「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

死に瀕している人に 向き合って (1)

2009年12月15日 21時44分43秒 | 自死について
 
 きのう書いた ODをした人は、

 実はその数日前にも 1度ODをしてしまっていました。

 その後 ある人から、 励ましというか、 説教のメッセージが あったそうです。

 僕も その全文を見ましたが、

 ご多分に洩れず、 命の大切さや 生まれてきた意味を説き、 誰でも愛されている、

 絶たれていい 命などはないという、 手垢にまみれた 奇麗事でした。

 死に直面している人に そんなことを言っても、 何も伝わらないどころか、

 より一層 苦しめてしまうだけだということを、 この人は知らないのですね。

 ODをした人は、 メッセージの意味は分かっても、 自分には厳しくて辛すぎる、

 どうしたらいいのか分からないと、 僕に助言を求めてきました。

 メッセージの送り主人はきっと、 “正義感あふれる善意” で述べているのでしょう。

 でも、 泥沼の底をのたうち回って 自ら苦しんだ 経験のない人の、

 口先だけの常套句です。

 そんなメッセージが 2度目のODを招いた とは限りませんが、

 一因にはなっているのではないか と思います。

 真に苦しんでいる人は、 励ましてほしいのではない。

 教えてほしいのではない。

 理想を 聞かせてほしいのではない。

 ただ、 苦しみを苦しみのまま 受け取ってほしいのです。

 ただ、 傍らに寄り添って ほしいだけなのです。

 それを理解できない人が、 苦しんでいる人に 更なる追い打ちをかけてしまう。

 そういう人が 世の中には多すぎる。

 そのことを、 多くの人たちにも 知ってほしいと思います。

 うつ病の人に  「頑張れ」 と言ってはいけないということは、

 ある程度 知られるようになってきました。

 でも、 死の瀬戸際にいる人を 目の当たりにしたとき、 人はつい、

 生きていればいいことがあるとか、 死んだら悲しむ人がいるとか、

 紋切り型のことを 口にしてしまいがちです。

 残念なことですが、 そんな “善意” が 世の中には溢れています。

 断末魔にある人や、 愛する人を失って 悲嘆に暮れている人に、

 周りの人が  「二次被害」 を与えてしまうのです。

 確かに、 死んでしまうのは 決してあっていいことではありませんし、

 何とか引き止めようとするのは 必至なことでもあります。

 でも それは実は、

 自分が 死や苦しみと向かい合うことに 耐えられないからでもあるでしょう。

 その人の苦しみと共に、 じっと留まるという勇気も、 必要なのではないでしょうか。

 難しいことですが、 死にたいほどの痛みに まず思いを寄せ、 それ否定しないこと。

 その苦しみを 分かってもらえたとき、

 逆に人は 命をつなぎ止めることがあると思います。

(次の記事に続く)
 
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ODから生還……

2009年12月14日 19時55分19秒 | 自死について
 
 いつも僕のブログを 見てくれているBPDの人が、

 3日前に OD(大量服薬)をしてしまいました。

 朦朧とした状態で書かれた メッセージが送られてきて、

 ろれつの回らない文面からも、 かなり危険な状況でした。

 リチウム剤を180錠?飲み、 放置された場合は 生還率は極めて低いという、

 ウィキペディアの説明文が コピーされています。

 もし自分が死んでも、 僕のことを 元気であることを祈っている、

 お空から……と したためられていました……。

 そして 3日半経っても 何の連絡もなく、

 その人のブログも 全く更新されていません。

 事態は相当 深刻に思われ、 非常に危惧していました……。

 もしもこのまま 知らせが来なかったとしたら、

 ネット上の知り合いから ODしたというメールが届いて、

 その後2度と 音信がなかったということが、

 僕はこれで 3人目になってしまいます。

 ネットだけの繋がりだと、 こちらからは 為す術がないのです。

 ところが、 先ほど帰宅して パソコンを開いたところ、

 その人からのメッセージが 届いていました……! 

