行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

チェ・ゲバラという男

2007-10-17 03:05:05 | 日記・エッセイ・コラム

 今年2007年は、チェ・ゲバラがボリビアのゲリラ戦で戦死してから40年になるそうです。エルネスト・ゲバラ、それが彼の本名で、「チェ」というのはニックネームです。通常は、もっぱらチェ・ゲバラと呼ばれていた若き革命家でありました。

 50代、60代の人にとっては、権力者になってしまったフィデル・カストロとは比べものにならないヒーローなのです。

 革命家と聞くと、過激で暴力的で、かつ、教条的でありながら、最終的には権力欲に走る人間を想像しがちですが、元医師であったゲバラは、本当の意味で自己を犠牲にしてでも、権力や資本による搾取、抑圧には最後まで抵抗し続けて、自らの命を落とした男だったのでした。それは、貧しく虐げられた者達の為に、勇敢に立ち向かう正義の味方そのものでした。

 中南米諸国は、1人の人間が100人の人間を支配し、1人の人間が1000人、或いは1万人分の富を所有している国々ばかりがある地域です。我々日本人には到底想像もつかないような、ほんの僅かしかいない大金持ち(相続税なんてあるのか、無いのか分かりません!)が、常に国家を支配している地域でもあるのです。資本家、地主は、その資本や土地を管理・運営する優秀な経営者を雇って、最も効率良く高い配当を生ませ、もし配当が出せなければその経営者を解雇します。ですから、雇われた経営者は、労働者を最も効率よく使って利益を生ませようと労働者を酷使します。まさに、古典資本主義経済学のプロトタイプのような出来事が、今でもこの地域で起こっているのです。

 しかし、その100人、1000人の貧しい人々は、天の恵みなのか、肥沃な土地になる豊富な食料で、決して飢えに苦しむことはないのです。ところが、米国の産業資本家達は、近代工業化や、特にレジャー化により、その微妙なバランスさえも踏みにじって、キューバ国民から彼らの富や食料を吸い上げ続けたのでした。これが、彼らの反発を招き、革命に走らせたのだ、と、私は今でも思っています。

 そんな、米国資本で埋め尽くされ、奴隷のように扱われたキューバの人々達が、カストロやゲバラと共に立ち上がったのは、当然といえば当然の帰結なのでした。

 開業当初は、行政書士と通訳の二足の草鞋を履いていましたので、2度ほどキューバに仕事で行く機会がありました。当然ながら、アメリカ大使館はありませんでしたが、日本大使館はありました。その日本大使館に駐在していた若い書記官氏曰く、

 「日本から財界の方々が来て、カストロに会ってしまうと、感激して色々な経済協力を約束してしまうんですよ。当初予定もしていなかったような経済協力まで・・・。カストロは、彼らの世代のヒーローなんですかねぇ?」と、

 そのカストロが戦友ゲバラに、「国の建設には、まだまだ君の力が必要なんだ!ここに残って俺を手伝ってくれないか!」と懇願したところ、「僕を必要としている人々がまだまだ沢山いる!僕は行かなくてはならないんだ!」といってアフリカのコンゴに行き、続いて、ボリビアに渡り、ゲリラ戦で戦死したという、まるで映画や小説の主人公のような男がゲバラなのです。権力にしがみついたり、胡座をかいたり、或いは、自己保身に奔走・画策するような男ではないのです。ある意味では、ゲバラとは、我々男達の理想像なのかもしれません。

 ゲバラは、医学生であった頃、中南米全域を旅して、虐げられた人々を目の当たりにしている筈です。こういった生で見た現実や経験が彼をキューバ革命参戦に駆り立てた原点であると云われています。一方、メキシコの公園で、幼い靴磨きの兄弟が一生懸命生きている姿と、毎日パーティーに明け暮れているお金持ちの馬鹿息子が混在する現実社会に、只々ショックを受けて、寧ろ自分自身の無力さを感じ、国家権力に刃向かうなど、無駄なことと達観してしまった凡人である私とは、天と地ほども違うのであります。

 だから、彼、エルネスト・チェ・ゲバラは、今でも永遠のヒーローであり続けているのです。

コメント (6)
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