど強く 死刑を主張するなら、
やむを得ない 」 とつぶやきました。
3日間で 計21時間に及んだ 評議は終わり、
全員一致で 死刑の結論になったのです。
日本の裁判官は、 過去の量刑例を 緻密に比較しながら、
極刑を選択するかどうか 判断してきました。
しかし 東京高裁の裁判長を務めた 村上光鵄 (こうし) 氏 (69) は、
死刑に関して 職業裁判官が培ってきた感覚と、
一般社会の処罰感情の間に 差が生じているような 気がしてなりません。
「 自分たちの結論は、 国民が考える刑より 軽いのか 」
5月から 裁判員制度が始まりました。
国民が選択の重みを、 裁判官とともに 噛みしめる日が来たのです。
〔 読売新聞より 〕