今日は試しに節電にどこまで耐えられるかと日中エアコンをつけずにいたら 午後1時過ぎには室内で31.4℃まで上昇。
この温度でも動かずに扇風機にあたっていればしのげることはしのげますが、身体を動かす作業はやる気が起きません。
打ち水などを試したのですが、たまに風が吹き込むときは効果を実感するものの、温度を下げるまでの効果はありませんでした。
そんな中で本棚の整理をのんびりとやってました。
付箋がついてたりするとそこを読みこんだりしてなかなかはかどらないのが猛暑にはちょうどよかったようです。
その中で読み返して面白かったのがこれ。
山内昌之氏と中村彰彦氏の対談『名将と参謀』のなかの一節 上総請西(かずさじょうざい)藩一万石の藩主林忠崇は、21歳のとき江戸無血開城の直前に家臣と共に脱藩し、旧幕府遊撃隊に入るものの、徳川家存続の報を受けると降伏謹慎に踏み切り幽閉されます。
赦免も明治政府とは一線を画し、木更津で野良仕事をしたり東京府の下級官員、函館で商店の番頭、神奈川の寺院での寺男を経て大阪府西区役所の戸籍係になり、窮乏生活を送りながらも昭和16年、94歳まで生きます(「最後の殿様」と言われたそうです)。
本書では林忠崇は最後まで節を折らず、出所進退をきちんとして揺るがなかった数少ない大名として評価されています。
その林忠崇は亡くなるときに辞世の句を問われたとき「明治元年に詠んだ。今はない」といったそうで、その明治元年21歳のときに詠んだのが
真心のあるかなきかはほふり出す腹の血しをの色にこそ知れ
というもので、その気持ちを94歳まで持ち続けていたのは立派です。
そして一番いいのが、自らの有為転変の生涯を回顧して詠んだこの句
琴となり下駄となるのも桐の運
人生を完全燃焼しないと、この境地には届くのは難しそうです。