きのう書いた ODをした人は、
実はその数日前にも 1度ODをしてしまっていました。
その後 ある人から、 励ましというか、 説教のメッセージが あったそうです。
僕も その全文を見ましたが、
ご多分に洩れず、 命の大切さや 生まれてきた意味を説き、 誰でも愛されている、
絶たれていい 命などはないという、 手垢にまみれた 奇麗事でした。
死に直面している人に そんなことを言っても、 何も伝わらないどころか、
より一層 苦しめてしまうだけだということを、 この人は知らないのですね。
ODをした人は、 メッセージの意味は分かっても、 自分には厳しくて辛すぎる、
どうしたらいいのか分からないと、 僕に助言を求めてきました。
メッセージの送り主人はきっと、 “正義感あふれる善意” で述べているのでしょう。
でも、 泥沼の底をのたうち回って 自ら苦しんだ 経験のない人の、
口先だけの常套句です。
そんなメッセージが 2度目のODを招いた とは限りませんが、
一因にはなっているのではないか と思います。
真に苦しんでいる人は、 励ましてほしいのではない。
教えてほしいのではない。
理想を 聞かせてほしいのではない。
ただ、 苦しみを苦しみのまま 受け取ってほしいのです。
ただ、 傍らに寄り添って ほしいだけなのです。
それを理解できない人が、 苦しんでいる人に 更なる追い打ちをかけてしまう。
そういう人が 世の中には多すぎる。
そのことを、 多くの人たちにも 知ってほしいと思います。
うつ病の人に 「頑張れ」 と言ってはいけないということは、
ある程度 知られるようになってきました。
でも、 死の瀬戸際にいる人を 目の当たりにしたとき、 人はつい、
生きていればいいことがあるとか、 死んだら悲しむ人がいるとか、
紋切り型のことを 口にしてしまいがちです。
残念なことですが、 そんな “善意” が 世の中には溢れています。
断末魔にある人や、 愛する人を失って 悲嘆に暮れている人に、
周りの人が 「二次被害」 を与えてしまうのです。
確かに、 死んでしまうのは 決してあっていいことではありませんし、
何とか引き止めようとするのは 必至なことでもあります。
でも それは実は、
自分が 死や苦しみと向かい合うことに 耐えられないからでもあるでしょう。
その人の苦しみと共に、 じっと留まるという勇気も、 必要なのではないでしょうか。
難しいことですが、 死にたいほどの痛みに まず思いを寄せ、 それ否定しないこと。
その苦しみを 分かってもらえたとき、
逆に人は 命をつなぎ止めることがあると思います。
(次の記事に続く)