 やっと ICUから出られて、 年内は 退院できないというのですが、

 本当に良かった……。 (;_; )

 またきっと 復活すると書いてありました。 (-。-)

 今回ODしてしまった 直接の原因や、 その後の経緯は まだ分かりませんが、

 とにかく今は 身も心も ゆっくり休めて、 早く落ち着いてほしいものです。

 実は 3日前にその人からの メッセージを見たのは、

 朝起きた時で すぐ出かけねばならず、 ゆっくり見ることができませんでした。

 夜帰宅してから よく読むと、 とても深刻な状況だということが 分かった次第です。

(ODしたというだけの 連絡を受けるのは、 必ずしも珍しいことではないのですが)

 もしもまた 誰かからこのような 通知があったとしたら、

 警察に連絡するべきかと 思います。

 人の生命が 関わる場合、 今は警察も 動いてくれるのではないでしょうか。
 
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新しい銭湯

2009年12月13日 21時41分56秒 | Weblog
 
 先日、 心子とも行った 近くの銭湯が 廃業になってしまった 記事を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/60011962.html

 現在、銭湯は 40年前の1万7千軒以上から 4分の1になり、

 年間300軒のペースで 廃業しているといいます。

 しかし 露天風呂やサウナなど、

 多様な浴槽を 備えた湯屋は 生き残っているのではないでしょうか。

 新しく行くようになった 銭湯も、 2年前にできた所で、

 若い夫婦がやっていますが、 多機能の公衆浴場です。

 サウナ、 電気風呂、 ジェット水流 (湯流?) が噴出している

 浴槽などがあります。

 このジェットの水圧は 半端じゃなく、 消防車のホースで 放水されてるみたいです。

(されたことはないけど (^^; )。)

 でも僕には 湯の温度が低くて、 風邪をひきそうです。

 僕は熱い湯に 汗をたっぷりかくまで 浸かるのが好きで、

 前の銭湯は 熱くてちょうど良かったのですが。

 ここは 露天風呂が広いですね。

 普通の浴槽と、 水風呂、 そして 一人用の桶のような形の 浴槽がふたつあります。

(全部タイル作り。)

 この一人用の桶風呂は 温度が熱くていいのですが、

 水流やジャグジーがないので ちょっと物足りません。

 それに、 時に熱すぎて 長く入れないこともあります。

 銭湯はやはり 気持ちよくゆったりして 入りたいわけですが、

 浸かり心地がいまひとつで 悠々とできません。 (;_;)

 それと、 距離が 今までの2倍以上あるのが しんどいですね。

 はてさて……。 (・_・;)
 
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「ラクーア」 で忘年会

2009年12月12日 23時24分02秒 | Weblog
 
 今日、 中学の忘年会が 後楽園 「ラクーア」 でありました。

 「ラクーア」 は 地下深くから 温泉を堀り上げている、

 東京の 三大温泉テーマパークのひとつです。

 去年は お台場の 「大江戸温泉物語」 で忘年会を開き、 それが好評でした。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56972756.html

 今年はその第二弾です。  (^^)

 宴会は 午後1時からですが、 温泉施設は午前11時から 一日中利用できます。

 昼前からひとっ風呂浴び、 それから忘年会の宴席に。

 今年初めて出席した人が 2~3人おり、 中学以来 30数年ぶりの再会です。

 話すほどに 当時の記憶が甦って 盛り上がりました。

 卒業アルバムを 持ってきた人がいて、

 同級生の 顔と名前を見ながら、 色々な人を思い出したものです。  (^^)

 宴会後、 また温泉巡り。

 サウナなどでも 気持ちのいい汗をかきました。

 湯船は38℃と42℃、 前者は僕には かなりぬるいんですが、

 酒を飲んだ後は このくらいがちょうどいいですね。

 温泉テーマパークとしては  「大江戸温泉物語」 のほうが充実していましたが、

 年末の楽しいひとときを 過ごしてきました。

 二次会はカラオケ。

 σ (^^; )は カラオケに行くのは、 この中学の 同窓会のときだけです。

 最後は ラーメンで締めた一日でした。  (^^; )
 
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高齢者の力を引き出す、 「共生型介護」 (2)

2009年12月11日 20時06分04秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 共生型介護施設では、 お年寄りは子供から エネルギーをもらい、

