一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『これからの「正義」の話をしよう』

2010-10-27 | 乱読日記
NHK「ハーバード白熱教室」で話題になったサンデル教授の講義をまとめた本

東大での特別講義は見たけどハーバードの授業のところはちょっとしか見ていないという状態なのですが、学生に考えさせ発言をさせながらの講義の手腕は見事なものだと思いました。

それを見た上で興味があるのは、この講義で学生は事前にどれくらいの課題図書の読破が求められているのか、また、どうやって成績をつけるのか(試験、レポート、講義での発言?)ということ。

この番組の感想として「それに引きかえ日本の大学の講義は・・・」という話が出ますが、確かにこういうスタイルの講義は日本では今でも少ないのでしょうが(僕が学生の頃は皆無でした)、学生側も講義に出て発言したり感心しているだけで済むはずはないので、大量の課題図書とかレポート提出や講義を消化したかを確認される試験があった場合に(けっこう大教室だったので、発言だけでは評価はできないと推測)、履修希望者がどこまで増えるだろうかということも興味があります。
 
僕は最近大学生との接点が採用の面接官としてくらいしかないのですが、(そもそも新卒一括採用+青田刈りという企業の姿勢は改めるべきだと思いますが)面接の場面でサークル活動の話題(とよくてゼミの幹事やってますとか)ばかり出るのもちょっと寂しい感じもしているので。
まあ、そんな「鶏が先か卵が先か」の議論をするより、学生もきちんとした知的刺激さえ受ければやる気を出すという前提にたって、こういう講義が増えると大学ももっと面白くなるんじゃないかと思います。


で、本の内容。


授業の展開と同様に具体的な問題を題材に、「正義」「正しさ」をめぐるさまざまな議論について問題提起しながら考えていくというスタイルになってます。
「リバタリアンvsコミュニタリアン」という対比が注目されますが、おそらく講義の議論に参加しようとするには、たとえば「私はリバタリアンだから・・・」というだけでなく、どのような価値判断に基づいてそう考えるのか、その価値判断の根源にある人間観なり社会観は何か、というところまで考えさせられることになるんだろうと思います。(だから哲学なんですけど)

僕がいちばん腑に落ちたのが、「社会制度の目的について論じるのは、その制度が称え、見返りを与える美徳について論じることだ。」というアリストテレスの考え。
(そういや大学の教養過程では哲学概論って取ったんだけどなぁ)

「中立的、客観的な「正義」はない」というだけだと、価値多元論以上終わり、になってしまうんだけど、正義の問題は美徳、名誉、承認、誇りという概念と密接に関係し、それらをどう評価し分配するかという問題である--だからこそ議論が自己言及になりがちなんだと思います--ということを注意深く、丁寧に論じています。


知識を得たり結論にたどり着くよりも、考える(考え続ける)習慣をつけること重要性を改めて認識させてくれます。 

現実社会では「正解」なんてないし、自分や周りの状況は常に変わるわけですから、そういう意味では実はいちばん実戦的な講義なのかしれないな、と思った次第。



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