もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

防衛計画の大綱改定について

2018年05月26日 | 防衛

 政府が年末に改定する「防衛計画の大綱」等に対する自民党提言案が党内決定されたと報じられた。

 防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画は、自衛力整備の方向と限界を設定するもので、武力の発動と並ぶ政治(文民)統制の双璧と位置付けられるものと思う。提言の特色は、防衛費のシーリングをEU諸国並みの対GDP比2%以内まで増額、島嶼防衛の拠点となる多用途運用母艦の整備、F35B戦闘機の導入であるとされており、眺めてみれば軽空母若しくは強襲揚陸艦の保有を目途としたものであることは一目瞭然である。前にも書いたように海上兵力の整備には少なくとも計画から5年以上の期間が必要であり、戦闘機運用の実績・経験がない海上自衛隊としては一足飛びに最新装備と未知の作戦運用を余儀なくされる。「いづも」型護衛艦を改修・運用して慣熟を積むことになると思うが、航空機が空自機であることから艦体構造・指揮管制・用兵思想・補給上の制約が多く「改装いづも」は”浮かぶ滑走路””中継基地”的な役割しか果たせないために、空母運用の慣熟には期待できないのではと危惧するものである。あの中国にしても空母を保有するためには、改装したソ連空母で慣熟し、アメリカのカタパルト・着艦装置技術を盗用し、総力を挙げて開発しているのが実情である。残念ながら日本では、軍事技術開発に国費を投入することができない、軍事技術開発への学会の協力が得られな等、空母の運用はおろか建造すること自体に多くの制約があるのが実情である。

 「防衛計画の大綱改定提案」のうち海上兵力整備について述べたが、中国の覇権主義や北朝鮮の核恫喝に対処するためには、幾多の困難があろうとも作戦の拠点・核となる海上兵力は整備すべきであると思う。先行して民意の結集と予算関連法令の改正を図り、具現化を希求するところである。


潜水艦「そうりゅう」のデコイ亡失

2018年05月25日 | 自衛隊

 海自潜水艦「そうりゅう」が魚雷回避用デコイを亡失したことが報じられた。

 デコイは本来、狩猟の際に獲物をおびき寄せるために使用する剥製などの”おとり”を指していたが、狩猟者の少ない日本では軍用の欺瞞装置を指す場合が多いと思う。デコイの歴史は古く、トロイの木馬や諸葛孔明が空船で敵の矢を集めた故事もデコイの1種と呼んでよいかもしれない。現在のデコイは、相手攻撃武器の追尾誘導の手段をかく乱して偽の目標に誘導したり誤爆させることを目的としており、電波追尾のミサイル電波かく乱を狙った”チャフ”や熱源追尾ミサイルを誤誘導・誤爆させる”フレア”が有名である。今回”そうりゅう”が亡失したデコイは、音源追尾の魚雷を誤誘導させるために潜水艦の疑似音を発生させるもので、映画「レッドオクトーバーを追え」でラミウス艦長が使用したものと同じ物と思う。冒頭の報道では、デコイが1発4000万円することに力点を置いているが、デコイが他国の手に落ちた場合には海自潜水艦の防御能力が明らかになり、他国が防御を破る方法の開発に繋がるおそれがあることの方を重視しなければならないと思う。想像であるが、デコイには”そうりゅう”の音紋が組み込まれており、さらに他の艦艇の音紋に変更するシステムにもなっているかもしれない。海自ではデコイが海底深くに水没したと確認するまで捜索を続けるものと思うが、防衛省が亡失した艦名まで公表したことは、もしデコイが他国の手に落ちた場合の不利益を考えれば如何なものであろうか。

 どうも日本には情報公開の基準と対応があいまいである様に思えてならない。官僚や政治家の不祥事の際に開示される情報は海苔弁以上の黒塗りで、理由として個人情報の保護を言い立てる一方で国防に影響するかもしれない事柄でも個人に責任が及ばない事柄は平然と公開する。なんとかならないものだろうかと慨嘆するものである。

 


福山・玉木議員がマッチポンプ

2018年05月24日 | 野党

 加戸守行前愛媛県知事の興味ある発言が報道された。

 報道では、「日本獣医師会から福山哲郎立民党幹事長や玉木雄一郎国民民主党共同代表らに各々100万円の政治献金が為され、働きかけに相応しい活動をしている」と揶揄したとされている。かねてから加計学園問題では、長年の友人関係である加計幸太郎氏と総理の関係追及にのみ終始し、根本原因である獣医学部新設を不可とする文科省の岩盤規制と獣医師会の信仰は顧慮されないことを不満に思っていた。前知事の述懐に戻れば、旧民主党政権下で獣医学部の新設が前進していたにも拘わら、献金の時期と符合して獣医師会の主張に沿った方向に転舵されたらしい。自分のブログでも複数回にわたり岩盤規制の裏には文科省と獣医師会の癒着があるのではと書いたが、幽霊の正体は旧民主党議員であったのかと合点した次第である。献金と匙加減が事実であると考えれば、加計氏の証人喚問時に招致された愛媛県知事と獣医師会会長には全く質問されなかったことも合点できる。既に岡山理科大学(加計学園)での獣医師教育が始まった今に至るも、加計問題に固執する真意は、政治献金に見合う成果を挙げられなかった贖罪・意趣晴らしの行動かと見れば、なんと義理堅い政治家であろうか。