 子供はお年寄りから 優しさや安心をもらいます。

 スタッフは 事故がないよう見守りながら、 入居者の自由にさせています。

 しかし、 施設の中を 子供が走り回り、

 お年寄りとぶつかったりする 危険性があります。

 共生型介護施設では、 看護師, 介護福祉士, 保育士など

 専門家が関わることで、 危険を防止するようにしています。

 利用者やその家族は、 リスクやいざこざも 承知の上で それを受け入れ、

 施設が 豊かな人間関係を 作り出していることのほうを、 選択しているのです。

 しかし 共生型介護施設は、 まだ少数の地域にしか 広がっていません。

 高齢者, 障害者, 児童では、 行政の管轄が異なるからです。

 ある県では、 走る子供が 高齢者にぶつかるのを防ぐため、

 施設内での 子供と高齢者の スペースやスタッフを、

 はっきり分けるよう 行政指導がなされます。

 現場では、 共生型に対する 行政の理解が足りないと 訴えます。

 しかし 行政側からすると、 高齢者が 介護保険を受ける以上、

 介護に支障があってはいけない、

 高齢者の施設のスペースは 専用でなければならない という立場です。

 もし高齢者と児童を 同じ施設にするなら、 玄関を2ヶ所にしなさいと 指導します。

 今は 共生型介護を推進する 行政組織がないのです。

 別の県では、 地域福祉課が先駆的に実践し、 それを県が評価して 推進しています。

 そのような形で進めていくのが、 現在 望ましいあり方なのだといいます。

〔 「クローズアップ現代」 より 〕
 
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高齢者の力を引き出す、 「共生型介護」 (1)

2009年12月10日 19時32分08秒 | 介護帳
 
 昨日のNHK 「クローズアップ現代」 で、

 「共生型介護」 というのをやっていました。

 従来のケアは、 高齢者は高齢者の施設、 障害者は障害者施設、 子供は保育所、

 それぞれの 専門性を持ったスタッフが 行なっていました。

 施設ごとに 設備の基準が 細かく決められ、 慢性的な人員不足になっています。

 そんな中で 注目されているのが、

 高齢者, 障害者, 子供が 一緒にケアを受ける  「共生型介護施設」 です。

 小規模なデイサービスを 提供している所が多く、 平成10年に4ヶ所だったのが、

 15年に192ヶ所、 20年には591ヶ所と 急増しています。

 異なる人たちが 同じ場所で過ごすと、 思わぬ化学反応が起きてきます。

 認知症で 家事ができなくなっていた高齢者が、

 障害者の食事介助をしはじめ、 表情も生き生きしてくるのです。

 普段は会話もあまりできず、 介助しても立てない高齢者が、

 可愛がっている 3才の子供に誘われると、 にこにこして 自分で立ち上がります。

 その子の鼻を 拭いてあげるために、

 いつもは上れない階段も どんどん上がっていきます。

 洗濯機の操作が分からない 高齢者は、 統合失調症の患者に 使い方を教えてもらい、

 頼りにされた患者は 自信が持てるようになります。

 事故で高次脳機能障害になり、

 感情のコントロールができず、 ケアを受けるだけだった人も、

 共同住宅に来て ごみ捨てなどの作業を任され、 頼りにされるようになると、

 症状がほとんど 出なくなったといいます。

 一人一人に 役割のある暮らしが、 失われた機能を呼び覚まします。

 本来 その人ができる能力を 最大限に引き出すのです。

〔 「クローズアップ現代」 より 〕

(次の記事に続く)
 
