一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『天国でまた会おう』

2016-07-04 | 乱読日記

『その女アレックス』のピエール・ルメートルの新作(といっても日本の文庫版が2015年10月ですが)。

小説としても文句なく面白いが、ヨーロッパにおける第一次世界大戦と現在との記憶の連続性について考えてしまった。

今回は第一次世界大戦と戦後が舞台。
戦争で職も恋人も失ったアルベールと彼を上官の計略から救ったものの大けがを負ったエドゥアールが、大戦後再会しパリの片隅で貧乏暮らしをする中で、かつての上官に対して復讐を企てる、という話。

あまりネタバレしない範囲で説明すると安っぽいストーリーに思えるが、人物描写や構成・展開は相変わらず見事。


同時に、第一次世界大戦を舞台にした本作が歴史小説でなく現代の冒険小説として読まれている(らしい、少なくとも書き振りはそう)ことも印象深い。

おそらく、国内が戦場となったことで、祖父母からの聞き伝えに加えて、実際に戦場の傷跡や記念物(それも勝利と敗戦ともに)がそこらじゅうにあるということが大きいのではないか。

それがEUの創設につながったわけで、BREXITをめぐる下のtweetがそれを象徴しているように思う。

一方で日本だと、たとえば日露戦争を舞台にした小説は司馬遼太郎に代表される歴史小説の世界だし、日中戦争、太平洋戦争を舞台にした小説は「戦記物」になる。
戦時中の日本を舞台にした小説では戦争そのものよりは戦時統制や疎開生活、空襲被害などを描いたものが多く、 本書と同様の復員兵を描いたものは、戦後復興の文脈か社会派小説に分類されるように思う。

たぶんそれは、日清戦争以来の戦争が基本は「外国に出て行って戦った」戦争であり、沖縄を除いて地上戦はなく、他の日本国内では米軍の空襲や原爆投下の「被害にあった」という印象が強いからではないだろうか。

そのうえ、それ以降は戦争を行うことはなく、朝鮮戦争も「特需」として恩恵を受けるなど日本は平和の中で急激な経済復興を遂げた。

それが、戦争を「どこか遠くのもの」のように感じ「良くないもの」とすれば遠ざけることができるもの、という意識につながっているように思うし、それ表れているのが、沖縄県民とその他の日本人との意識のギャップではないか。

唯一日本国内で地上戦の舞台となり、戦後はワシントン講和条約後も米軍の占領下となった沖縄県民には、欧州同様に戦争からの歴史の連続性の意識が根強く、そこが基地問題などの議論においての食い違いの一つの要因になっているのではないか。

小説のレビューから離れてしまったが、そんなことを考えた。
 

コメント
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