一昨日、2月28日で日航ジャンボ機が引退したそうだ。
36年前片道切符で留学先に向かう為に、
当時は、まだ成田空港が無く、羽田国際空港から
希望、恐怖、憧れを胸に一杯詰めて始めて乗った飛行機が、
日航ジャンボ機だった。
中継地バンクーバーで乗客の多くが降りてしまい、
がら~んとした客室の中で、到着前の不安で頭が一杯の私を、
突如振り袖姿に着替えたスチュワーデスさん達の立ち姿が、
どれほど私の心を和ませてくれただろうか。
今でも鮮やかなほど、鮮明な記憶として残っている。
あの艶やかなスチュワーデスさん達も、
今はきっと還暦を迎えているに違いない。
その後、幾度となく海外赴任したり、或いは、赴任先から帰国した時も、
日航ジャンボ機にどれだけお世話になった事だろうか。
整備不良による史上最悪の航空機事故を御巣鷹山で起こしたものの、
ほとんど揺れない機体の安定感は、高所恐怖症気味の私でさえ
高度8千メートルの上空にいる事を忘れさせてくれた
航行性の優れた飛行機だったと思う。
ジャンボ機そのものは、今でも他の航空会社で乗れるのだが、
あの鶴のマークが尾翼に付いた日航ジャンボ機で、
一体、地球を何周くらい廻ったのだろうか?
それ程、お世話になった飛行機なのである。
高校生の頃、深夜のFM人気番組の”ジェットストリーム”で、
まだ見た事も無い外国とジャンボ機に憧れていた私。
学生時代や海外赴任生活を繰り返していた時代には、
自らの成長と共に、幾度となく海の向こう側に運んでくれた
馴染みのある空の乗り物だった。
まさに、日本の高度成長のシンボルであったのかもしれない。
さよなら! 日航ジャンボ機
そして、ありがとう !