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お年寄りが持っている 力を引き出す

2009年12月09日 21時28分44秒 | 介護帳
 
 今度のデイサービスは、 利用者さんの自立支援を 目標にしています。

 何でも介助するのではなく、 その人ができることは 自分でやってもらい、

 持っている力を 引き出すのです。

 この人にはできないと 決めつけるのではなく、 どうやったら 力を引き出せるか、

 できるまで1分待とう、2分待とうという姿勢です。

 例えば、 洗った洗濯物の山を 何気なく積んでおき、

 利用者さんが自発的に たたんでもらうのを待つ。

 あるいは、 職員が さり気なく1枚たたんで きっかけを作り、

 あとは利用者さんにやってもらう という感じです。

 「~してください」 は、 一番最後に言う言葉 だということです。

 そして、 あなたがいるお陰で 綺麗になったという気持ちを、

 伝えるのが大切だといいます。

 役に立てたとき、 お年寄りは本当に喜ばれます。

 買い物に行ったときも、 利用者さんに選んでもらいますが、

 職員が率先してやらなければ、 利用者さんが 店の人に聞いてくれます。

 それが 社会との繋がりになります。

 理想は、 それぞれの利用者さんが 役割を持ち、

 全てを利用者さん同士で やってもらうことだそうです。

 そして、 施設に来たときだけではなく、

 家に帰っても 社会と結びついてもらうことだといいます。

 また、 利用者さんの気持ちを知り、

 利用者主体で、 その人らしくあってもらうこと。

 頑固な人は 頑固が出せるように、 遠慮する人は 遠慮してもらっていい。

 人によって アプローチの仕方は 違うということですね。

 ここはデイサービスというより、 ほとんどグループホームのようです。

 まだ具体的には、 どんな場面で どうしていけばいいのか 分かりませんが、

 期待しながら しっかりやっていきたいと思います。
 
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新しいデイサービス

2009年12月08日 21時57分12秒 | 介護帳
 
 新しい職場での研修は 今まで座学でしたが、

 今日から現場での OJTが始まりました。

 今度のデイサービスは、 1日の利用者さんが 10人程度で、

 前の職場の 6分の1以下の規模です。

 次々と業務に追われる 前職場に比べ、 のんびりとした時間に 包まれています。

 グループホームの要素を 取り入れており、

 朝、 利用者さんが集まると、 皆で 昼ごはんの献立を決め、

 何人かで 近くのスーパーへ 買い物に行きます。

 それから 1時間くらいかけて 料理をします。

 認知症のある方々ですが、 包丁や火も使ってもらい、

 役割分担して 皆で作るのです。

 固いカボチャを切るときも 職員は手を出さず、

 利用者さんにやってもらうことが 大切という考え方なわけです。

 あくまでも 利用者さん主体に動いてもらい、 職員は見守る、

 利用者さんが動くまで 職員は待つという姿勢です。

 利用者さんは 自分で考えたり、 利用者さん同士 助け合って仕事をします。

 職員は 利用者さんが動く きっかけを何気なく与え、 黒子になるのです。

 利用者さんが、 職員を含め 皆にお茶やおやつを 出してくれたり、

 上着を着せてくれたり。

 前の職場では 利用者さんは上げ膳据え膳で、

 全て職員が 引っ張ってやっていましたが、 まるで逆ですね。

 送迎のときも、 前職場は戦場のようでしたが、 少人数でゆっくりやっています。

 同じデイサービスと言っても、 全く 「別世界」 です。

 特に今日は 研修初日なので、 まずは見ているだけ ということもあったし。

 利用者さんと ゆっくり話す時間も持てました。

 前職場では 利用者さんが多すぎて、 顔もなかなか 覚えられませんでしたから。

 新しい職場が 完全なわけでもなく、 模索中でもあるということですが、

 やはり僕には こういう所のほうが向いています。

 まだ ついこちらのほうが リードしてしまうことがありますが、

 あくまでも 利用者さんのできることを引き出す というのが理念なのです。
 
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怒りを制御できない 子供たち

2009年12月07日 21時22分53秒 | ボーダーに関して
 