 献金の事実と総額が不明であるが、事実とすれば受託収賄に該当する事案であると思うものの、福山・玉木議員の放火能力(マッチ)と消化能力(ポンプ)の低さを嗤うものである。

 


顔出し会見の日大アメフト選手にエールを

2018年05月23日 | カープ・スポーツ

 関学との交流戦で危険なプレーをした日大の選手が顔出し会見を行った。

 彼は、自分の行為がスポーツマンシップに反するものであることを知りながら監督・コーチに従わざるを得なかった経緯と心情を訥弁ながら真摯に語る一方で、監督・コーチの思惑等については一切の推量を述べなかった。そこで明らかになったのは、彼を精神的に追い込んで相手のQBを悪質に攻撃させる目論見であり、傘下の組員を抗争相手のトップを襲撃する鉄砲玉(ヒットマン)に仕立てる暴力団のやり方と同じである。一人の青年をここまで追い込んで悪質な行為に走らせた日大は、この期に及んでも”潰す”という表現はチームを鼓舞する言葉で直截的な攻撃を指示したものではなく、指導者と部員の意識の乖離としている。弁護士も裁判になった場合は、”潰す”という言葉の解釈に依っては監督・コーチの罪が問えないことも予想されると述べている。ここで思い出すのはアメリカのメジャーリーグで起こった八百長事件である。訴追された関係者は裁判では無罪となったものの、コミッショナーは彼等を球界から永久追放した。理由は、瓜田に沓を入れた行為が、観客の期待を裏切るもので、とりわけ子供の夢を汚したとするものであった。日大の選手は、今回のプレーによりアメフトを続ける資格を失い、夢も冷めたと述べてもいた。彼の行為は社会的な制裁を受けなければならない行為ではあるが、もしも競技を続けることを希望するならば最大限の酌量をもって容認しても良いのではないだろうか。

 お気づきのことと思うが、文中には選手の実名を書いていない。それは、どのような形であれ実名が残ることは、彼の以後の人生に大きく影響すると思うとともに、アメフト日本代表の座を捨てたとしても何らかの形で社会に貢献できる人材と推測したからである。でき得れば、報道やネット上に彼の実名と顔写真が残ることが無いように望むものである。罰せられるべきは、内田正人氏を始めとする指導者であり、有為の青年をスケープゴートにすることで組織を守ろうとする日大であると思う。

 

 


自衛隊の必要性と浦田一郎名誉教授

2018年05月22日 | 自衛隊

 自衛隊は合憲57%・違憲26%であるとの世論調査結果が報道された。

 興味深いのは、同時に掲載されている識者のコメントで、違憲とする数字(26%)の受け取り方が信条によって大きく異なることである。合憲側の西修駒大名誉教授は少ないと感じ、違憲側の浦田一郎一橋大名誉教授は多いと感じているが、民主主義は50%を超えた方を正義として選択する制度であることから言えば、26%は正義・採るべき道ではないということでは無いだろうか。自衛隊に奉職した自分は、一般的には右翼的・国粋的思想が強い方に分類されると思うが、自衛隊は合憲かと2者択一的に回答を求められたら、純粋に・国語的に解釈すれば自衛隊は違憲と答えざるを得ない。しかしながら国際的に認知された国家自衛の手段としての自衛隊(力)は当然保持されるべきで、その延長線上に自衛隊(国防軍)の保持を明記する憲法改正が必要と考えるものであるが、自分のような意見は今回の調査では、違憲者のカテゴリーに分類されているのではないだろうか。現在の世論調査は電話ボタンの回答によるものが大半であるために、設問と回答は2(3)者択一に単純化しているので、このような複雑な問題では正確な結果が得られないのではないだろうかとも思うものである。閑話休題。それにもまして奇異感じたのは、前出の浦田名誉教授のコメントである。氏は「非軍事平和主義者」であることを明言した後に、「現実的に北朝鮮問題にも軍事的解決手段は存在しない」と明言しているが、純粋な憲法学からの考察を超えて政治的に自衛隊違憲論を補強しているように思えてならない。氏に教えを乞うところは、軍事力とりわけ核を含む大量破壊兵器の保有をもって他国を恫喝する北朝鮮問題の解決に、いかなる秘策を持っているのだろうかという点である。現在北朝鮮が曲がりなりにも交渉のテーブルに就かざるを得ない背景には、米中露の軍事バランス崩壊を懸念する大国の思惑が交差している現実、会話の背後に常に存在する武力の影、武力的な威嚇が会話で解決したことがない歴史、これをら無視してでも日本は丸裸でいるべきとお思いなのだろうか。

 前出の2氏は、いずれも70歳を超えており、自分の主張が実現する日を迎え得ないことは明白である。いわば後世に責任を果たせない世代であり、老害に犯された妄言が国の行く末を危うくしているように思えてならない。メディアもコメントを求める識者の選択に当たっては、後世に責任を果たせる少壮世代の識者を選ぶべきではないだろうか。