朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

金福寺、芭蕉庵

2008-11-25 | 京都の文化(秋)
与謝蕪村「洛東芭蕉庵再興記」
 四明山下の西南一乗寺村に禅房あり。金福寺といふ。土人口称して芭蕉庵と呼。階前より翠微に入ること二十歩、一塊の丘あり。すなはち、ばせを庵の遺跡也とぞ。
 もとより閑寂玄隠の地にして、緑苔やや百年の人跡をうづむといへども、幽篁なを一炉の茶煙をふくむがごとし。水行雲とどまり、樹老鳥睡りて、しきりに懐古の情に堪ず。
 やうやく長安名利の境を離るるといへども、ひたぶるに俗塵をいとふとしもあらず。鶏犬の声籬をへだて、樵牧の路門をめぐれり。豆腐売る小家もちかく、酒を沽ふ肆も遠きにあらず。されば詩人吟客の相往来して、半日の閑を貪るたよりもよく、飢ゑをふせぐもふけも自在なるべし。(以下略)
(※「四明山」の原義は中国、道教の霊山、ここでは比叡山のこと)

 蕪村は、江戸時代、芭蕉より50年ほど後の時代の俳人で画家です。良く知られた俳句を二つ。

 五月雨や大河を前に家二軒
 春の海ひねもすのたりのたりかな

 この俳人は、絵画性のある作風であったようです。人生の後半は江戸から京都に移り、絵画と俳句で活躍した人物です。

 また、このお寺は舟橋聖一の小説『花の生涯』のヒロインである村山たか女が波乱の生涯を終えた寺とのことです。かなり前にNHKの大河ドラマで取り上げられました。「たか女」は、彦根で井伊直弼に仕えたのが縁で、直弼が大老職に就いた以降、祇園で芸妓をしつつ密偵として長州土佐藩士の動向を探った。その情報が「安政の大獄」に結びつき多数の藩士が処刑された。直弼失脚後、捕捉され鴨の河原で三日間の生き晒しの刑を受けた。助けられた後、このお寺で余生を過ごした。







 縁側の陽だまりで、多くの観光客が横を歩くのにもかかわらず猫が昼寝をしていました。
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