 先日の朝日新聞に、 2008年度に 小中高で確認された 児童生徒の暴力行為が、

 6万件を超えたという 記事が載っていました。

 3年間で 1.75倍になったそうです。

 「感情が うまく制御できない」 「コミュニケーションの 能力が足りない」

 という子供の変化が あるとされます。

 子供の思考がパターン化され、 深く考えられなくなっており、

 表現できない出来事とぶつかると、

 感情や行動が 激化してしまうのではないかと言われます。

 ある6年生の授業中、 女性教員が児童に 作業のやり直しを命じたとき、

 男子が突然 彫刻刀を振り回し、 先生を追いかけ回しました。

 間もなく 取り押さえられましたが、

 目は据わり、 自分でも何をしているのか分からない 様子だったといいます。

 「落ち着け」 と 声をかけられるうち、

 「先生、 ごめん」 と 正気に戻ったそうです。

 そのようなケースが 増えています。

 瞬間的に怒りが爆発し、 抑えることができない。

 しかし すぐに元に戻り、 一変して後悔する。

 正に ボーダー的な性向です。

 子供たち全体に そのような傾向が増えているのです。

 先日まで記事に書いていた、 境界性パーソナリティ障害急増の 事情と重なります。

 増加の 社会的な要因として書いたのは、 密室化した家族, 忙しくなった母親,

 アノミー化する社会と 父親機能の不在, 過保護すぎる環境,

 仕事や趣味を優先する親、 などです。

 少子化で大事にされ、 他の子との間で 我慢を経験することもなく、

 感情のコントロールができなくなっていることも 挙げられています。

 社会全体でこれらを認識し、 偏った方向に 歯止めをかけ、

 軌道修正していく 必要があると思われます。

 そのために 微々たることではありますが、

 こうした情報を積み重ねていくことも 意味があるかもしれません。
 
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もうひとつの拉致事件、 その後 (2)

2009年12月06日 19時25分19秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 一方、 旅券の更新時、 長女は日本に残りました。

 元夫は その長女を連れ戻そうと、 9月に入国した時、 逮捕されたのです。

 裁判では、 法を軽視した 元夫の態様の悪質さ、

 犯行後の情状の悪さなどを 断じる一方、

 次女が 中国で元夫と同居を 選んでいることなどを踏まえ、

 執行猶予が付いたということです。

(元夫は再婚して、 1才の息子もいるそうです。)

 女性は今、 長女と一緒に暮らしています。

 長女は 連れ去られた場所に通りかかると、 泣き崩れたといいます。

 摂食障害も抱えており、 通院しているそうです。

 長女は 今も元夫を恐れ、 心はずたずたに傷ついています。

 過ぎ去ってしまった 10年という年月、

 どうやって取り戻したらいいのか、 女性は 途方に暮れているということです。

 執行猶予付きの判決では 連れ去った者勝ちだと、 女性は嘆きます。

 現在 国際結婚・離婚は増え、

 国境を超えた 子供の連れ去り事件は、 決して 珍しいことではなくなっています。

 国際的な 子供の連れ去りがあった際、

 元の国に 子供を戻すことを定めた  「ハーグ条約」 というのがあります。

 ただし 双方の国が、 ハーグ条約を 締結していなければなりません。

 現在は 日本も中国も ハーグ条約に加盟しておらず、

 今回の事件では 全く効力がありませんでした。

 日本は 国内法との整備ができていないというのですが、

 今後早急に 条約を批准する必要があると思います。

 そうでなければ、 この女性のような悲劇は またいつでも起こりうるでしょう。

 また女性は、 DVを受けた 母子の保護も 強く望んでいます。

 2004年にDV法が改正され、

 「被害者の子供への 接近禁止命令」 が 発令されました。

 その議員立法成立の過程では、

 実はこの女性が 公聴会で意見を述べ、 多大な影響を与えたのです。
 
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もうひとつの拉致事件、 その後 (1)

2009年12月05日 21時20分39秒 | Weblog
 
 以前 僕のブログで、 「もうひとつの拉致事件」 という 記事を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36930535.html

 中国人と結婚した 日本人女性が、 DVに遭って 10年前に離婚しましたが、

 二人の子供 (姉妹・当時7才と8才) を、

 元夫によって 中国へ連れ去られてしまったのです。

 その後、 僕は その女性と知り合いました。

 連れ去られた当時は 離婚調停中で、

 女性はDVから逃れるため、 子供と共に 施設で暮らしていました。

 その時は 元夫にも親権があり、 元夫は 中国に帰ってしまったので、

 警察は 「何もできない」 と 取り合ってくれませんでした。

 また元夫は 日本国籍を取っていたため、

 中国政府も 日本人同士の問題だと言って、 手を出さなかったのです。

 その後も女性は、 外務省, 弁護士, 国会議員, 中国政府, NPOなど、

 あらゆる所に 助けを求め、 中国へも 数回行きましたが、

 子供を取り返すことはできませんでした。

 それでも諦めず、 各方面に一生懸命働きかけ、

 少しずつ、 少しずつ 状況が進んできました。

 2004年にようやく、 警視庁が 刑事告訴を受理しましたが、

 連れ去りが起きてから すでに5年が過ぎていました。

 今年になって、 娘さんたちの パスポートの期限が切れるため、

 元夫は娘を連れて 日本に来なければなりませんでした。

 警察は その機会を狙っていました。

 僕は最近 その女性とは、 たまにしか連絡を 取らなくなっていたため、

 ここまでの経緯を 電話で聞いて、 その後の経過は 知らないでいました。

 ところが 昨日の朝日新聞に、 この事件のことが 載っていたのです。

 元夫が 国外移送誘拐などの罪で、 有罪判決を受けた という記事です。

 旅券更新後、 次女は自らの意思で 中国に戻りました。

 幼かった次女は、 元夫から 母親が悪いと吹き込まれて 育ったのではないかと、

 女性は言っていました。

 実は 女性は数年前、 次女が通う 中国の学校へ、

 身上を隠して 子供を尋ねに行きました。

 その時、 たまたま次女と 顔を合わせたのですが、

 次女は 走って逃げていってしまったというのです。

(次の記事に続く)
 
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「きょうかいにいきたしんこ」

2009年12月04日 22時24分49秒 | 「境界に生きた心子」
 
 たまたま 面白いブログの記事を 見つけました。

 本屋の店員さんが 書いたものです。

20代前半の女性客 「すみません、

 『きょうかいにいきたしん○』 を探しているんです」

店員 「きょうかいにいきた……、 何ですか?」

女性客 「きょうかいにいきたしん○! です」

 どうも 語尾が聞き取れない様子。

店員 「どういう漢字で 書きますか?  パソコンで調べますので。

 『教会に生きた……神父』 ですかね? 」

女性客 「はぁ? 違うって!  いま書きますっ」

 女性客は 店員からペンを奪い取って、

 書こうとしましたが、 漢字が出てこないようで。

女性客 「……っ、 いま携帯に出します! 」

 そして出てきた書名が、 「境界に生きた心子」。

 店員さんは心理学には暗く、

 「境界」 など 思い浮かばなかったそうです。  (^^;)

 女性客は立腹して 帰って行ったそうですが、

 店員さんは “理不尽な客” と言い、

 本屋が 何でも知ってると 期待しないでほしいと書いていました。

〔【本屋サンの小言 in札幌】 より〕
 

 そういえば、 新風舎のときにも 似たようなことがありました。

 拙著の制作中、 用事で 新風舎の受付に 電話を架けるときのことです。

僕 「『境界に生きた心子』 の稲本ですが」

 新風舎は膨大な著書を 制作・発行しているので、

 受付の人が 書名を全て知らないのは 当然なんですが。

受付の人 「『境界に生きた心子ぉ』 ですね」

 受付の人は、 いつも微妙に 語尾が伸びるのです。

 そして 僕も後になって やっと気付いたのですが、

 受付の人は こう言っていたのですね。  (^^;)

 「教会に生きた信仰」
 
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職場変え

2009年12月01日 22時29分01秒 | 介護帳
 
 実は、 介護の職場を 新しい施設に移りました。

 前の施設は 大規模なデイサービスで、

 利用者さんの人数が 多すぎるのが難点でした。

 1日60数人の方が 利用され、 曜日によって 利用者が変わるので、

 延べ300人近い 方がいらっしゃいます。

 さらに 一人の利用期間が半年なので、 次々と顔ぶれが 変わっていきます。

 一人一人の顔も なかなか覚えられず、 サービスも機械的になりがちで、

 人間的な個別の対応が できない状態でした。

 業務量も膨大で 繁多、

 無給の時間外業務が 1日1~2時間に及ぶのも 厳しいものがあります。

 新人にとっては かなりきつい職場でした。

 今度の施設は、 デイサービスですが 定員12人で、

 家庭的なケアが できるのではないかと思います。

 グループホームの要素を 取り入れており、

 利用者さんと一緒に 昼御飯を作ったりするそうです。

 僕は何事も じっくりやるタイプなので、 小さな施設のほうが 向いているでしょう。

 介護の業界や 国の方針としても、 小規模多機能型にシフトしており、

 前の施設は それに逆行してもいました。

 今度の所は 来年 新規オープンする施設で、 12月は 系列の施設で研修です。

 前の職場は OJT(職場内教育)の体制も できていませんでした。

(最初だけは 担当の人が付いて 説明してくれましたが、

 その後は 体系的, 個々具体的なことを あまり教わりませんでした。)

 今度は 座学から始めて、

 1ヶ月にわたって 色々なことを教えてもらえるのではないかと 期待しています。
 
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